心理と特徴

思いやりがない人の末路は成果と絶望【上がって下がる】

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心無い一言に心臓がえぐり落ちる、ボテ。

思いやりのなさは冷たい悪人だけでなく、優しい人、心の通わせ方がわからないだけの人もいます。

余裕がなければないほど相手を思いやってる暇なんてない、それより重要なことがあると思ってしまう。

そんな私たち誰しもが抱える学びが思いやりですが、誰に対しても思いやりがない、いわゆる思いやる気のない人が存在します。

性悪説?愛を忘れた?心を閉じた?

一体何があったのでしょう。

思いやりがない人は己を貫くことに行く末があり、ある大切な意味が潜みます。

ここでは、思いやりがない人の末路に迫ります。

  • 思いやりがないとどうなっていくか知りたい
  • 思いやりがないまま生きる末路を考えたい

今の時代、他者なくして生きられると思える環境があるので、思いやりは本当に必要なのか疑問なところもあります。

しかし、思いやりがないこと以上に、ないまま貫くさまに末路の真意が潜みますので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

思いやりがないとどうなるの?

思いやりがある人とない人の違い

思いやりがなくても問題ではないかもしれません。

例えば街中、前から来るおばあちゃんは荷物を持って大変そうにウンセ、ウンセ。

思いやりがない人は道をどかない、ドンッと居座る。

すると、おばあちゃんが避けていきます。

もしおばあちゃんにも思いやりがなければ、「おんどりゃー、私の状況がわからんのけぇ、ああ!」と怒るかもしれません。

おばあちゃんが避けた場合、おばあちゃんは自分に対する思いやりはあり、相手を責めた場合、自他共に対する思いやりがないとわかります。

思いやりとは相手にとっての利益を相手のために見出す働き。

どちらかに思いやりがあれば、何もなかったかのようにスーと流れていきます。

思いやりはなくてもなんとかなりますが、両方に思いやりがない時に問題になります。

思いやりとは、
[行為:与える]
[目的:相手のため]

他者に寄り添い、他者のために与える人は問題が起こらず、調和や愛の共有、お返しや貰いものが多いなど、親切や相互交流による人間の温かみが増えます。

なければいけないものではありませんが、あるかないかによって人間関係の利益、循環、作用、働きが一変します。

 

着目点:自己への執着

人間関係とはややこしいものですが、思いやりがあればそんなネガティブなイメージはなくなります。

しかし、もし同じように思いやりがない人同士が巡り会った時、火山が噴火する可能性があらゆる瞬間にあり、いつでもドーンといきます。

どうしてなのか考えると、答えは明確です。

思いやりがない人は自分を変えずに貫くためです。

[貫くvs貫く]は、車がドーンドーンとぶつかり合います。

着目したいのは、思いやりがないかどうか以上に、自分を変えずに貫く態度やメンタル(執着)。

自らを変えない頑固、柔軟性のなさ、正当化、余裕のなさ、はたまた現状で成功や利益を得て変える必要性を見出せない状態、全て自己への強い執着

自分の在り方にこもり、周りを見ない人ほど思いやりがありません

共感性がなく、調和や共有観念がなく、共同意識がありません。

自己世界にこもる人ほど周りを見ず、徹底的に己、己、己。

思いやりがない人は徹底的なまでに自らへのフォーカス、こもりがあり、因果律によって弊害が発生します。

 

思いやりがない人の因果①:我が強くなり続ける

自己中やわがままなど、自分しか見ない、見れない状態になるほど、他者を利用して巻き込みます。

干渉して使えなければ排他や攻撃を始めます。

思いやりがなければないほどエゴを増長させ、人を利用して使い果たせば次を欲し、生き血を探すような生き方になりかねません。

エゴによって我が強くなっていき、ひたすらに我を養う生活が霧のかかった世界で継続され、変化も成長もなくなり、自らを失い、地獄へ邁進します。

思いやろうとしてもできない状態であり、一切自らを変えずに貫いた結果、変える気も理由も意味も見出せなくなり、我を強める道のみが残ります。

 

思いやりがない人の因果②:矛盾による生きづらさ

自分のために優しい素振りや迷惑をかけない配慮はできるけれども、他者のためにはできない人の場合。

自己保持や自らを変えないための周囲からの影響の排他、損害回避、恐怖を味わわない対処が目的。

一人だけでは現状を貫くための理由や意味を見出せず、常に他者との比較による正否、良悪、高低、優劣の差作りが必須となります。

表面上は取り繕っても己を貫く在り方が強いため、正当化を図る思考や活動が多くなり、周囲や個を持たない在り方を否定するようになります。

自らを変えないための正当性を欲し、屁理屈を並べたり、自らを貫かない(自分とは違う)人々を批評し、既存の理論や概念を基に思考的に他者を「間違い」にしたくなります。

頭でっかちの自意識過剰、または自信がないからこその自信過剰になる。

または、自らをダメな人間だと否定し、自己肯定感を低くして世間を批判します。

外向か内向かの違いは人それぞれありますが、どちらも自己世界を正しいとみなした強固な密室空間が心の中にできあがります。

理論や効率のみを重んじた既存ルールや脳内プログラミングに従い、心ないと言われやすく、相手のことを考えられずに冷たい発言をしたり、いつの間にか睨んで見てしまったり、他者側の目線で物事を捉える能力が著しく下がります。

嫌われます

孤独になります

一人では生きられないので他者と関わらなければならず、関わりたくないのに関わらなければならないので生きづらくて苦しくなります。

自らを変えることはしないため、他者だけでなく世の中を批判し、どこまでも己を貫いて正当化を求め、自ら生きづらさを作りながら気づけなくなり、矛盾の中を巡る生き方が続きます。

 

思いやりがない人の因果③:戦いの人生

自己世界を極めるために行動し、努力する人の場合、思いやりのなさはそのまま戦い作りに直結します。

自己にフォーカスするからこそ能力を育み、才能を磨き、行動して、成果を上げます。

調和や共存という心の寄り添いがなく、人との関りは自己に貢献させるための道具

「雑談なんか無駄な時間だ。お主、その話は私にとって何の利益になる、答えてみよ!」

もはや、「この人を利用すれば私は得するぞ、へへへ」なんて企みはなく、人を物や道具や武器として扱います。

己の貫きが徹底的すぎるさま。

自己が絶対主観、変える気がない確固たる頑固。

嫌でも他者と衝突することになり、勝つか負けるか、潰すか潰されるかの世界に入ります

他者を物のように使用することに罪悪がなく、周囲に好かれようが嫌われようが本人にとって気にすることではなく、己を貫き、押し付けます。

自己主観のみの個の道へ入り、「勝ち」という成果や結果を目指して、抑圧されようが批判されようが戦い続けます。

思いやりがなければないほど、力を付けて勝ち、他者を負かせることにフォーカスし、戦い続けます。

これが人ではなく国であれば、すぐに戦争ボンボン。

勝てば人を好き勝手に使い続けられ、負けたらやっと気づくのかな、と思いきや。

思いやりがない人の場合、負ければ怨念や執念となり、許せないと嫉妬や執着を強め、自己との戦いも含めた自他両方とのいばらのバトルモードを展開していきます。

勝てないとわかっている場合、怨念を忘れないために悲劇の像を作り続け、教科書は執念の塊と化す、そんな陰湿タイプなど、バトルモードのスタイルは人それぞれに見られます。

 

思いやりがない人の末路

思いやりはなければないほど『個』が強まる

響きのいい言葉、「思いやり」

なければないでメリットは相当あります。

個の在り方(能力、才能、価値観、観念、生き方)を徹底的に推進でき、邪魔がなくなります

個の高まりは己を貫く最短ルートです。

嫌われ、孤独になり、戦いは増えますが、これらネガティブ環境でも生き抜く意志を見出し、生きる力を育み、自己を満足させるための努力を思う存分できます。

思いやりがない人ほど個を活かした能力は高く、他者を物のように使用してでも、それでも罪悪を感じないほど認識を制限してでも、成果を上げることを優先します。

個の高まり、とんでもなくアンバランスなのは否めません

格闘家のあの人、右アッパーだけ超強い。

野球選手のあの人、パワーだけA、走力も守備も肩もチームワークもE。

心理学者のあの人、知識量だけA、カウンセリングできない、人と会話できない。

しかし、戦い抜く過程で周りに何を言われても気にしない対処法や生き方を手にします

パワーAだけでも生きられるのは、周りを気にせず強みを解放でき、他者を使用して弱みを補えるからです。

戦略は徹底的に打ち負かすだけでなく、人によっては騙して最終的に成果総取り、巧みな話術で人を動かして勝利など、人それぞれに個を活かしたさまが見られます。

思いやりがないからこそ人を使用し、騙し、罪悪を感じず、違和感なくこねくり回し、人によっては人の使用なんてしていないと誤魔化し、人間ピラミッドの上でブランデーを飲んで笑えます。

個を貫き、他者を使用し、戦い抜く在り方は、今の社会では成果や結果になりやすいかもしれません。

成果を残せれば思いやりを持つ動機は見出しにくく、個の貫きは正当化でき、認識は偏り、戦えば戦うほど生き方は制限され、それを自覚できなくなり、最後の末路がやってきます。

 

最後に行きつく末路

己を貫こうと意図して貫く結果、個の高まりを得る引き換えに自然とあるものが身に付きます。

無関心です。

無関心は思いやりから最も離れています。

他者との共存環境では、突然事故に遭うなど無関心になるのは不可能ですので、なるべく他者と関わらない努力をするか、他者を人だと思わず(物や虫とみなして)使用するかの選択があります。

他者と関わらないために一人こもったり、洞窟で個を極めるなんて人は、他者を配慮しながら自らの利益も高める工夫をしているので、表立っていないだけで思いやりがあり、なおかつ頭もいい人です。

思いやりがない人は他者を使用して個を貫き、年々無関心な行動が激化していきます。

例えば、

  • 他者を使用して利益を得て、お返しする気は微塵もない
  • 自らの存在を知らしめるためにお金をばら撒く
  • 被害者のつもりで人のエネルギーを奪う
  • 欲求だけ押し付けて相手を傷つける
  • 通勤時間に電車に飛び込む
  • …etc

お肉を食べても命を頂いている感覚すら感じない人であり、他者を同じ生態とみなさず物や虫のように見下し、関わりを無視しながら自己都合で使用する。

元社長のなんとかゴーンとかトンガリコーンとか。

このような人の行きつく末路は一つだと考えられます。

個の完成です。

 

個が完成して絶望する

個の完成とは何なのか?

私たちは自分という存在すらわからず、自己を知ることさえできません。

自分とは自分のみではなく、他者との関りによって、国によって、特に自然環境によって構成されます。

「これが正しい、間違っている」という空想を楽しむのは自由。

しかし、答えは初めから最後まで存在せず、私たち人間は自然が誕生する前には存在しておらず、地球が終わる際にもおそらく存在していません。

無力な私たちの空想疑似ゲームに付き合ってくれる地球、「個の完成」と言えば笑われて地震が起こりそうです。

しかし、私たちには思考があるので、個の完成という思い込みを作れます。

個が完成した時に起こるのは、おごりであり、自惚れであり、謙虚の真反対

いわゆる、無知の無自覚という空想ゲームの完成。

個を見つめ続けると何もかもに理由を求め、意味を求め、答えを欲します。

それは他者を含めた答えではなく、自分が納得できるかどうかに焦点を合わせたアンサー。

個に特化すればするほど、戦い、他者を批評し、自らを忘れ、納得できる答えという空虚な屁理屈に従いながら、空想世界の外壁を強固にしていきます。

これが完成できたと認められれば認められるほど、その世界の中身は何にもないと認識せざるを得なくなります。

待っているのが、絶望です。

思いやりがあれば絶望は希望の架け橋になりますが、思いやりがないと絶望は絶望。

人間とは一人で生きられないと真に経験し、思いやりを育む始まりを切るか、絶望を真正面から味わい続けるか、人それぞれに選択が起こると考えます。

個を貫く結果は現状の地球破壊が典型例です。

メンタルの絶望だけでなく、物理的な絶望が待っており、人それぞれに早く気づいた人から思いやりを学んで実践しているのが今の時代かと思います。

 

まとめ:思いやりがない人の末路

末路が見出す意味には、個の大切さと、個だけでは貫けない人生の構造があります。

人間は一人で生きられず、一人で生まれることもできない原理、そして一人で死ぬこともできない(死んで影響するのは周囲の他である)現実を教えてくれます。

そんな原理の反発を貫くさまにあるのは破壊力。破壊者が己を自覚すると残るのは純粋な絶望です。

思いやりが示す理解とバランスの必要性、お役立ちとなれば幸いです。

ありがとうございました。

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誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. evina より:

    そうなんです、優しさをやりすぎなところがあります。
    しかもギブアンドテイクを期待する優しさなので、
    感謝されたい場面で感謝も得られず、それを愚痴ると攻撃される^^;
    ここでも愚痴を発散してますね、でも整理できたかも。すみません。

  2. evina より:

    >思いやりがない人の場合、負ければ怨念や執念となり、許せないと嫉妬や執着を強め、自己との戦いも含めた自他両方とのいばらのバトルモードを展開していきます。

    気の毒だと思い優しくしたせいで自己モンスターを作り上げてしまいました^^;書かれているように反省はなく怨念と執念で潰しにかかってきています。そこから逃げ出すには静かに去って行くしかないのでしょうか。盛り塩でもしたほうが良いでしょうか(本気です)

    • 北斗 より:

      関わらないに越したことはないと思います。
      悪霊ではないので塩効果はないかと。

      作り上げたと自覚がある以上、自分との向き合いのお話かもしれません。

  3. evina より:

    興味深く拝読しました。この思いやりのない人って「意地悪な人」「ずるい人」「わがままな人」「生意気な人」と言い換えられますか?

    • 北斗 より:

      「意地悪、ずるい」は難しいですが、
      「わがまま、生意気」にはなり得ますよ。

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