自分という存在が動く時、道がパァと開く。
重ければ重いほど、グググと動かすのが難しいほど、動いた時の道の開きは大きく感じる。
そんな時には“流れ”がある。
何かに誘導される感覚がある。
そこで流れに乗るか否かの選択がある。
そんな経験は誰しもが何度でも味わえる平等の一つ。
今回はそんな好転サインを私の体験から紐解き、物語っていこうと思います。
- 人生が好転する時の導きについて考えたい
- 流れに身を任せる意味を知りたい
導きの着目は“気づくか否か”。
気づくための材料になればと思うので、一つの考え方としてお楽しみいただければ何よりです。
Contents
流れに身を任せる

流れに身を任せる意味
言い方を変えると、「流れるままに」
これは自分主観でありながら、存在や事象の前提には“流れ”というこの世の仕組みの一つがある理解です。
仏教になぞると、阿頼耶識(あらやしき)に蓄えられた業力の中で生きている状態を体現する在り方と言えるかもしれません。

カルマの流れの中で、自然体となり、自分を手放すさま。
これが流れに身を任せる意味。
なんだかうまくいきそうな気がしますね。
ですが、そんなうまくはいきません。

流れに身を任せると嫌なことが連発する
その“流れ”とやら、良い流れもあれば嫌な流れもあります。

そして、良い流れに入るにはまず嫌な流れを乗り越える必要があります。
- 突然の事故
- 現状の崩壊、喪失
- トラブル、失敗の連続
- 大切な人との別れ
- 病の煩い
- …etc
意識で言うと、“我”が強まっている状態であり、エゴが急激に強まったが故の現象が起きます。
認めたくない、受け入れがたいことが起きる。
辛くて苦しいことが続く。
不納得と不満感を抱く。
抗い、焦り、迷いが増える。
悩みます、何を書いてもグシャグシャっとしてゴミ箱に捨てる小説家のあの感じ。
「こんなの嫌だ、これは現実じゃない、嘘だ!」と駄々をこねたくなる子供のあの感じ。
これを乗り越えられるかどうか。

試練です。
「まずはこの流れに身を任せられるかい?」と自分に問われます。
「嫌なものは見たくないだろう」
「受け入れるなんてもってのほかだろう」
「抗って自分の思い通りにしたいだろう」と煽られ、たしなめられます。
活かすも殺すも自分次第の“流れ”は、曲者ですがシンプル。
乗り越えると始まります、物語りが。
※頑張らないと流れに乗る詳細は、【要アップデート】頑張らない方がうまくいく理論&スピリチュアルな仕組みをご覧ください。
体験談:流れに身を任せるとうまくいく

突然の“流れ”
私が都内で会社員をしていた頃、「流れに入った」というのを顕著に感じたことがあります。
…
“海外”に意識が向いたある時。
中学三年生の頃に書いた、25歳になった私自身に宛てた手紙。
「インドで貧しい人々を助けていますか?」
当時25歳、この手紙を見ると同時に歯車が動き出した。
即座に私はインドに行くことを決めた。
初めての海外経験だった。
帰国後、
意図せず、これまで関わらなかった同じフロアの別部署(英語をはじめ、イタリア語、スペイン語とさまざまな言語を話す海外チーム)の人々との関りが増え始めた。
その時、聞く話は全て新鮮で刺激あるもの、他の情報とは違ってすんなり耳に入ってきた。
私は会社を辞めて海外を旅して周ることを決めた。
するとさまざまに試練が起きた。
突然の大幅昇給、昇格ルートが見える。
そして最も行きたくない部署への理由なき異動。
辞め難い理由がわんさか出てきた。
もちろんそのまま退職。
仕事を辞めることには大切な仕事仲間との別れ、地元の友達との別れがあった。
たくさん悲しくなった。
でも海外、ニュージーランドにビュン。
何もできないがなんとかなるニュージーランド旅
いざ到着するも、初日からてんやわんやだった。
夜20:00に空港に降り、そこからバスでオークランドシティという街に到着。
暗い中でホテル探しを始め、私は気づいてしまった。
「はっ!映画観て勉強したのに、少しくらいは話せると思っていた英語、何にも言えない、そしてムニャムニャとしか聞こえない!」
「ホテルどこですか?」と聞きたいのに、「Hotel…?」しか出て来ない。
「こっちが“?”だよ」と相手側の目線になるばかりで何もできなかった。
しかし、ホテルまで連れて行ってくれる人もいて、みんな優しかった。
が、どこも部屋が空いていない、無念。
彷徨った挙句、「公園で寝よう」と辿り着いた公園の前にユースホステルがあり、運よく泊まることができた。
そんな運でしかない日々がこれから始まるが、私はまだ何も知らない。
なんとなく新しい町へ移動
翌日、早速私はホテルを出て、別の町へ行くことにした。
理由は集団の日本語が聞こえたからだった。
私の場合、ニュージーランドに来た目的が英語の習得と旅の資金稼ぎ、いわゆる旅を続けるための下地作り。
「日本人がたくさんいる、よし離れよう」が私にとっての自然な流れだった。
オークランドがどこにあるのかも知らなかった私は、スマホが海外で使えるなんてのも知らなかった。
「ネットを使うと言えばインターネットカフェだ!」という発想レベル。
ネットカフェのパソコンでニュージーランドのマップを開き、目を瞑って指差した町に行く、そんなスタイルだった。
そこがどこなのか、どんな場所なのか知らないけれども、「そこだ!」という謎の自信があった。
いざバスで向かうが、アナウンスが何と言っているかわからないので、バス停に到着する度にことごとく降りようとした。
その度に、「ここじゃないよ」と運転手は優しく私を諭し、席に戻らせた。
その後、運転手の優しい声掛けにて目的地で降りることに成功。
新しい場所は田舎町。
降りたバス停の目の前にあったホステルに飛び込むとそのまま宿泊でき、その町で私は電話だけできるプリペイド携帯をゲットした。
「電話があれば仕事探しできるぞ」と意気込んでおり、早速求人広告を見て電話してみた。
「Hello,あ、あぁ、えぇと、あれ、あぁぁぁあぁ、えぇぇえぇぇえと、job,jobjob please!」
何と言っていたのかわからないが、優しいおじさんの声は丁寧に私を理解しようと努力し、丁寧に断り、丁寧に電話を切った。
「sorryとbyebyeだけわかった。…あと優しかった気がする…」
郷愁とはこういう気持ちなのかもしれない。
私は自分の身の丈を知り、電話は諦めてホステルのオーナーに調べた英語を大声で言ってみた。
「give me job! give me a job!」
「私ってたしか5歳になったんだっけ?」と思いながら、ちゃんと大きな声で言えた気がした。
するとオーナーのおじさんはスラスラと手紙を書き始め、それを渡してきた。
「これを今から言う所に行ってそこのオーナーに渡すんだ、いいな?」的なことを言われ、新しい住所を教えられた。
「え、今行くの?」と驚く私は初め追い出されたのかと思ったが、どうもそっちに行った方がよさそうなので言われるままに住所の場所へ向かった。
歩いて1時間、そこは仕事を斡旋してくれるホステルだった。
ニュージーランドに到着してからまだ落ち着く時がなかったが、なんとか宿泊できそうでやっと安心した。
なんとなく仕事が見つかる
新しい滞在場のオーナーのおばさんに貰った手紙を渡すと、現地の流暢な英語でペラペラ何かを言ってきた。
何一つわからなかったが、一応スマイルを返しておいたら笑っていた。
ドミトリーの部屋を案内され、「仕事が見つかったら伝えるから」的なことを言われてオーナーはピュンとどこかに行った。
ホステルにはたくさん人がおり、ほとんどがドイツ人、西ヨーロッパ諸国の人々がチラホラという具合だった。
何も会話できない私はなんとなくでコミュニケーションをしたが、初めだけで直ぐに相手にされなくなった。
しかし、私にとっては英語を学び、仕事をする最適な環境だと思った。
そしてみな一様に言ってきた。
「ここに来ても仕事は見つからないよ、私たちなんてもう一ヵ月間待ってるんだから」「そうね、私なんてまだ一週間だから先が流そう、はぁ」といったものだった。
私は仕事をするための諸々の手続きもしていたなかったので、よく笑われた。
半分憐れみ、少し嘲笑という具合か。
その後数日かけて銀行に行き、郵便局で手続きを済ませ、いろいろな人に助けてもらいながら仕事をするに必要なものを完了させられた。
三日もすると、英語が話せる前提のヨーロピアンだらけの中にアジア人一人はどうしようもないほど浮いていた。
そんな環境でさらに人が多いホステル、ガヤガヤしている大きなリビング、三日目の夜だった。
オーナーのおばさんが大勢居る中で私を探すために、大きな声を出した。
「Hey!You’ve got a job!!!」
シーン。
ガヤガヤしていた空間が一瞬で静けさに包まれた。
視線は一瞬で集まり、ジロジロ、ギラギラ。
「やった!」と無邪気な5歳児は喜んで駆け寄り、ワーイワーイ。
どうしようもないほど周囲の目線を感じ、毛が逆立つ気配も感じた。
が、何はともあれ、なんとなくで仕事が見つかった。
翌日わかったが、オーナーの独断と偏見で私に優先的に仕事を与えてくれたようだった。
それに怒り心頭のヨーロピアンは、「私たちはこんなに待ってるのに不平等だ!」と声高らかに抗議し、ゾロゾロと宿から出ていった。
オーナーに申し訳ないことをしたと謝りに行ったが、彼女は何にも気にしておらず、「あれは誰が何と言ってもあなたの仕事だよ」と言ってくれた。
これを機に私の流れは加速していった。
毎日が勉強、頭の熱膨張、パンク状態でフラフラだったが、徐々にコミュニケーションが図れるようになっていく。
友達ができ始め、さらに英語を教えてくれる友人にも出会えた。
移動しながらの立場では仕事があったりなかったりになるという話を聞いていたが、仕事は次から次へと見つけられ、継続的に働くことができた。
中にはボス自らの勧めでビールを飲みながら楽しく働く、競争ゲームのように働く歩合制にてたくさんお金を稼がせてくれる、そんなユニークな環境も味わえた。
英語の習得は加速し、今後の旅の資金作りも進んでいき、本質的な目的である“旅を続けること”が果たされていった。
全てはなんとなくだったが、しっかり流れたように思う。
そんな体験でした。
※流れに乗っている人については、【まさに今UP!】運気が上がっている人の特徴15選&上げる方法をご覧ください。
流れに身を任せる方法

好転サイン:誘導
流れるままにすると力みがなくなります。
我の慢心、自惚れ、焦り、迷いが生まれなくなります。
これは自然なさまに対する抵抗がなくなる状態。
流れに身を任せる時、初めに嫌な出来事があり、それを乗り越えるとあることが起きます。
『誘導』
導き。
上述の体験で言うと、「あ、日本語だ、町を出よう!」となった直感。
目を瞑ってマップを指差したその位置。
新しい町で、「この住所に行け」と言われた他者の声。
「電話買おう」と思ったこと、「電話してみよう」と思ったこと。
全て誘導。
この誘導は現状を解決する道行きを教えます。
多くの人が「不平等だ!」と出ていってしまい、「宿泊代の利益が…」と他人事に悩んだ時も、どうしたらいいかわからなかったのでとりあえず「オーナーに謝ろう」と思ったのは誘導。
実際に行為したことで直接答えをくれました、「これでいいんだ!」と。
会社員の時の、「インドに行こう!」も、「海外を旅して周ろう!」と思ったのも誘導。
海外チームと関わるようになったのも、部署異動になったのも誘導。
それら誘導は好転サインになります。
誘導は直感、潜在意識、心の声、ハイヤーセルフの声、守護霊の導き、他者の導きがあり、パズルのピースをはめるイメージ。
全て見えない領域にあり、「なんとなくだけれども明確な感じ」があります。
例えば、なんとなく本屋に寄ろうと思い、なんとなくペラペラしてたら一文がピカッと光を見せる言葉だった。
この世は常に誘導で溢れています。

この誘導に沿って流れるままにするとうまく物事が運ぶという理解です。
といっても、やる気をなくして消沈する、川の流れに身を委ねて目を瞑ってアーということではありません。
誘導に沿って一生懸命行動すると、起きるべく事が起きて現状が解決、好転していく仕組み。
※運気アップの詳細は、【運気が上がっているサインは一つ】「なぜか幸せな気分」に潜むスピリチュアルをご覧ください。
誘導が見えてくる

車を運転していたら、「あ、なんかここ曲がった方がよさそう」
無視せず認識し、これを続けていると、
誘導が見えるようになってきます。

「あ、今の神社行った方がよさそう」と戻る。
「あれ、なんかあそこのお店に行ってみたい」と寄ってみる。
良いことがあるかどうかではなく、ただシンプルに誘導に気づくことが有意義でして、誘導は視える化されていきます。
そして見えた時、「今ここ」にいます。
誘導が見えてくると、良いことが増えているのを既に実感しています。
身を任せていると、明確に「今ここ」を生きる状態になります。
「今」も「結果」も善きものとなる

一方、結果を考えて動くことの方が一般的には多いかもしれません。
「これだけ痩せたいからダイエットする」
「いくら稼ぎたいからこの仕事をする」
大切なことだと思いますが、流れに身を任せる方法は今を感じて運気を上げ、物事を好転させつつ結果も善くする一石二鳥スタイルです。
実際に私の体験談で言うと、会社員時代の私は常に結果を考えて動いていました。
「これだけやれば評価され、評価されれば昇格できる」
「この資格を持っていれば仕事はまかされ、給料も上がるだろう」
これはこれで経験になりましたが、会社員時代と旅時代(や今の在り方)では比べることができないほど恩恵が違います。
結果を考えて動いていた時以上に、今を感じて生きると今この瞬間の豊かさもさることながら、結果的な『幸福度』が高いと私は明確に実感しています。
「あと100回同じ生まれ変わりですけどどうします?」と問われれば、100回全て旅する方を選びます。
幸福度が高いかどうかは自分に問いてみるとわかります。

自分に対して、「今の自分は、本当に自分だと認められる?」
流れに身を任せて行動すると、この答えは明確です。
「Yes!I can fly!」
※流れの変化については、【具体的に4選】人生の流れが変わる時のスピリチュアル&注意点をご覧ください。
最後に:流れに身を任せる
「とりあえずやってみる」
誘導に気づくと行動が変わります。
現実に対する姿勢が変わります。
「OK、Yes、はい、そうする、やってみる」が増えます。
すると自ずから、「ありがとう、嬉しい、助かる、楽しい」も増えます。
自分も喜びますが、そんな自分と関わる周囲も喜んでくれますし、関わりたいと思ってくれる人が現れます。
しかし、なんでもかんでもやる、なんでもYesと言うこととは違います。
あくまで誘導に従うのが主旨。
自分の中にある道を行くのが本質であり、何も考えないのではなく感覚と感性を信じるさまです。
その信じるさまが流れのままに身を任せ、一生懸命に行動している姿。
それは頑張って我慢して嫌々でも目的を達成するさまではなく、今を感じて生きていることを喜び楽しむさま。
旅館に行った際、そのまま帰ろうと思っていたのにご主人に言われる。
「ここまで来たなら、あそこに行ってみなよ、行った方がいい」
「それじゃあ、とりあえず行ってみよう!」
そしたら物事はうまくいく。
とってもシンプルですが、その前提に嫌な流れもあり試練もありというゲーム性あり。
人生も流れもゲームみたいなものですね。
そんな考え方を楽しんでいただけたら幸いです。
ありがとうございました。


















