生き方

【自分を下げない愛】人間としてレベルが低い人は相手にしないのが鉄則

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生きていればズバッといく時があります。

海外には才能や能力を持ちながらも発揮できない環境、国があります。

一方日本では、周囲に合わせてレベルを下げている人がたくさんいます。

反対に、自惚れて自分のレベルを理解していない人も多くいると思います。

人間に、「関わる大切さ」があれば、「無視する大切さ」「縁を切る大切さ」「相手にしない大切さ」もあるのがこの世。

自分を守れるのは自分自身。

縁を切る時は徹底的にたたっ切る。

ここでは、レベルが低い人は相手にしない、そんな鉄則について深掘りします。

  • 相手にしないことに罪悪がある
  • どんな人を相手にしないのか知りたい

そもそもレベルが低ければ相手にはなりませんが、あえて相手にすることで現実を歪めていたりしますので、実態を掘り下げながら進めていきます。

ご自身を守るための考え方としてお役立ちになれば幸いです。

レベルが低い人は相手にしない

レベルが低い人とは?

なんでも
なんでも

世の中は多性。

存在の前提には多層構造のこの世があると考えます。

ステージ、次元、精神、霊性、魂の違いは自ずから露わになります。

すると、「レベルが違う」「レベルが高い、低い」という認識が出てきます。

「ステージが違う、次元が違う、精神レベルや魂レベルが違う」などの表現になります。

このレベルの違い、バスケが上手い下手、足が速い遅い、テストの点数が取れる取れないとは訳が違います。

許容の違いです。
※受け入れる力でもある

レベルが高い人は許容が広い、許せる人であり、受け入れる人であり、心の広さ、愛があります。

レベルが低い人は許容が狭い、許せない人であり、拒否する人であり、心が狭い、またはない。

許容であることから、

レベルの違いは心の度量、物事や相手そのものを見る認識、眼力、共感力、思いやり、反省、自制、責任、自由度の表しでもある

※レベルは全員統一ではなく相対的であり、「私にとってこの人のレベルは高い・低いだろう」という見方

自らも許容があり、相手を見る眼を持つレベルになると、相手の実力や凄さを実感しやすくなります。

すると、レベルが高い人と一緒にいれるなら幸運、関わると尊敬を抱き、プラスの相乗効果が生まれます。

一方、着目はレベルの低い領域です。

低くなるほどこうなります。

レベルが低い人の特徴
  1. 許せない
  2. 感情と欲望の奴隷
  3. 心が狭い(または心がない)
  4. 相手を見る眼力がない
  5. 物事を見る認識力がない
  6. 思い込みと決め付けの塊
  7. 自己都合の世界にいる
  8. 縛り縛られている
  9. 思いやりがない
  10. 共感力がない
  11. 反省しない
  12. 自制がない
  13. 無責任

認識力がなければ自分のことを見れず、自分を知らなければ他人のレベルが高いも低いもわかりません。

感情と欲望の奴隷であるため、事実ではなくどう思いたいかの世界。

相手のレベルが低いと思い込み、「自分は上だ」と決め込む人も生まれます。

レベルの低い人間というのは個性もアイデンティティも事実もなく、中身がありません。

それでいて感情と欲望に振り回されているため、自惚れや調子に乗りやすく、恐怖心を与えると一瞬で静まりかえり、服従して他人にたよる重荷と化します。

 

典型例:嫉妬する人、攻撃的な人、無責任な人、恨む人

許容は人それぞれに容量があります。

時空という決め事による縛りがなく、今は許せなくても許せる人は必ず許します。

なんでも
なんでも
一方、その容量が限りなく狭い人はどうしても許せません。

許したくても許せない。

だからこそ代償を求める、お金でうやむやにする、なかったことにする、それもできなければ攻撃します。

許せない以上は心に残り留まり続け、邪念の材料となり、怨念にもなっていきます。

典型例が、嫉妬する人、攻撃的な人、無責任な人、恨む人。

紡ぐ縁あれば切る縁あり。

ぶった切っていい縁は無数にあります。

もはや相手にする理由を見つけるのが困難である、そんな深掘りをしていきましょう。

 

そもそも…レベルが低ければ相手にならない

なんでも
なんでも
大前提、レベルが低ければ相手にはなりません。

相手にならないというのは、影響受けが少ない意味です。

ブーン、パチ。

本を読みながらポリポリ掻いて終わり。

しかし、相手になっているケース。

「クソ、蚊め!出てこい!叩き潰してやる!」

許せれば相手になりませんが、許せなければ相手になりますし、相手にしたくなります。

同じ土台の表し、影響受けが多くなります。

「この人達はレベルが低い、やってらんない」

「私の方がレベルは高い、なんでこんな人といなきゃならないんだ」

境遇や環境や相手を許せない自分がいる場合、レベルが同じだからこそ関わっていると考えられます。

もはや相手よりレベルが下の可能性もあります。

こんなことを聞いたことがあるかもしれません。

「賢い人ほどバカなフリをする」

敵を作らず、素知らぬフリして情報を得る策になり、根を回しながら不利な状況を回避する戦略。

実際のところどうなのか。

おそらく賢い人ほどなんのフリもしません。

賢い人は賢くする必要も、賢くなろうとする必要もありません。

これと同じでして、レベルが違えば自分を相手に合わせたり、環境に合わせる必要がありません

同じレベルだからこそその場・その人に合わせた自分を作ろうとします。または、同じレベルになる意図や目的があります

このことから、相手になっている以上は同じレベルになっていると考えます。

しかし、全く別枠の人々がいることに着目です。

 

レベルを合わせている可能性

なんでも
なんでも
ここでお伝えしたい主旨がこれです。
  • レベルが違うのに相手に合わせている
  • 同じレベルに留まろうとする無意識の意図

レベルが違うのに相手になるパターンができます。

自分を相手に合わせたり、環境に合わせる必要が「ある」と思っている。

このような人が該当しやすいです。

レベルを合わせている人の傾向
  1. 謙遜
  2. 許しやすい
  3. 抑圧や我慢癖
  4. 自己評価が低い
  5. 他人と比較しない
  6. 自己犠牲的他者優先
  7. 誰しもに分け隔てない
  8. 断ることに罪悪がある
  9. 縁を切ることに罪悪がある
  10. 頼まれたこと+αができる
  11. 共感力があり、疲れやすい
  12. 気が合う人の絶対数が少ない
  13. 目の前にあることを大切にする
なんでも
なんでも
レベルが高い人、心が広く、許容がある人ほど人間関係における“価値”があります。

だからこそステージを合わせると利用され、執着され、依存されやすくなります。

優しすぎるのかもしれませんし、メンタルが弱いのかもしれません。

とにもかくにも、自分が与えていること、自分そのものの価値認識が薄い可能性があります。

と言っても、自分の価値認識が薄いことが問題という訳ではありません

着目は、価値を知る力もわかる気もない人々に与えたり利用される懸念です。

自分をないがしろにして、潰しかねません。

自分を虐める可能性に繋がります。

その理由があります。

 

レベルは高いから低くできる

レベルの低い人が高い人に追いつくには、これまでの自分にはない進化と開拓、恐怖の乗り越え、希望ある未知への踏み入れがあり、一線を越える努力があります。

努力なく追いつける場合は既に同じレベルだったことを意味します。

なんでも
なんでも
レベルの低い人は高い人に合わせられません。

レベルの高い人が低い人に合わせられます。

合わせるために必要なのは一線を越える努力ではなく、または抑圧です。

極端な例ですが、イエスキリストのように愛があれば、誰しもに合わせて関わることができるかもしれません。

しかし、そうできなければいつの間にか自らを抑圧して身を捧げており、心はボロボロ。

今の時代、物が溢れながら精神に余裕がない、そんな表面上は豊かでも内面が貧しいため、良かれと思っていたら知らぬ間に愛が抑圧になっていたなんて起きやすいので注意が要ります。

人は生きていれば出来事で絶望を味わい、精神は落ち、波動も下がりなどと一時的にレベルが下がることはあります。

いざこざやトラブルや葛藤があっても同じレベルであればお互いのためになります。

同じレベルでなければ生まれるのは依存と執着と我欲と彷徨いと歪み、そして虚しさ。

どちらのためにもならず、起きるのは現実を消したくなる虚しさです。

同じレベルであったら自分の価値認識があってもなくても何の問題もなく、むしろ両者のためになる苦痛や経験になります。

レベルを下げて関わることは強い意志、献身性や慈悲を持ち、人生を捧げる覚悟が要ります。

それくらいの働き、またはそれくらいの大きな余裕があってできる行為、するしないではなく、できるできないです。

 

レベルを低くしている人

レベルを低くしている人の見分け方

実際にレベルが高いのか、高いと思いたいのか。

この見極めが最も重要です。

中には、「下だ」と見下して自分を上に仕立て上げたい、同レベルの中で優越劣等の差別とヒエラルキーを好んでいる人もいます。

なんでも
なんでも
その場合、「相手にしない」ということはできませんし、相手そのものであるためお門違いになります。

該当するかどうかは、ある兆候にて見分けられます。

  • レベルが高いのに低くしている人は比較しない

「高低、上下」の差で自分はどう相手はどうといった比較をしません。

「自分は高い=良い」と認識しません。

「相手は低い=ダメ」とも認識しません。

そのため見下しになりません。

相手を蔑む理由になりません。

「自分は高い」「相手は低い」にそれ以上もそれ以下もない認識をします。

レベルが高い人ほど、「あの人は低いんだ、どうしようもない」となりません。

「低いから電車でギャーギャー騒いでいるのか」とはなっても、そこに許せない気持ちの基がありません。

同じレベル、または自らの方が低ければ、イライラや憤りに見下しや蔑みが入り、許せない気持ちを生み出します。

違いは明確であるため、見分けはシンプルに完了します。

 

レベルを低くしている人は怒らない、疲れる

なんでも
なんでも
もう一つわかりやすく表れる兆候があります。
  • 相手に怒りは湧かない、ただ疲れる

レベルが低い人と関わるとただただ疲れます。

波動に置き換えてお伝えすると、波動の低い人が高い人といると疲れます。

しかし、ここでお伝えしているのは波動が高くても低くして関わっている状態であるため、レベルの高い人が疲れます

レベルを低くしている側は怒りません。

怒るのは自分に対してか大切な人が穢された時、または仕組みや構造など対象は大きいものです。

レベルが同じ場合は大いに相手に怒ります

大いに相手に憤り、イライラし、発散します

レベルを低くしている人は怒りが自分に対してであるため、憤りもイライラも内部に向かい、ストレスをとても作りやすくなります。

かつ溜めやすいため、疲れやすくもなり、悪循環に入ります。

そんなことから、レベルが低い人を相手にしないのをおすすめしたい次第です。

 

相手にしない方法:自分の許容に気づく

嫌な人、苦手な人であっても同じレベルであれば話は変わります。

ここでお伝えしているのは既にレベルが違うので、気づくことが方法になります。

なんでも
なんでも

「レベルが違うんだ」

レベルとは許容の違い。

自分の許容が広いことに気づく。

気づくと、不安にて重しが乗っていた意識が解放されます。

すなわち、

[相手にしない=自分のレベルに気づく=不安を払拭する]

[不安を払拭する=自分の許容に気づく=相手にならなくなる]

潜在的に張り巡っていた不安が払拭されると、安心、希望、勇気、自由が戻ってきます。

そこには共通して、『愛』の認知があります。

あとはそのままに、心のままに、自分のままに存在すると、波動も高まります(元に戻ります)。

 

相手にしない方法:不安を払拭する

レベルを下げている状態では、知らぬ間に不安に覆われています。

これは自然なこと。

周囲が自分以上にエゴのある人間で埋め尽くされていれば、無意識に防衛が働くために自分のエゴも強くなり、不安を感じやすくなっています。

そのため、相手にしないためには自分のレベルに気づくと同時に、不安を払拭する必要があります。

不安は自分を下げる厄介なまやかしです。

変わることへの不安、潜在的なブロックがある人もおり、無意識にまたエゴが出てきて安泰を求めます。

不安のせいで心の直感を無視する可能性もあり、これまでと変わらない周囲、環境のままでいようとします。

「相手にしない」の意味は、「レベルが低い人といても不安にならない」と同義です。

難しい。

でもできます。

なんせ許容があります。

許せる人は許すと不安が消えます

正確には不安に飲まれない意識状態になります。

不安は三次元、許しは五次元。

心を持って相手を許します。

どんな発言も言動も許し、その自分を愛します。

もうレベルは違います。

相手は関われません。

新たに関わる人が表れます。

この時、自信のある自分になっています。

素敵な人になっています。

それは元々いたご自身です。

許す力を使ってみてください。心の大切さを噛み締めながら日々を味わえると思います。

心で生きる。

堂々と許し、自分らしくいることが、レベルに気づいた人のさまです。

 

縁は切っていい

なんでも
なんでも
関わりを切ることに申し訳ないと、罪悪が歯止めしている方がいると思います。

人それぞれに抱く気持ちは大切です。

ただ、関わる人は選択するものだと考えます。

相手にしなくていい人は相手にしなくていい。

この理由があります。

レベルが違うことをスピリチュアルに捉えると、存在そのものの意識階層が違う見方ができます。

次元が違う、魂レベルが違う意味です。

精神的に捉えると意識そのものの居る階が違う。

肉体に意識を宿して生きていると見る場合、この世は肉体の物理階層に縛られます。

肉体は同じ階層で意識は別階層になるため、レベルが違うとしても低次元の行為や意識を組み込めると関わることができます。

低次元の行為とは嫌々の我慢や抑圧、無知、意識とはエゴのことです。

これは見方を修行的にすると、エゴの体験記になり、次元を下げるからこそ知ることがあります。

ただ、

ここでお伝えしたいのは、そういった体験は同じ階層でできることです。

私たちはどんなレベルであれ全員未熟、全員エゴを持ち、どれだけ許容があっても身近な人を傷つけ合い、大切な人との別れなど突発的な出来事によって即座に奈落入りもします。

それら体験はカルマ解消でもあり、起きる出来事全てに意味があると思います。

しかし、無自覚かつ周囲からの抑圧にて意図なくレベルを低くしている場合、それはカルマ解消ではなく負のカルマを新たに生む行為。

次のステップへ向かうプロセスではなく、自分を虐める懸念があります

下に下に向かう負のカルマを新たに作る行為をやめる、これがレベルの低い人は相手にしない意味となります。

そのためにも、不安に飲まれない自分を作ることが大切。

許せる自分でいることを尊重するさまが、レベルの高い証です。

 

最後に:レベルが低い人は相手にしない

誰を相手にするかを考えることは、自分を大切にするだけでなく自分を知る、というお話です。

それは価値認識にも不安との向き合いにもなり、自らを見る機会になります。

同じ土台はどこか、合う場所はどこか、同じ人はいずこに。

これを知るためにも、ある層とは関わらない、相手にしない。

「蒸し芋もらえるだけで有難い」も大切ですが。

それをお腹いっぱい自分に与えることも大切。

「あの人にあげるなら、これからを担う希望の塊である子供に与える」も大切です。

私はこの考え方をします。

あの人と関わるならあの子と関わる。

あの人にあげるならあの子にあげる。

関わる人を選択するだけでなく、自らが与えられるものを把握し、与える対象も選択する。

持っているものが限られているので、私は迷うことなくそうします。

自分を下げないためにも、レベルが低い人は相手にしない。

それを決める時がいつかあるかもしれませんが、迷う必要なんてありません。

縁が切れる人は切れますし、切った方がいい時もあります。

これは綺麗事なしどうのこうのではなく、生まれる星があれば滅びる星があるように。

命の関わること以外、どうでもいい。

ご参考になればと思います。

ありがとうございました。

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