意識、次元

スピリチュアルな目覚めの兆候にエゴとの対談|光と共に覚醒の始まり

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目覚めることには光りを見たり、涅槃となる光明となったり、創造主との一体による愛の認知があったりと、この世のものとは思えないスピリチュアルやファンタジーへの印象があるかもしれません。

目覚めることで、「全知を知り」「真理を解き」「宇宙や神との一体」などの範囲に広がりそうですが、実はとてもシンプルなものかもしれません。

目覚めることは、生きる上での大切な幸福概念となる考え方や認識であり、光りを見ることや一体を感じることは感覚であり、想いの世界であり、全知かどうかは個人の話となります。

目覚めることは感覚や想いによる認知であることから、スピリチュアルな認識としての目覚めの兆候があります。

ここでは私のわかる範囲ですが、スピリチュアルな目覚めの兆候をお伝えし、目覚めの理解や定義をわかりやすく捉えてもらい、幸せへの考え方に繋がることを願います。

スピリチュアルな目覚めの兆候

目覚めるとは

目覚めることとは仏教用語では「悟りを開く」といいます。

“悟り”の意味を知ることで、“目覚め”の意味を知りますのでご覧ください。

“悟り”を辞書で調べるとこのようになっています。

悟りとは : 引用 コトバンク

1 物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。察知。「―が早い」
2 仏語。迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。「―の境地に達する」

悟りを開くことは、苦しみを超越した先を知ることであり手前を知ることです。

真理を解き、生きている理解を深める時、行為の対象は全て“自分”になります。

“自分の苦しみの根底を知る”、“自分を知る”ことが悟りを開くことであり、自分を知ることで、根源的な宇宙や創造主との繋がりを知るスピリチュアルな世界へ移行します。

目覚めるとは悟りと同じ意味で、自分を知ると目覚めることになります。

 

目覚めの意味

目覚めることは自分を知ることであるため、人生の始まりを意味します。

あくまで始まりですので、「ついに始まりました、私の人生」という状態です。

そんな目覚めの重要なキーとなるのが、”エゴ”です。

エゴによって自分を自分として認めず、自分以外の何かとして生きることで自分を見失います。

エゴによって他者と区別して自分で自分を認識することを逸脱し、苦しみを作る基となるため、エゴを知ることが目覚める方法となります。

言い方を変えると、エゴとの分離です。

目覚めるとは自分を知ること=エゴと分離すること
※苦しみの基となるエゴを知ることは自分を知ることを意味する

エゴとは我のことであり、仏教用語で言う“煩悩”を生み出す基です。

自分のことを他と区分けすることで見出して認識する意識のことです。

自分で自分を認識せず、他人と区別することで自分を見出す意識は、陰と陽の地球の法則のバランスを崩し、どちらか一方を認識することでの不調和や違和感としての苦しみが発生します。

その違和感にあるのが人との比較であり、“差”を見出すことで自分の認識をする考え方です。

「悟り」の日本語の意味としての解釈で、「差取り」と捉える考え方があり、差を取ることでわかるのは“自分”です。

他と区別して自分を見出すのではなく、自分で自分を認識することが目覚めであり、エゴとの分離です。

あくまで自分を知ることが目覚めることで、苦しみを作るエゴを知ることで、恐怖心や不安感への克服となり、生と死への執着を持つ必要性がなくなります。

執着を手放すことでありのままの自分として物事を認識し、目の前にあることを選択して生きます。

その姿は、目の前に空気があるから無意識に呼吸をすることと同じで、受け入れることが前提として受け入れる受け入れないの概念がなく、「生きているから生存し、朽ちるから終る」「目の前にあるから今世があり、来世があるならそれまで、なければそれまで」と何の違和感もなく常識の幅を広げます。

※エゴの詳細は、エゴの意味とはスピリチュアルな契約|エゴがない人が教える活用方法 をご覧ください。

 

目覚めの兆候

エゴとの分離を果たして自分を知る際には、目覚めの兆候があります。

目覚めの兆候は感覚や想いによる心での認知となるため、スピリチュアルな認識として目覚めた瞬間は光を見ます。

あくまで私の経験からの理解となりますが、目覚めの兆候は“光の認知”です。

目覚めの兆候 : 光の認知
※全てを一瞬で理解したような温かい感覚
※エゴとの分離の瞬間であり、エゴとの契約が始まる

目覚めの兆候はあくまで感覚的なものですが、実際に光を見ている体感を伴います。

それは自分の内側で起き、スピリチュアルな認識として魂の体感を感覚的に理解する瞬間です。

そこには見えない力があるなどの概念はなく、スピリチュアル能力が関わることもありません。

これまでの不調和の感覚、違和感、肩の荷や心に留まっている淀みが全て消え去り、自分の知りたいことを全て理解したような感覚があります。

その際に目覚めることとなり、眠りから覚めます。

「まるで太陽の日が眩しくて、目を覚まして今日の一日が始まるように目を覚ます」

それが目覚めの兆候で、「光った!なんだこれ!でも知ってる、ふんふんふん♪」と心地良い自分としての新しい一日が始まります。

ヒンドゥー教やバラモン教やキリスト教にある“悟り”の意味には、光りや光明、神との一体を意味する聖霊との交流が含まれることを“悟りを開く”としており、それは悟りを開いた瞬間からの、スピリチュアルな感覚と想いの世界の始まりを合図します。

光の認知によって自分としての人生が始まります、ついにスタートです。

目覚めの兆候と同時にすることがあり、それはエゴとの契約です。

 

目覚めの兆候 エゴとの契約

目覚めの兆候は光の認知なのですが、その直ぐ後に自分の中で、”目覚めた自分”とこれまでの”エゴの自分”の話し合いの場が設けられます。

目覚めの兆候 : エゴとの契約
※目覚めの際、エゴの存在は自我意識に残っているので、エゴとの共存や分離、お別れを決める

これは人それぞれに必要有無が分かれるので、全員にあるものではありません。

私の場合は契約をする場が設けられ、それが目覚めて初めにしたことです。

エゴとの契約は完全に目覚めた自分が主導権を持ち、一方的に話を進めます。

ですが、「エゴこの野郎、今まで良くも苦しめてくれたな、コノコノ」ということはなく、目覚めた自分は心の認知を明確にして、心を主体にした魂の意識として愛を持ちます。

言い方を変えると、愛を基にした認識でエゴを大切に敬います。

 

目覚めることでエゴを俯瞰して見る視野を持つ

エゴはこれまでの自分であり、目覚めるために必ず必要な存在であることを理解することで、エゴは敬いの対象であり愛すべき自分であることを明確に認知します。

目覚める意味の”自分を知る”とは、エゴも含めた自分を知ることであり、「エゴはいけないものだ」と同時に、「この神聖な光の自分が良いものだ」という思い込みや決め付け、または執着をする自分がいても、それを俯瞰して見ることになります。

しかし、エゴとの分離をする際には、主観が光を見て目覚めた自分となります。そのために、目覚めることで闇を悪として光を善とする思い込みが突っ走る可能性があります。

そのために、エゴとの契約があります。

人それぞれに契約内容を決め、その場でお別れをしたり、共存を選んだりします。

私の場合は、私の前に来れない契約で、横には来れるが後ろにいる決まりを作り、「後ろから私に耳打ちはしてもOKだよ」という軽いノリでした。

エゴとの分離を果たすことで、その後エゴとの共存では関係性やエゴの能力を活用する生き方をすることが可能です。

 

目覚めとは自分を知り、覚醒とは俯瞰性を知ること

闇には善悪の両方があり、光にも善悪の両方があります。闇も光も知ることでその先に進みます。

それが目覚めの後に始まる”覚醒の道”でして、人生はそこから深く進んでいきます。

覚醒の段階で依存や執着を手放し、思い込みや決め付けはなく、物事の受け入れ許容が広がることで自分で自分を認識する”自我意識との分離”が起きます。

覚醒は俯瞰性が高まることを意味しており、闇でも光でも同じように受け入れていきます。

目覚めることで“覚醒”としての段階を踏むので、目覚めはあくまで”始まり”だと知っていることが大切になります。

私自身がそうなのですが、目覚めてもただただ未熟です。闇と光を明確に知ることで、闇の反発として光を求めてしまいますが、それは闇に居たことからの反動でして、闇も光も本質的に知らない自分に気づかせてくれるのが目覚めです。

覚醒とは仏教での”悟り五十二の位”という段階を意味しており、目覚めることは始まりですので、人間として、または魂としての意識を向上させる段階に入ります。

目覚めの兆候からスピリチュアルな概念が自然発生し、その後は覚醒としてスピリチュアル能力の自然な開花が促される流れがあります。

目覚めた瞬間から覚醒を促す段階が始まり、成長と共にスピリチュアルな認知や能力開花がある。
目覚めた後に、スピリチュアルな能力は自然と紐付く。

※悟りを開くとはの意味をまとめていますので、悟りを開くとどうなる?【意味と仕組みに全員ブッダ説】をぜひご覧ください。

 

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目覚めと覚醒のスピリチュアルな世界

目覚めた後のスピリチュアルな認知

目覚めることで“自分”としての人生が始まり、そこにはスピリチュアルな認知と世界が広がります。

目覚めることにスピリチュアルな能力や認識は必要ありません。しかし、自然発生的に認知と能力が伴うので、個人の自由でスピリチュアルな道を進みたければ進みます。

これは人それぞれに楽しい道を選ばれると良いと思います。

 

目覚めの兆候で知るワンネス一体化

目覚めた時の兆候にある光とは、”ワンネス”という全てとの一体化意識の認識を意味します。

言い方を変えると、”光を見る”、“宇宙との一体”、“ワンネス認知”、“創造主との一体”、“愛のエネルギーである全てとの繋がり”などです(言っていることは全て同じ)。

ワンネスが愛なのか創造主なのかは何でもいいと思いますが、ワンネスの認知によって視点が”自分”から”全体”へ向かいます。

それは、”俯瞰性”という言葉でして、ミクロからマクロの見方となります。

そして、覚醒と共にマクロからミクロに入り、ミクロがマクロになるのが俯瞰性が高まる意味です。

わかりにくいかもしれませんが、視点が点から円になる状態でして、自分が全体となることは自我であるエゴだけでなく、自我意識そのものへの執着がなくなることを表し、自然体な状態へと向かいます。

目覚めの後はワンネスへ向かう道として、自分をより成長させる認識が強まり、それは人それぞれの”自然体”となり、同じものはありません。

目覚めた後の生き方 : 人それぞれの自己の成長のための活動
※自然体となり、俯瞰性を上げてワンネス一体への道を歩む

※ワンネスについての詳細は、ワンネスとは宇宙の法則|スピリチュアルと哲学でわかる視点を変える話 をご覧ください。

 

目覚めると完全なる自由へと向かう

「完全なる自由」
これは”愛”のことです。

俯瞰性が高まることは、受け入れが多くなる意味です。受け入れには我慢や忍耐や頑張るという概念は一切なく、認めて許して敬うことで受け入れることができます。

その状態はまさに”自然体”でして、あるものをそのままに、自分をそのままに受け入れる許容が俯瞰性の意味であり、自分から全体への視点になることです。

自然体になるかどうかではなく、なれるかどうかなので、受け入れるための敬いが必要となり、それが”愛”です。

愛を持って自分も他者も敬うことで自分から全体の見方となり、あなたもわたし、わたしもあなたというように自分と同じように他者に対して接するようになります。

そのようにワンネス一体への道を歩むために必要なのが自己の成長です。

「自己の成長」

それは、“役割”、“使命”、“宿命”、“役目”、“生きがい”など、言葉は何でもいいと思いますが、「自分の喜びであり、心から活動したいこと」に集中して生きていきます。

自己の成長は完全に人それぞれで自由です。

「結婚すること」が宿命の人もいますし、「自然活動」や「教師として教えを広げる」「人に役立つ」など、人それぞれの喜びと自己の成長になる行動をして、起きる出来事や自分の行為に対するネガティブもポジティブも超えて、全ての自分の行為を成長と捉える認識になります。

「自己の成長は喜びのために生きる」ということです。言い方を変えると、自分を敬い愛することです。

それが目覚めの後に始まる、より自由となるための時間です。

自己の成長への促しは、第七チャクラが開く感覚と想いにて、「ひらめき」として教えてくれます。

 

スピリチュアルな認知とスピリチュアル能力の違い

目覚めた後にスピリチュアルな認知が始まり、自然とスピリチュアル能力が開花していきますが、それは後付の苦労や学びによる能力ではなく、元々持っている自分の能力を想い出す状態です。

そのために自然と能力が開花されます。

しかし、全てのスピリチュアル能力が開花されるわけではなく、自己の成長に必要であったり、自らの意志で開花させようとすることで開花します。

その際には“覚醒”が伴いますが、それは自己の成長である自分の喜びや気づきによって自然と促されます。

必要なことは自己の成長をする意志のみです。

目覚めることで、元々潜在的に持っている自身の魂としての能力を想い出すきっかけとなり、スピリチュアル能力が紐付く。

スピリチュアル能力は誰しもがもつことができる能力で、新たな能力を身に付ける際には、ご飯の食べ方を学ぶことと同じで、練習や鍛錬が必要。

目覚める前からスピリチュアル能力を持っている方もたくさんいます。

霊能者やチャネリングをする能力は、目覚めることへの関係性はなく、「パソコンを使用できる」などの動作的な能力と同じです。

今世のみではなく過去世での幾度にも渡る人生経験の中で、練習や能力開花への成長過程や環境があります。

 

人それぞれのスピリチュアル能力

スピリチュアル能力にも、霊能力としての異次元との交信や、あの世との交信、周波数調整や、チャネリング、ヒーリングやリーディング、オーラやテレパシー、テレポーテーション、アニマルコミュニケーションなど、さまざまな能力があります。

それらは人それぞれの特徴や特異性によって、認知方法や能力使用方法がさまざまです。

例えば、異次元存在とのメッセージ交信をする際には、五感の中でも視覚的に映像で見える人もいれば、音だったり、においだったり、反応による感知だったり、起きる物事を洞察により知覚したり認知したりするこの世ならではのものもあります。

オーラを見るのも、視覚的に見える人もいれば、感触の人も、においの人も、さまざまです。

目覚めることは自分を知ることですので、自分を完全に認識します。
その際にはエゴとの分離や区分けが終了しているので、自分の脳による思考と、心による思考の自我の区分けが、自己の成長と共に進んでいきます。

区分けや分離によって、魂としての存在になることが可能となり、心の使用方法を認識し、それによってスピリチュアル能力が見えるようになります。

エゴや脳機能にスピリチュアル能力はなく、心の認識と理解があることで、感覚と想いと波動と潜在意識と超意識を使用したスピリチュアル能力が、自然と開花されていきます。

目覚めた後のスピリチュアル能力と、目覚めていない人のスピリチュアル能力に違いはなく、違いは愛の認知度や魂としての意識レベルや自己の成長によって生まれます。

人それぞれの特徴や特異性によって、個々の能力やレベルがあり、今現在に認知している能力がある場合には、必ず今世の自己の成長として役立ちます。

※スピリチュアルについての詳細は、【スピリチュアルとは一体なに?】簡単に言うと意識。深掘りすると宇宙。をどうぞ。

 

目覚めたスピリチュアルな存在

目覚めた人は古代などを含めると数えきれないほどいると思いますが、スピリチュアルな存在として代表的な人は、弥生時代の女王“卑弥呼”かと思います。

直接関わっていないので目覚めたのかどうかはわかりませんが、行っている活動が自己の成長として国を治め、人々のために生きている記録があり、卑弥呼さんは“鬼道”というおまじないを行い、弟が国の政治を担っていたそうです。

人との接触を避けて、王になって以降は、一人の男性が食事を給仕する際のみの人との接触だったそうです。

チベットのダライ・ラマさんや、部族や民族の王にもあることですが、外界との接触を一切避けて会う人を制限するのは、目覚めと覚醒のためだと考えられます。

人と関わることで、エゴの思いや波動エネルギーによる影響が必ずあります。
エゴがあることで目覚めや覚醒を邪魔するので、エゴのある人との接触は自分自身の波動を下げ、思考を促し、スピリチュアル能力開花や使用に影響します。

前世からの記憶として、生まれながらにスピリチュアル能力を持つ人は他者からの影響が多くはありませんが思考過多になることで能力を閉じていきます。

目覚める前の場合には、エゴを持つ人との接触を避けることは、目覚めてスピリチュアルの認知や能力開花を促します。

卑弥呼さんは、王位になってから人との接触を断じているので、目覚める段階でエゴの影響力を理解しており、より自己のスピリチュアル能力を開花するための覚醒や人々のための活動に専念するために、人との接触にあるエゴのぶり返しや、記憶からの思考管理をなくすことを優先したのかもしれません。

また、日本の天皇は目覚める(悟りを開く)修行を必ずすると言われています。

これは日本神道による影響であり、日本神道の数ある教えの中には悟りを研究しつくしたものもあり、目覚める方法が継承されているので、なるべく人との接触を避けて目覚め、“日本国民のために存在する自己の成長”を担っているのかもしれません。

※目覚めることで見えるこの世のルールとして、引き寄せの法則とは何か│普通のことを言っている?という大事な理解 をご覧ください。

引き寄せの法則とは何か│普通のこと?の理解にある受け入れる法則ムアムアムアと物事を思うままに現実として引き寄せる。 世の中では今、“引き寄せの法則”が流行っているとか。 「ん、今じゃない...

 

目覚めの兆候 まとめ

目覚めることにスピリチュアルとの関係はありません。

しかし、目覚めの兆候と共にスピリチュアルの認知があり、自己の成長への行動と学びと気づきの覚醒に伴って、人それぞれの魂レベルと特徴に見合ったスピリチュアル能力が想い出されることで開花します。

同時に、自らの意志によって新しいスピリチュアル能力を欲する場合、覚醒によって収得への道が開き、練習が続きます。

目覚めることで魂としての自分に気づき、さまざまなことを想い出します。

それは今世のみならず過去世も含まり、記憶の呼び覚ましによって宇宙の真理を認識し、全ては一つであることを想い出し、愛のエネルギーとして一時的に分かれたエネルギーの意識体としてワンネスの一部分を担い、自己の成長をする機会を貰っていることを認識します。

ですが、スピリチュアルな認識があるかどうかはどちらでも良いと思います。

目覚めることは始まりですので、仏教に悟り五十二の位があるように段階を歩み、覚醒と共に成長していきます。

その際には自分の喜びのために愛を基にして生きるので、言い方を変えるとパーティ状態です。

自分の喜びが主体ですので、人それぞれに愛に基づいて喜びを求めることで自己の成長を促し、魂レベルや人間としての成熟を増していきます。

目覚める意志は、苦しみによって大きくもたらされます。
苦しみをもらうことで、自分の探究や人間の真理を求める行為へと走り、目覚めるための道を意識的でも無意識的でも進みます。

それは、「目覚めるためにはエゴが必要であり、目覚めるためにエゴはあってはならない」という不思議な、矛盾のような整合です。

目覚めることは自分の喜びのためであり、スピリチュアルな認知と人生への選択時間です。
幸せとは実に身近にあるように、目覚めることも実に身近にあるかもしれません。

それでは、スピリチュアルな目覚めの兆候についての話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. nono より:

    師よ、俗な質問かもしれませんが、
    目覚めた人は(感覚的に)何パーセントほどいるのでしょうか?
    国や人種によっても多い少ないはあるのでしょうか?

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