生き方

【無感情になる方法】感情をなくしたい時に一石二鳥の行動

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感情をなくすのはとても大切で楽しいことです。

世の中の社会性というルールの中で、他者との人間関係があり、日常的に喜怒哀楽の紆余曲折、上下変動に揺さぶられ翻弄されながら生きている私達人間。

いっそのこと感情がなければいいと思うのは自然です。

無感情と言うと少し人間味を離れたように思えるかもしれませんが、自ら進んで無感情になることは楽しい遊びになり、人間の本質理解に繋がります。

ここでは、感情をなくしたい方を対象に、なくす方法をお伝えします。

  • 感情をなくしたい時に大切な自己理解とは?
  • 感情をなくす仕組みとは?
  • 具体的には何をする?

これらを知っていただくと、感情をなくすための行動には、「感情をなくしたい」と思う原因の解消が伴っているとわかります。

私自身が無感情になる時の理解も含めて、一つの考え方としてご参考にされてください。

初めに:感情をなくすための理解

感情をなくしたい目的の明確化

雑多な世の中です。嬉しさや悲しさ、喜びや怒り、喜怒哀楽の感情があると翻弄され、ストレスになり、疲れ、自己理解を失い、喪失してしまう可能性もあります。

嬉しいことがあったと思ったら嫌なことがあり、持ち上げるだけ上げといてズーンと下げられる。辛いことが多く、悲しみだらけ。

毎回毎回であれば耐えられる限度を超え、感情に翻弄されることも起きます。

ここで注目したいのは、「何に耐えているか?」

自らを支配したい欲です。

 

自己支配欲があると感情は邪魔になる

支配欲を他者に持つ人もいますが、自らに対して持つ人もいます。

自己支配が強いと、自らの抑制・抑圧・制限・ルール化・完璧主義・生真面目・思考過多になる傾向があります。

自らの在り方を決め、コントロールを欲し、感情も支配したくなります。

許しが出た時、「これは嬉しいタイミングだから嬉しくなっていい」「これは怒るとこだから怒っていい」と感情発散が許可されます。

しかし、許可なく感情が表れるとコントロールできず、好き勝手に表れると自分を把握できず、まるで糸で踊らされるように大きな違和感と反発を感じます。

「勝手なことをするんじゃない」と自らに突きつける憤りが生まれ、怒りたくないのに怒ることで憤りのサイクルが止まらなくなります。

自己支配欲が強いと感情コントロールができなくなり、自らが自らに翻弄されるように思え、感情をなくしたくなります。

起きるのが感情に対する拒否。自らが自らの感情に対して拒否します。

 

感情をなくしたいのは自責の変形型

「自分」という存在への責任を持つ人間性があり、自らのことは自らが世話して対処する意識があります。

思考や行動を自覚して責任を持つさまを自責と言いますが、自責が強くなっていくと支配できなかった時に自己対処できない憤りを感じやすくなります。

自責が変形していき、自らの責任を持つのではなく、自らを自己ルールに収めて管理する可能性があります。

「感情をなくしたい」と欲するのは、管理ができない状態への憤りと、コントロール欲求の強さによる疲弊の激化にうんざりしているからと考えられます。

コントロールできずとも支配欲は変わらないために、管理できない感情は不要なものとして強制シャットダウンを欲する状態。

これは私自身の経験も含めた理解ですので、ここに該当しなければこれ以上読む意味はありませんのでここまでです。

該当する方はこの先から詳細へ入りますので、見ていきましょう。

 

感情をなくす仕組みは二つ

感情の定義にはさまざまなものがあり、本能的な感情(無意識的)もあれば思考的な感情(意識的)もあります。

出来事の反応として感情が発生し、認知行動心理学では信念体系にある観念(信じて疑わない自分ルール)に応じて感情の捉え方が変わると言われています。

進化心理学では、内外の刺激に対して自動的に発動し、環境に応じて素早く行動するための適応が感情の仕組みと言われます。
※Wikipedia参照

少しわかりにくいかもしれませんが、何か出来事によって「刺激」が起きた時に感情は自然と発生し、無意識のものもあれば意識的な感情もあるということです。

感情は肉体反応として、トラと遭遇した時に、「あ、トラ、ヤバい、怖い」というように脳が自動的に作る無意識のものもあるので、生存本能などなんらかの欲がある以上は発生します。

感情をなくすのは困難そうです。

しかし、「どうも感情をなくすには脳の扁桃体を取ってしまうしかない」と思うのはまだ早いです。

 

感情はなくせずとも感情をなくしたい目的は叶う

[出来事に対する反応=感情]ですので、日常生活は誰しも感情で溢れる環境です。

そんな感情をなくしたい目的は一体何でしょうか?

  • 管理できないから煩わしい
  • 感情に翻弄される自分が嫌い
  • 嫌なことが多くて受け止めきれない
  • 無感情で何も感じないことが楽そう

目的は感情が発生すると起きる自分の不利益をなくすことに集約されると思います。

不利益とは自分の不満足や不納得があるさまです。

どんな目的でも感情をなくしたいと欲する場合、明確に欲があります。

欲があると感情を生み出す目的が作られてしまうので、意識せずとも感情が作られてしまうように思います。

私自身を観察すると、一切の生死に関する欲がなくなった時があるのですが、その際を洞察すると生きるも死ぬもどっちでもいい状態にあるのは、無感情ではなく感情をもろに感じまくる状態でした。

感じまくる状態は、生死への欲がなくなるから起きるのではなく、自分に起きていることを一切隠さずに認知する状態。

感情をなくしたいがある以上は感情がなくならないため、「感情によってもたらされる不利益をなくす」という考え方が得策です。

不利益をなくすために感情をなくす場合、二つの考え方があります。

感情をなくす二パターン
  1. 感情を抑圧して感じていないようにする
  2. 感情を受け入れて直ぐに流す

一つずつ見ていきましょう。

 

①感情を抑圧して感じていないようにする

一つ目は感情をギュウギュウに抑圧する仕組みです。

「欲がない(またはあるのかないのかわからない)」と思える状態にすると、感じていないと思えるようになります。

具体的には、「生きてても死んでても同じだ」と思う状態です。

生きる欲がなくても感情は発生してしまいます。

潜在意識があるため、無自覚に内臓器官が動いてお腹が空いて喉が渇いてトイレに行ってお風呂に入りたくなるように、コントロールできないところに欲がたくさんあり、感情を生み出します。

潜在的には欲と感情はありながらも、顕在意識では感情を自覚しなくするのがこの仕組み。

刑事が死体や認めたくない事件ばかり扱うので、精神崩壊を防ぐために感情を自覚しないモードに入るイメージです。

この例となるのが、生きたい欲がない人です。

 

無感情で生きたい欲がない人は欲を一つに集約する

あえて自覚しない心理。

感じたくないものを完全に抑圧することで感情をなくし、欲を自覚しない状態をキープします。

自覚がないのでこれが本人にとっては自然なさまとなり、過去のトラウマや心の傷が深いなどの記憶を思い出さないために、記憶と感情を共に自分の中に封印する人はこの対処法を使用します。

無感情になることで傷を負わず、感情に翻弄されず楽になり、引き換えに過去のことが思い出せなくなり(自己対処のために潜在的に思い出さないようにしている)、欲しているから行動している自覚がなくなります(吸いたいから吸っているタバコを自分の意志ではないと思い込むような)。

感情をなくすには、抑圧して感情が暴れても封印できるほどのとてつもない我慢力(忍耐ではなく嫌なことに耐える力)を要します。

我慢によって自らの中に感情を封印し、二度と出さない制約を自らに課す方法。

必須になるのが感情をなくすことに利益を見出すです。

「感情をなくすために生きたい」と言わんばかりに一つの欲に集約し、他は何も求めない覚悟によって、無感情だと思える無自覚にする仕組みです。

強靭な我慢力を要するため、これから我慢力を育むのは何十年かかるかわからず、滝行からスタートというお話になってしまいます。

※感情をなくすために抑えると起きる詳細は、感情を抑え込む癖に潜む「自分」│抑え続けると起きる爆発防止策 をご覧ください。

 

②感情を受け入れて直ぐに流す

ここでお伝えしたいのはこの仕組みです。

①とは全く別の概念であり、発生している以上、感情は感情として全てを受け入れてしまいます。

感情によって翻弄されたり、自己管理できない憤りや、嫌な感情ばかりでストレスや疲れなど我慢の限界になる場合、自らの感情に対して反発があると考えられます。

自らの感情を受け入れない拒否です。

感情拒否は自己否定と同じ意味であり、拒否にて反発を作ることで感情によって不利益を被るという行為になってしまいます。

例えば怒った時に、「私は今怒っています」と認めると感情への拒否は起きません。

しかし、「なんで怒りたくないのに怒ってるんだよ」と拒否すると感情によって不納得と不満足を作り、いつまでも納得いかず怒り続けます。

受け入れるとこうなります。

「はい私は今怒りたいのね」
「ムキー」
「はいもういいでしょ、終わりね」

怒りの時間は終了です。

この受け入れの時間を短縮していくと、[0.何秒]の世界になります。

一瞬怒って終わらせ、もう過ぎた話として何もなかったかのように過ぎていきます。

感情とは自己表現ですので大切な時間ですが、必要ない人にとっては不必要ですのでサーッと流すことで、「もはや感情がないのではないか?」と思えるほどコントロールが速くなり、周囲からすると無感情に思われます。

感情の受け入れを如何に速くするかであり、如何に速く流すか。

実際に感情を観察して扱うとわかるのですが、この仕組みは楽しい遊びです。

それでは、実際に感情をなくす方法に入ります。

※感情が入ってきて困る場合は、【他人の感情が入ってくる仕組み】強すぎる共感力のコントロール方法forエンパス をどうぞ。

 

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無感情になる方法

無感情になる方法:感情の受け入れと流し

感情を受け入れる速度を速め、速く流すのが無感情になる方法です。

認識に対する固執、縛り、自己ルールを撤廃する必要があります。

認識とは感じたり、考えたり、想ったり、判断したり、評価したりのさまです。

認識への縛りは全て欲に基づきます。自己管理や自己支配、認識を決め付け、思い込む自己ルールは全てポイポイッと投げ捨てます。

一旦肩の荷をゼロまで降ろすイメージです。

感情を受け入れるためにはこれら自己理解が大切ですので、欲があること、欲によって認識を固めていること、欲によって感情から不利益を作っていることを自覚します。

感情とは無作為に他の影響や自らの観念や価値観によって自然と表現されるので、自然なさまを自覚して、感情そのままに干渉しない意味です。

あらゆる認識の固執がなくなると、常にあらゆる感情を感じて生きていると気づきます。

感情との向き合いに拒否が多いと不利益が多く、受け入れが多いと感情への干渉がなくなり、直ぐに流して感情に左右されなくなります。

このために自己理解を深め、認識を把握する自覚が大切となりますので、具体的な方法をご覧ください。

 

無感情になるために①:感覚は抑えずに発散

狙いは感情をとにかく感じる自分を作ります。拒否のない自然な状態に近ければ近いほどにあらゆる感情を常に感じているとわかります。

自覚していなくても常に何かしらの感情があるので、抑えずに発散して外に出します。

外に出すとは、「あ、今イラっとしている」「今悲しいんだ」とそのまま認める意味です。

 

無感情になるために②:感覚認知力を高める

感情を受け入れやすくするために五感を鋭くします。

五感は感情以上に四六時中感受しており、目を使用することがほとんどだと思います。

実際には目も使用しておらず、視界を主体に思考を巡り、脳にある過去の記憶にて風景を構成し、認識を彩り、見る世界をかたどって記憶で見ているのが実情です。

目で見る際には、「今私は本のタイトルを見た」と自覚します。

音を聞けば音を聞いている、嗅げば嗅いでいる、触れば触っている、味わえば味わっている。

思考は入れません。本のタイトルを見たのであれば、字の色・形・模様・大きさを見るのが五感です。

この習慣を付けていくと感覚認知力が高まり、感情を感じやすくなり、抑圧できないほど常に感じていることを内観できるようになります。

 

無感情になるために③:瞑想

私の理解では瞑想によって思考の呪縛から離れた時、感情は一切の反発なく受け入れられています。

瞑想は直ぐにできることではないので、初めは上述の感覚認知を高め、そのためのマインドフルネス(今を感じる)が重要です。

慣れてきたら瞑想に入り、初めは思考を俯瞰して捉え、感情を俯瞰して捉える自分を意識してみてください。

感覚と感情を認知しやすい自分になり、感情を俯瞰して捉える別目線の自分がいると気づきます。

この自分がいると意識するだけでも大切です。俯瞰すると感情の受け入れはとても容易になり、あとはどれほど速くするかの遊びが始まります。

 

無感情になるために④:如何に速く感情を流すかを遊ぶ

最後の方法は遊んじゃうというものです。

遊ぶ意識が大切でして、楽しみながら実践します。

「あ、嬉しい気持ちだ」と認知してどうするか?
「もう少し感じていようかな、でも次のがあるからハイポイッ」と流しちゃうかどうかは選択です。

感情だらけであると知ると、感情をどうするかは本当に自由自在であり、自覚しているのであとは自分で選択している意識を持って決めるのみです。

感覚的になっている状態ですので、選択は自然と瞬間的になります。

「あ、悲しい」と感じれば、「はい悲しい、うるうる、ハイポイッ」と流す。
「くそぉムカつく」と感じれば、「はいあの人はムカつく人、よし怒ったぞ、ハイポイッ」と流す。

「久しぶりにもう少し怒りたいから、もっとムカつこう」と留まってもよく、選択によって流す時間は調整できます。

常に感情があると知っている認識により、余裕があるので他からの影響にて翻弄されることはなくなり、落ち着きと冷静さが自然ともたらされて感情との向き合い方が上手になっています。

 

感情をなくす方法 まとめ

感情を煩わしいと思った時には、感情とたいへん仲が悪い状態だと知っていただければと思います。

感情とは切り分けて俯瞰できますが、自分そのものであることは変わりませんので、仲が悪いと自分の中で反発が起き、大きな抵抗を内部に蓄積して苦しくなってしまいます。

自分が自分の感情とどう向き合うかが大切です。

あらゆる外部からの刺激があり、内部に影響が起こり、経験は記憶となり、自分を作る材料となります。

感情とは嵐の大波でもあり、静かな湖畔の波でもあります。

感情の受け入れが上手になり、拒否がなくなると、感情の向こう側を感じることとなります。

陰と陽に区分けすると良い悪い、愛と恐怖、善と悪で二分けされ、感情の受け入れが当たり前になると良いも悪いもどちらでもなくなり、感情の向こう側への扉が開きます。

そこには常に平穏があります。

愛の向こうに平穏。恐怖の向こうにも平穏。

平穏はまさにここでお伝えしたい無感情状態。穏やかな幸せです。

あらゆる内外の刺激は経験となるため、如何に他からの影響を自分の経験値と智慧にしてしまうか。

感情をなくしたいがための行動は自己理解を深め、感情の経験を自らの力と智慧に変え、感情によってもたらされる不利益を根底から利益に変えてしまう一石二鳥です。

感情をなくしたいと思えるご自身を大切にされてください。その行動は誰にもできない経験の賜物となり、嫌な刺激であった感情も自分のためとして吸収させてくれます。

感情の受け入れと流しを楽しむための一助となり、考え方に変化が加わる内容であれば幸いです。

世の中は煩わしいかもしれませんが、自分の中は平穏に。

それでは、感情をなくしたい時のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. Pikopiko より:

    ふわ〜ん(´;Д;`)
    私のことです!

    血反吐を吐きながら暗闇の中手探りで何十年もかかってやっとぼんやり生み出せた術が、ここにスラスラ書いてありました、ガーン_:(´ཀ`」 ∠): 完全なる抑圧型で、死に関わる事件後ptsdなど自分で堪え忍んでしまいました。ここ数年やっと流す方法に移行でき平穏の意味が分かりましたが、秒で処理できる様になるなんて希望です!しかも、楽しい遊びとな。そんな発想はなかった、希望です!!

    コメント頂きました「自分を知る遊び」のお礼と、重ね重ねありがとうございます。思考のアプローチに共感し過ぎて師のようです。拝みたおし(^人^)

    • 北斗 より:

      それは何よりです。師とは言い過ぎですけどね笑
      役立って嬉しい限りです。

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