生き方

あえて執着を増やす大切さ6選【雑多な世俗を楽しむ生存戦略】

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精神に重きを置くと、世の中は執着助長制度真っ只中。

そこで明確に自覚したい選択が、世俗にまみれて執着と共に生きることかもしれません。

あえて執着を増やす環境に身を投じる意識は、精神性を高めるために欠かせない経験。

大器の基盤作りとなる、晩成を見据える大きな生存戦略。

ここでは、自分との向き合い、精神性を大切にする方へ向けて、執着に対する見方について考え方をお伝えします。

  • 執着を手放す意識がある
  • どう社会を見ていくか考えたい

雑多な世の中だからこそ育めるものがあり、意図的に苦しみを経験するからこその人間質があります。

奇妙な内容ですので、一つの考え方としてお楽しみいただければ幸いです。

Youtubeもありますので、ぜひご覧ください。

あえて執着を増やす大切さ

あえて増やす『執着心』

誰しも多かれ少なかれ執着心は生まれます。

自然の中で規律正しく生き、身を清め、心安らかに、余裕を持つなど。

環境を選び、誓約を課し、条件を付けると、ある程度執着を生み出しにくい状態にでき、精神を育むための基盤作りにしたりと工夫できます。

一方、執着漂う邪気の巣窟とでも言えるものが、私たちの住む物理社会。

煩悩に溢れ、己を失い、生きる道をも決められ、認知能力は制限され、知らぬ間に価値観を抜かれ、気づいたら背骨がない、エネルギーの道筋がない。

存在認知と他者承認を求める行為に忙しなく、時間と空間、ルールと常識、文化に美徳に縛り付きへばり付き、物事を考えることがなくなり思考停止。

思考停止していると気づくこともなく幻想の中で刺激を求めながら、脳内に電気を流すための外部影響を欲して今日も他人にすがりつく。

すがりついている罪悪と劣等を味わいたくないと不安と恐怖から目を背け、見たくないものは隠してしまえと現実を誤魔化し、認識はフィルターで多彩なカラー、これが今のオシャレ。

カラーの許容を条件とすることを多様性と言い出すトレンド文化は、数年後には別の言葉になっている、エコでもないSDG’Sでもない、次は地球資源共同意識、ESCCか。

空気を取り込みたくないテイカーの社会構造、潜在的に身体は緊張している、人々の顔がのっぺらぼうに見えてきたと思ったらそれは人ですらない、郵便ポスト。

もはやどっちでもいいとすら思えてくるマインド、精神、心の在り様。

そう、ここは俗世

歓楽、遊楽、金のため、寂しさを拭うため、権利を奪う行動を正当化して邁進する世の中。

心を失いながら心を満たすために承認欲求を満たそうとする矛盾は、まるで何もない空間で「アハハハ、楽しい」と虹色キャンディに包まれる光景。

気づいたら虹色の一部、けれども本人は気づいていない…。実際は床の上で目を瞑りながら笑顔で足をバタバタし続けているだけ。

優しい顔をしている人間ほど薄汚い内面、少しだけ知性を使える人間ほど世間の評価はなぜか高く、まるでいい人とすら思われている。

世の中は幻想、矛盾、もとい執着で溢れています。

そんな世俗とあえて親密に関わることにどんな意味があるのか

意図的な執着増やしは結果的に自らを高める重要な戦略ですので、理由を深掘りしていきます。

 

あえて執着を増やす大切さ6選

あえて執着を増やす大切さ:➀肯定する心の育み

なんでも
なんでも
執着とは我、エゴのことです。

執着心が増えるほどにエゴが強まり、波動が下がり、邪気が増え、イライラ、寂しさ、許せない念、妬み、嫉みのマインドを強めます。

執着は煩悩のもとであり修行を妨げる厄介、という見方があります。

一方、捉え様を変えるとこうなります。

事実を見れない、現実を認められない状態を作る役目。

あえてこれらを作る意識は、遅かれ早かれそれを乗り越えると知っている表れでもあります。

どんな世の中でも事象でも、あらゆる物事を認めることは現実を歪めないありのまま。

そのままをそのままに干渉しない現実の尊重。

老子の言葉、『無為自然』です。

無為自然:

作為がなく、宇宙のあり方に従って自然のままであること。

※コトバンク引用

無為自然に向かうプロセスの一つが世俗との関わり、執着の多い環境に身を起くこと。

現実を認めがたい環境だからこそ、不安と恐怖をまざまざと体感し、克服対象を見定められる。

辛く苦しい経験は必然的に増えますが、それら経験則があればあるほど乗り越えた際に見える世界は爽快聡明。

克服の道行きは厳しく険しいものですが、あえての執着増やしは長期的に見ると果報に溢れた世界を見る眼を育む機会作り。

自分を試すキャンペーンになり、無為自然へ向かうための創造です。

現実を見る、見れる自分になるために執着心を増やすのは、精神を高める本質だと考えます。

あえての意識が潜在的でもどこかにある人は、執着の多い状態に違和感があります

無為自然への道の始まりは、現実を認められない自分を認めること。

[自分が、自分を肯定する]

この俯瞰や客観が無為自然の道行きに入るための意識を作ります。

無知の知があって初めて知に向かえるのと同じ仕組みです。

執着心を意図的に増やすからこそ構築できる心の細胞作り、心を大きくする方法です。

 

あえて執着を増やす大切さ:➁否定の質が高まる

なんでも
なんでも
上述、肯定の心の育みによって、事実を見る眼がクリアになります。

「グミのあの色ヤバイな、あの優しさには裏がある」
「乳飲料を牛乳っぽく売ってるぞこの会社」
「80%衣じゃん」

事実が見える人ほど否定心が増えるのは当然だと思います。

ただ、肯定できる人(執着心を手放せる)の否定と、肯定できない人(執着心を手放せない)の否定は天と地です。

否定する意図、中身がまるで違います。

執着を手放せる人の否定は事実を見つめ、改善や肯定できる状態へ向かわせるための“想い”があります。

否定は否定でも心があり、質量ギュウギュウのエネルギー、意思、気持ちがあります。

言葉巧みかどうか関係なく、否定心からの言動は心臓がぶるつき、時に恐怖をも感じます。

一方、執着を手放せない人の否定は中身がありません。

現象としての事実が見えている場合もありますが、意思がなく、気持ちがなく、代わりに邪気や邪念という負の思考や私利私欲のための企みがあります。

自己利益を得るための否定であり、不安を煽りながら何も解決に向かわない、向かっても一時凌ぎで継続性のなさが際立ちます。

はりぼての虚像であり、周囲のエゴや我欲を助長する害迷惑。

企みのこもった否定に肯定する気持ちなどなく、私利私欲を満たす我欲が届くのは不安になりたい人の脳を煽り、微量の刺激を誘発させることくらいです。

気持ちのこもった否定は肯定する気持ちがあるからこそのもの、届く人には明瞭に届きます。

 

あえて執着を増やす大切さ:③受け入れる許容が広がる

なんでも
なんでも
執着の多い環境に身を投じると、利他の心から離れた自己都合の世界にこもり、心が満たされないさまが顕著になります。

あえてブラック企業で働く、あえて嫌いな人と関わる、あえて苦手な環境で過ごす。

そういった経験を増やすと利他の心から離れるために、強い抵抗感や罪悪、喪失感ができ、自分を見失う経験をします。

この経験にて息苦しさや生きづらさ、絶望や挫折を味わうことが、本来の自分を取り戻すきっかけになります。

人それぞれに転換期があり、その後は物事を受け入れる気持ち、思いやり、利他の心が芽生えます。

それは元々持っていたものですが、執着を増やす経験によって物事を見る幅、深さがより広がり、受け入れる許容と質が高まります。

愛情溢れる他との関わり、自然を見入る感受、感動機会が増え、快い心同士を繋げる人間関係が生まれていきます。

愛の深まりです。

 

あえて執着を増やす大切さ:④世の中を楽しめる

なんでも
なんでも
あえての執着増やしは、この世の事実や真実を見る眼識の育みになります。

実相が見える人には、肯定と否定する『心』があります。

この心の大前提は、そのままをそのまま見る、認める無為自然、ナチュラルリアリティ。

「そういうもんだ、くそっ」ではなく。

「そういうもんだ、よし」

この肯定があると、「嫌だけどしようがない、そういうもんだからやるしかない」になりません。

「やるならやる、やらないならやらない」と明確に選択と責任が生まれます。

嫌々の我慢や頑張りをする必要がなくなるのではなく、必要がない世界を自分で創るようになります。

「ここで働くと決めたんだから、やるからにはスキルアップするぞ!」
「人間関係はややこしいけど、みんな一人一人に才能があって、素敵な部分がある」
「でもどうしようもない部分もあるから、それされたら思いっきり言ったろ」

縛りや誓約がなくなり、世の中の見方が変わります

やったことがなければ試してみる、挑戦する気持ちが強まります。

食べず嫌いがなくなるように、事前の決め付けや思い込みにてストッパーをかけていたものが外れ、「マックでも行ってみよう、何か新しい発見があるかもしれない」

「パチンコ屋はどうだろう」
「映画館でポップコーン食べてみよう」
「株でもやってみるか」

億劫なく率先して挑戦、何事も試して取捨選択。

起きるあらゆる物事から得られるものが増え、一つ一つの出来事から吸収するものが何かしら見え、生きていることがイベントのように楽しくなります。

家の中にいる虫、窓から見える鳥、夜な夜な飛んでいるカナブン、実は屋根裏に住んでいる猫とタヌキ。

「この世はペットという関係性でなくても、自然と多種多様な生命と関われるんだ!」

多様な生物、生態、美しい自然があり、木々は風と共に音を奏でる一体化遊び。

娯楽施設も生活恩恵のスーパーもあり、この世は常に[他]との関わりで溢れており、一人でいるなんてことは到底できない。

「ブーン、バチッ」
「いてっ!頭に直撃かよ。おいコガネ、何してんだ?」

いつまでも頭の上を歩き続けているコガネムシ。

今日も私の人生の記憶になっている。

「地球は多用な生命との関わりで溢れているんだな、あぁ、生きてるって楽しい」

 

あえて執着を増やす大切さ:⑤本当に好きなものがわかる

なんでも
なんでも

事実を肯定し、そのままをそのまま見ると、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。

嫌いだとしても、何かをきっかけに好きになり、反対も然りです。

物事が自然と流れていくように、心も認識も流れながら変化していくさまがよくわかるようになります。

あらゆる物事がクリアに見えるため、本当に自分の好きなものがわかります。

「私は着物が好き」

着物を見るのが好き、作るのが好きな人もいるかもしれません。

プロになる必要も、それでお金を稼ぐ必要もなく、したいならすればいい。

事実を肯定する世界では、プロもアマチュアも素人も関係なく、あるのは、「好き」「どれだけ好き」「これくらい好き」

これだけです。

好きだから極める人もいれば、好きだからただ見ている人もいる、好きだから夕方1時間の趣味にする人もいる。

「ただ好き」という事実をそのまま肯定するシンプルな姿です。

あえて執着を増やしたからこそ、あえて苦しみや辛さを買って出たからこそ、物事を肯定して見始めると執着の手放しと共に好きなことをする時間が増えます。

嫌なことも嫌だと認められるからこそ、「好きなことがあるから嫌なことも楽しめる」と工夫にも繋がっていきます。

本人にとって良いか悪いか、好きか嫌いか、受け入れるか拒絶するかが明確

だからこそ“良い、好き、受け入れる物事”は、エゴだろうが欲だろうが、情に流されていようがなんだろうが取り入れる。

肯定できる人は社会で生きるも、インディアンのように自然の中で生きるも、僧侶のように規律正しく生きるも、楽しそうです。

何歳になってもなんでもできる、「今月はジムにでも行ってみようかな」

 

あえて執着を増やす大切さ:⑥静かな暮らしになっていく

なんでも
なんでも
執着はあるからこそ手放せます。我(エゴ)は強いからこそ手放しも飛躍的になり、精神性が高まります。

執着に飲まれると静かに黙っていられなくなります。

寂しいので人のいるところにいたい、つまらないので誰かから利益が欲しい、何も用はないのにお金を使うなど、不安回避の活動が増えます。

人に自慢したい、承認欲求を満たしたい、支配欲がうずくなど、“騒がしさ”が際立ちながらその自覚を持てません。

あえて執着を増やしたからこそ、これら“騒がしさ”は自然ではない、馴染まない不合致だとわかりやすくなり、客観視にて自覚できます。

その事実を肯定して手放すと、

精神の高まりによって一つ一つの意味、所作を重んじるようになります

「今どういう呼吸をしているか?」

「どうしてカップをそこに置いたのか?」

そして一つ一つの事実や現実に目を向けます。

「洗ったお皿の積み重ね方はこんな感じ」

「あの人は笑顔で歩いている」

「このナスの味は実に美味い」

些細なことでもそこにある事実を見つめ、感じ、味わい、経験側になっていきます。

日常にある言動や経験に目を向ける人は執着が少なく、我と乖離があるために客観視、冷静さ、落ち着き、穏やかさ、そして遊び心が溢れます。

小さな幸せを噛み締め、ふとした物事の意味、運命性を感じ、心の平穏を見出します。

誰に会うでもなく、パートナーがいれば二人の時空、毎朝のコーヒーを湖畔で噛み締めるように、生きていることが幸せそのもの。

それはとっても静かな暮らしです。

 

[あえての執着=修行]

なんでも
なんでも
『修行』です。

修行する人には大きな目的や使命があり、遅かれ早かれ気づく日がやってきます。

目的を達成するフェーズに昇れるだけの技量や許容、人間性を身に付けるために自己を成長させる必要があります。

そのために仏門をくぐり、森にこもり、洞窟に住み、部族と生活するなど、いわゆる修行っぽい修行を選ぶ人もいると思います。

一方、瞑想の本質は場所や時間など環境問わず、いつでもどこでもできることであるように。

瞑想を山奥の静かでエアコンの効いた場所でできるか、野ざらしで蚊だらけの森の中でできるか、はたまた満員電車の中でできるかのように。

淀みも荒れも静寂もある大海に飛び込み、多種多様な人々・物事に揉まれながら自分を見つめることは本当に大切だと思います。

調子に乗っている人、自分を見失いながら誤魔化している人、着ぐるみを身に付けながらチャックがあるのを忘れた人。

病気の人もいる、身分で差別される、納得できる訳がない不条理、理不尽な環境。

・ブラック企業で働くからこそ

・欲にまみれた街だからこそ

・人混みを味わうからこそ

・便利で溢れた都市部だからこそ

・村八分する陰惨集落だからこそ

・仮面を被った人間しかいないからこそ

・見栄と競争と自己利益のみのテイカーの巣窟だからこそ

私たち日本人の多くはどこに住むも、海外にいくも、何をして生きるも選べます。

にもかかわらず、意図してドブ臭いヘドロの中に入る意志がある人は勇敢な修行者。

本質を見たい方だと思います。

障害や弊害の多い境遇や環境での実現には、これまでの認識とは違う新たな世界の広がり、心の細胞増やし、真実の開拓があります。

探検家、冒険者など、創造者にとってあえての執着はこれ以上ないほど重要。

自分を見失いながら切磋琢磨し、工夫しながら生きることは強さそのものだと思います。

その強さこそに実相を見る眼識が培われます。

実相を見つめる心の育みは、周囲が何と言おうが結局楽しい。

 

最後に:あえて執着を増やす大切さ

日々が学びと成長機会で溢れている、そんな雑多な世の中は貴重な環境そのものだと思います。

私が海外を旅して気づいたのは、日々を有難く生きることの事実でした。

大きな経験も大切ですが、日常の些細な出来事一つ一つにかけがえのない経験があったりします。

その認識世界を作るためにも、あえての修行をされている方はいると思います。

肯定が難しい状態にいながらも肯定できることに本意があり、これができるまでには辛く痛い経験と、その乗り越えがあります。

社会構図を楽しむ外面として、執着の中でエゴに寄りかかって脳をまやかし、刺激を得ることでの楽しさとは似て非なるものです。

ドブの中であると気づかず幻想を見る楽しさと、ドブの臭さを痛感し、現実を認めて楽しめるものを楽しむ、この違いは明白です。

幻想の中は刺激的で一見楽しそうですが、現実の中での楽しさは一線を画します。

空騒ぎはなく、常に中身があり、おふざけがあり、遊びがあり、誠実で、尊重あり。

心が躍る楽しさです。

修行は心のため。

大海原に飛び出す勇者は、心を重んじ、心に生きる。

どれだけ辛かろうが、精神が壊れようが、心は死なない意志がある。

自分を信じて、今日も修行。

全ては事実を、現実を認める世の肯定。

みんなが求める普遍の欲求、遊びだと思います。

それでは、ありがとうございました。

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    POSTED COMMENT

    1. おたん より:

      北斗さんは身体は軟らかいのでしょうか?
      軸はしっかり持っていますか?
      精神性が高い方の身体の構造の統計データが欲しく質問です

      • 北斗 より:

        私の精神性が高いかどうかは定かではありませんが、
        個人的なヨガやストレッチはしているので柔らかい部分はだいぶ柔らかく、運動もしているので硬い部分は硬いと思いますよ。
        軸はどうでしょう、うーん、自分ではよくわからないです。
        そんな具合です。

        • おたん より:

          冷静に自己診断が出来ていて、また無意識もしっかりと意識化された回答を下さり…素晴らしく感じました

          精神性の高さ、と一言で言っても
          高い低い=比較思想
          ですから
          (特に高すぎる方は一般人には非常識に写りがち)
          やはりもう既にその次元はとうに超えられていらっしゃいますものね

          ご丁寧にありがとうございました
          心を突き詰めていけば身体も追従していきますよね
          参考にさせていただき、これからも心身ともに鍛え上げていきたいと思います!

          あ、あと軸に関しては引力を意識した生活をされていらっしゃるでしょうから自然と出来上がっていると思いますよ

          • 北斗 より:

            なんとも、お褒めの言葉、感謝です。
            お役立ちになれて何よりです♪
            気楽に進んでいきましょう。

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