控え目で表立たない、気を遣い物静か、損もしやすくなめられる。
本人は目立ちたいと思っていない、「人前なんてそんなそんな」
そんな人の中には見た目と明らかに違うエネルギー、オーラを発する人がいます。
しかし、本人が気づいていないケースを多々見受けます。
「本当は強い」
そんな事実がより身近な認知になればと思いますので、ここでは素性と実情を露わにしていきます。
- 実は強い人の特徴を知りたい
- 強さの中身を知りたい
強さはソースとの繋がり。
気づくだけで心の余裕は一変するため、該当する方の自己理解を深めるお役立ちになれば幸いです。
それでは心の実情に向かいましょう。
実は強い人の特徴

実は強い人の特徴20選
わかりやすく強い人がいます。
生命力に溢れ、活力みなぎり、よく喋るなどアクションの多さ。
声が大袈裟、動きがダイナミックなど、近くにいると圧の強さを感じられる人。
一方、表立つ言動は控え目で、表立たない内面は全く控え目ではない人がいます。
これがここでお伝えする主人公、『実は強い人』です。
「元気なさそう」と思えても、目が違う、オーラがある、エネルギーが内部でふつふつとうごめいており、明らかに一般とは一線を画した精神内情が見られます。
1,何もしていないが意識される

「次のクラス対抗パン食い競争のメンバーは誰がいいかな?」
「うーん、小麦苦手君がいいと思う」
「え、俺!小麦苦手なのに?」
みんなの頭の片隅におり、理由わからず意識する対象になっています。
表立つタイプではない場合、周囲はあからさまな意識はしてきませんが、「本当は面白い人だと思ってた」と何かを感じ取っている人も稀にいます。
隠れファンがいたり。
2,目立ちたくないが目立つ

本人も疑問。
潜んでいるのにリーダーにさせられる、委員長にさせられる、そんな小学校の記憶があるかもしれません。
実際に能力が高い人でもあり、表出しにくくても何かしら特化したものを持っています。
3,才能と能力は高いが自己承認する気がない

実績や結果を残す、賞をもらうことも。
ですが、自分の才能や能力を承認する気がなく、表立って自負しない、価値の安売りが起きえます。
テイカーのかっこうの餌食になっても、「そんなに私の作品に価値あるのかな?」と疑問すら抱きます。
実際には自分のことを生まれてこのかた認めている人であり、あえて認める・認めないの概念が成り立たない人です。
4,控え目でありながら軸がブレない

一見弱そうでも確たるものを持っています。
愛想笑いやその場凌ぎ、おっちょこちょいで失敗が多い、ふざけるへらへらするなど、弱そうで下だと思われやすい言動もあります。
一方で内なる炎、軸の明確さがあり、主観と信念が動じません。
職場にいる部長あげだこ丸、みんな苦手。
この人に引くほど怒鳴られても自分のやり方を変えない、もはや翌日もう一度怒られている。
結局部長が折れます。
5,相手の方が諦める

静かで穏やかな風貌があっても、強い人は内面が全く静かではありません。
『一貫性』という絶対存在の持ち主。
都合よくこちらを変えてこようものなら、相手が諦める、妥協する、降参する、後悔することになります。
関わる相手は自らを見つめざるを得なくなり、こちらを責めるかを自らを変えるか、影響力になります。
6,気配を消せる

かくれんぼワールドマッチに出場できます。
ヌゥ。
「キャー!!!パリン、シャリン、プリン!!」
この瞬間に腰を砕いてしまうため、心臓に悪いとやいやされることも。
意識の向け方を内にこもらせる(どこにも向けない)のと、自分に固執した意識をなくせるスキルです。
イメージはキャンパスの自画像を消し、背景だけにできる力であり、背景に自分を馴染ませられる人。
この意識の在り方ができることは、[仲間想い(共同体感覚がある)+不安と恐怖を仲間にしているさま]を表します。
7,損しやすい、なめられやすい

自分は絶対的でありながら、抑えたり気を遣ったりと周りの配慮を忘れない人。
機嫌が悪くても表立たないように我慢するなど、“危険性のなさ”と受け取られ調子に乗られることも。
なめられ下に見られ、「何も言ってこないから何してもいいんだ」と思考停止した田舎猿に勘違いされることも。
内心、「心臓えぐり取ってエスカルゴに詰め替えてやろうか」と思っています。
8,ジーっと獲物を見る眼をする

人間を獲物だと思っている可能性があるとかないとか。
癖のようにジーっと見つめる。
人によって理由は変わりますが、一点集中してその世界に入っていたり、観察していたり、無心でただ見ていたり。
共通しているのは思考のない、感受のない、何もない無、空、虚を感じている。
無心になれる頻度の高さは集中力の高さ、シャドーの理解が深いことを意味します。
自分の虚無と向き合える人であり、見られる側は怖さを覚えます。
9,普段は怒らないが怒ると誰も対抗できない

怒りのエネルギーがとにかく強い、この人に怒られると心臓が取れます。
ポロッ。「はい、落ちたよ、ギラリ」と優しさか狂人性かもうわからない。
一度怒られた犬は、一生言うことを聞くようになります。
滅多なことでは怒りませんが、鬼のように怖くなる、何をするかわからない狂気があり、周囲は静まり返ります。
10,よく泣く、笑う、感動する

悲しみと喜びを人一倍感じる人。
よく泣き、よく笑い、人によってはよく感動もします。
ルールに従い自分を歪める以上に、自分の心を理解し、心を信じて感じ取り、行動にも移します。
できるできないを事前に決めず、とりあえずやってみる。
一日五時間の軽作業、週三でクタクタ、その辛さに本気で泣ける人。
それが弱さと言われても、隠さず露わにできる人です。
11,周りを気にしても「自分は自分」

周りを気にしてキョロキョロすると一見弱そうに見えます。
実は強い人の場合、気にしても結局気にしていません。
気にして傷つくのが嫌、怖いけど向き合えないから折れる、納得いかないけど貫けないから負ける、になりません。
「私は私だから」と、お弁当の中身は全部卵焼き、真っ黄色。
周囲の多彩なカラフルランチを横目に、カバンからキッコーマン醤油を取り出す。
「ボトルごと持ってきてる!コソコソ」
アクセントに欠かせないホワイトペッパーもふりかけ、弁当を手で隠しながらも、「うめぇ」と小声が聞こえます。
12,苦労を顔に出さない

苦労人でありながら、その風貌がない人。
「あんた苦労してないでしょ」と、認識力がなく民度の低い人から言われる始末。
反論しない、どう思われても構わない、何も言わない、黙っている人です。
13、返報性がはっきりしている

「貰った、得られた、喜ばしてもらえた」としっかり認識でき、お返しする気持ちを無視しない人。
どれだけ状況が悪くても、今は返せなくても、誰かに良くしてもらったことは忘れない人です。
義理も恩義も、相手を信頼する気持ちもあり、他者と共存する意志もある。
実は強い人にたくさん恩恵を与えた人は、後々大きな見返りを貰えます。笠地蔵みたいです。

返報性がはっきりしているので、嫌なことをされればその見返りもしっかり。やられたらやり返す人でもあります。
14,負のエネルギーが強い、毒舌

強い人はマイナスの部分を排他しません。
陰陽で言うとネガティブな部分、嫌なことがあれば闇を味わい、怒りも怨念も許せない念も生み出します。
ネガティブな感情を誤魔化さず純度100%で味わう。
戯言は発しないが、心からの批判や否定はする、なんて人です。
陰も陽も分け隔てなく自分の生み出す情に責任を持っている表れです。
15,めんどくさがりでもやる時はやる

やらない時はなんにもしない、な~んも言わなくなります。
ですが、やる時はやる人であり、情熱を注げるもの好きなものがわかると邁進し、衝動的に動きもします。
言う時ははっきり言う人でもあり、厳しさも持ち合わせているのが特徴的です。
16,変なことによく気づく

人が気づかないことに気づいています。
「え、そんな所に博物館あったの?しかも、展示品は全部虫の抜け殻?!」
「さっきのダルマの目の真ん中に、小さくうんちって書いてあった」
「普段の話し方の方が自然体でよく似合ってるよ」と突然アドバイスを言うこともあり、核心を突く発言をサラッと言います。
「なんかあの時言われたことが残ってるんだよな」と何年も心に届く発言をしていたりします。
17,喋ると面白い

ふとした一言、無意識の動作が面白い。
ワードセンス、タイミング、身体や顔の動き、間の使い方、毒舌やブラックジョークも好まれます。
内面におふざけする遊び心があり、「やってはいけない、恥ずかしい、常識的ではない」といった制限に縛られたくない思いがあります。
18,約束を守る、誠実

些細な約束も守る人。
約束を守れるのは自分と闘い、勝つ以上に負けないことができる証です。
平気で嘘をつく、約束を守らない、誠実さも尊重もない環境では精神を患う経験が増えます。
しかし、どれだけ落ちても心は死なせない。
心の細胞は傷ついて回復する経験によって、大きな心になっていきます。
19,癒しの力がある

内面に中性的なさまがあります。
男女性・陰陽の精神バランスを持ちます。
「こうであらねば、男は男、女は女」など周囲からの抑圧が重いと普段の力は隠れます。
しかし、一人になった時や自分らしくいられる環境では、中性的で人を癒すさまが自然と表れます。
例えば、「一緒にいると落ち着く、気楽にいられる、沈黙が心地いい」と言われる。
マッサージされたら眠っちゃう、話しているだけで元気になるなど、見えにくいけれども明確な恩恵を与える人です。
20,自分がされて嫌なことを他人にしない

強い人は相手を負かすのではなく戦わない、負けてあげられる人であり、自分には何があっても負けません。
痛みを知り、恥を味わい、不安も恐怖も嫌な気持ちをたくさん味わい、かつ無駄にしない人。
「先輩からされたから後輩にしてもいい、そういうものだから」にならない人。
自分で考える力があり、味わいたくない気持ちを誤魔化さず、他人を傷つけないように、迷惑をかけないように配慮する気持ちがあります。
自分だけ痛い思いをして損することは多くなりますが、見ている人は見ています。
以上が、実は強い人の特徴でした。
※強い人の秘訣は、本当に強い人の特徴はシンプルに地球の姿【本質的戦わない強さ】をご覧ください。
実は強い人の『強さとは〗

弱そうに見えても、強い人は心が干上がっていない
見せかけや強がり、他者承認の記憶で塗り固めた虚像でも、社会的ステータスによる自信という思い込みでもなく。
比較を条件にしたシーソールールや、威嚇する動物性でもなく。
内面の人間質であり、“心”が強い人。

例えば、気が強い人がいます。
気を張り、ガルルと言わんばかりに強気。
小鹿でも守るのかなと思いきや、熊が表れたら一目散に子を置いて自分だけ逃げる。

内面が強い人は気以上に芯の強さが目立ちます。
子鹿は何があっても助ける。
穏やかで冷静、余裕があり、表出せずとも明確な自分を信じる姿があり、謙虚さにも繋がります。
しかし、それは弱そうには見えません、明確に心が強い人です。

ここでお伝えしているのは、芯の強さによる道筋を辿る前段階、または別の新しい道を作ることもできる人。
強さが際立たなくても、はっきりしていることがあります。
心が干上がっていない。
※返報性が生きている意味、与えたら貰う、貰ったら与えるの相互意識があるさま
心は強い意志がないと簡単に干上がります。
簡単にアイデンティティを喪失し、恐怖におののき平気で己の信念をブチ折り、現実を誤魔化しながら己も誤魔化し、それに対して心が痛まなくなります。
こうなると心、精神は現実との直面を避けられるため、弱くならなくなります。
強くもなりません、なぜならばそこには何もない。
同時に返報性を失い、思考的に常識やルールをインプットして、「返さなければ、返してもらえるものだ」と計算、先読み、予測、契約なくして相互の繋がりはありません。
本当に強い人は心を弱められます。
それは心を干上がらせない強い意志があるためです。
※気と芯の強さの違いは、【芯が強いor我が強い】おとなしいのに気が強い人のタイプは天と地 をご覧ください。
心を死なせない強い意志

強い人は自分を信じ、確たる軸、一貫性があります。
『自己に対する絶対性』です。
心を重んじ、本質に基づいて生きることを見失わない精神を意味します。
精神の強弱は疲れやすさや傷つきやすさではなく、自分との繋がりを認知できる器や力、それを消さずに貫いてきた軌跡で表れます。
その軌跡がある人は自分の弱さを認め、無知や愚かさを認めます。
認めるからこそ自己肯定感は必然的に低くなり、控え目で、目立ちたくない、損することも増えます。
心を死なせないからこそ周囲の言動に一喜一憂しやすく、傷つきやすく、心が弱まりやすくなります。
しかし、そこには闘い、護る意志がありありと見えます。
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一方、現実は甘くありません。
心を一貫する働きは一筋縄ではいかず、脱落者で溢れます。
この社会でルールに縛られて生き、俗世で執着を増やし、因果を積み重ねる以上、絶対必須となるのは自分の精神・心を護ることです。

嫌でも自然と生まれる『抑圧』
躾も教育も常識も文化も習わしも全て抑圧。
尊重や誠実さがあれば心を護る必要は減りますが、なければないほど全て抑圧。

そんな中で生きると、言われたように自己をひん曲げ、認知を放棄し、心をグニャグニャした方が楽。
生きる道、人生スケジュール、未来の完成図、価値観に信念体形、在り方から性格、コミュニケーションツールから言葉使いまで全て準備されており、数十年後には感情のいろはも制御されるので何もしなくてよくなりそうです。
[楽]が思考停止、放棄、誤魔化し、逃避など『怠惰』になる場合、弱さを認めず向き合いもしないという本当の弱さになります。
※心に責任を持たず、心を薄める行為、仏教で言う悪
典型例がテイカーの自覚がない人、いわゆる返報性を失っていながら気づいていない人です。
多くは楽な道へ行くため、[1:他大勢]の縮図ができ、仲間が少ない、孤独を味わう、精神を患う、辛く過酷な時間を味わう可能性が増えます。
それでも心を死なせない、干上がらせない人は、傷つき、弱り、苦労しながらも、一生懸命闘います。
噛み締め、耐え忍び、乗り越える、または乗り越える時を待ちます。
変わらない本質、自分の絶対性、信じる気持ちを持ち続け、心を護り抜くのは、紛れもない強さです。
社会に揉まれて抑圧されながらも、自分の本質を護り抜く人が強さを持つ。
その証となるものがあるので、最後にお伝えします。
※強いと嫌われる件は、本当にメンタルが強い人の特徴と嫌われる理由【嫌われるからこそのメリット】をご覧ください。
[心が強い人の証]

明確なものとは、『独自性』
「この人だからこそのもの」があります。
一風変わっており、一般的ではない部分が多く映ります。
独自性をあえて意識したコピーでも、そう思われたい万能感や特別感欲求でもなく、個性。
なので嫌でも目立ちます。
ギョギョギョッーー!!
ギョッギョッギョー!!
と言っている方のように、自然なその人らしさがあります。
それは心を貫くさまであり強い意志の表れ。
強さのサインとなるのは、人としての面白さです。
喋ると面白い、動きが奇怪、センスが独特、間を使う、存在感におもむきがある…などなど。
人として興味深い何かがあり、面白味がフツフツと沸き上がります。
「この人、できる」
「全く喋らないが、なんか気になる」
「もしかして、職業ドロボー?」
面白味は時に反社会性にもなりますが、「つまらない」とは真逆にいる人、関わるとわかる直接的な体感、興味の煮詰め。
心が感じる寄りたくなる気持ち、心が干上がった場合には面白味として映らなくなる不思議なものです。

内面の強さは体感による面白味、人間としての興味を抱かせます。
弱そうに見えても強い人は面白いというお話です。
※精神の強さについては、【精神を強化するポイント】精神的に強い人の特徴に大切な核 をご覧ください。
最後に:弱そうに見えて実は強い人
私たち人間の本質は変わりません。
外部影響を受け、スキルアップ、才能や能力を高め、進化も退化もしていきますが、それらは全て肉付け作用。
根源的なソースとの繋がりがデフォルト、常に私たちは宇宙と繋がりながら、それを認知・認識できるかどうかの選択が委ねられています。
エネルギーは人間の根源的ソースであるため、自覚がなくても、隠しても、抑えても、見えないだけで潜在的には表出しています。
そんなエネルギーと繋がるための抵抗なき状態が心を護り抜き、自分として存在するさまです。
どれだけ弱そうに見えても、控え目で損ばかりしていても、内面の構築された基盤、心を死なせない覚悟と信念は光っています。
わかる人はわかります。
強さには鋭さ、硬さ、濃さを初め、破壊する力が印象的です。
柔らかく許す受容、寛容さ、寛大な懐や余裕も印象的だと思います。
一方、再生、回復、創造、改善する力もあります。
全ては相手のエネルギーを感じ取り、判断しています。
そこには強いだ弱いだの認知はありませんが、強い場合には認めたくなる何か、興味を抱く何かがあります。
心の感受、精密さは護り抜く人のみが保つ精神であるため、本人同士はわかり合える真正なるもの。
そんな理解、ご自身の強さを見つめるご参考になれば幸いです。
ありがとうございました。