意識、次元

突然の懐かしい気持ちに追憶の仕組み「実は赤ちゃんになっている」

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堤防沿いを歩いていると、突然あるものがやってきました。

「懐かしい気持ち」

心が癒される。でもどこか寂しさもある。

空虚な自分が癒されて心地良い。でもそこに自分がいないような、いるような。

まるで客観視しているような、いないような。

「突然懐かしい気持ちがやってきた」と思うこの時間、一体何なのでしょう。

大概、この懐かしさはひと時で過ぎ去ることと思います。まるで桜が散るのが早いように、ひと時であるからこそ価値のある気持ちに。

ですがこの状態が数日、または数週間続くこともあり、日中ぼ~。そんな人もいると思います。

私自身、小さな頃から懐かしい気持ちが頻繁にやって来るため、味わい続けました。

ただ懐かしむ日々でしたが、私が海外を旅している際、懐かしい気持ちの詳細を知ることができました。

「意識状態が変わり、赤ちゃんになっている」

奇妙な話へ入りましょう。

意識の変容にて起きる懐かしい気持ちの訪れを言語化します。

スピリチュアルな意識の話、トリガーに潜む「自分」を探ります。

突然懐かしい気持ちになる

突然懐かしい気持ちになるとは?

「あぁ、なんか懐かしいなぁ」

日曜の夕方、住宅街を歩いていると匂う台所からのカレーの香り。

私には何も懐かしむ記憶などありません。なのに、懐かしい気持ちになります。

心温かく、幸せな気分。

その気持ちがなくなってしまうことを恐れ、「待ってくれ、行かないで」と心で叫び、寂しい、悲しい、ノスタルジックな感傷タイム。

陰寄りか陽寄りかにて、人それぞれに温かさと名残惜しむ気持ちの割合が変わると思います。

懐かしい気持ちがやってくるトリガーは千差万別、何かしら本人にとっての懐かしい気持ちが訪れるきっかけがあります。きっかけがわからないと、「突然やってくる」と認識します。

子供がキャッキャ遊んでいるのを見て、「あぁ自分もこうだったよな、懐かしい」と思える状態とは別の話。

前触れもなく突然ビュン。気づいたら、「あれ、なぜか懐かしい気持ちに包まれている」

突然やってくるのか否かの違いには、自覚の有無があります。

  • 自覚して懐かしい気持ちを味わっている
  • 無自覚で懐かしい気持ちに包まれている

make a 懐かしいか、visiter 懐かしい気持ちか。

自覚する場合、懐かしさの気持ちはほとんど心地良さ、温かさ、嬉しさ、幸福感。無自覚の場合は心地良さもありながら寂しさもあり、満たされていないのに幸福感があると思います。

自覚有無で違いがありますが、懐かしい気持ちになる際には両方の共通点があります。

「懐かしい気持ちを感じている自分に集中している」

 

懐かしい気持ちになると起きること

懐かしい気持ちになると、その自分に集中します。

時間を逃したくないほどに価値があり、気持ちを存分に味わおうとしているのかもしれません。

無自覚で突然包まれると、少し状況が変わります。

懐かしい気持ちを認識している自分から出られません。

誰かに袋をバサッと覆われているわけではなく、自らが自らに包まれている状態。無自覚なので、自ら包んでいるとは気づきません。

気づかないと、何日も何週間も何ヵ月も包まれ続ける人もいます。心地良いので出たくなくなります。

詳細はお伝え出来ませんが、この気持ちになれるある村が海外にはあります。山奥の村には、この「懐かしい気持ち」があります。

まるでアニメですが、現実です。

ここで、「懐かしい気持ちとは何なのか?」を洞察すると、ポイントとなるのは意識が変わっていることでした。

クレヨンしんちゃんの映画で、それに近いものがあります。
「懐かしいにおい」を出して、昭和の生活を味わうシーン。

懐かしむ際の自分への集中状態は、自分の内側深くに入る潜在意識、またはさらに奥へ入る状態です。

普段生活している自分とは、明らかな別人に変わります。

この自分、意識そのものです。

意識とは自分を構成する源、魂とも言えるもの。

思考がなく、肉体がなく、あるのは記憶。あらゆる過去の記憶にある感情や想い、感覚に思考した情報、価値観、観念、認識からの人間性、気質、体質…あらゆる自分を構成する材料を持っているのが意識です。

意識が肉体に宿ることで新しく思考を育み、知識を追加し、成長や退化の変化を作ります。

意識が主体になるのが、懐かしい気持ちになる時です。

この状態には明確な特徴があります。

「自分のことを自分だと認識しない」

「これが私」「私が私」という自意識がなく、自我を認識しません。

何を認識するのか?
何もありません。

過去の全ての記憶を所持しているので、今の自分が持っている情報や状態は認識できますが、それをあえてしようとはせず、ただそのままにします。

何も認識しないとは、言い方を変えると全てを認識する意味です。

認識フリー。あるものをある、良いも悪いも、正解も間違いもなく、ただ葉っぱが落ちれば、「あぁ落ちた」

波が動けば、「あぁザーザー」

風が吹けば、「あぁピューピュー」

我も自我も認識しないフリー状態になる意識。人も物も社会も、何もかもが自分であり自分でない、区分けも隔たりもない、楽しければ楽しい、悲しければ悲しい、あるものをある、そのままをそのままにします。

突然懐かしい気持ちになると、これまでの自分がいなくなり、そのままをそのままにする認識フリー、固執も執着も押し付けも決め付けも何もなく、ありのままになります。

 

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突然懐かしい気持ちになるスピリチュアルな意味

懐かしい気持ちの内側

「懐かしさ」に含まれるさまざまな感情。

自覚の有無によって陰と陽の含みが大きく変わり、特徴的な違いが表れます。

  • 自覚する懐かしさ…心地いい=良いと認識
  • 無自覚の懐かしさ…心地いい=良いも悪いもない

懐かしい気持ちの内側には、思考によるルール概念があるか否かの違いがあります。

無自覚の懐かしさとは、上述でお伝えした“意識”の状態。そのままをそのままにする認識フリーでは、ルール付けた認識がありません。

フワフワでありながら重みがあるようなないような、風を感じて心地良いような儚いような、呼吸にて大気が入ってくることが有難いような奪っているようなどっちでもいいような、虹を見て感動しているような当たり前だと思っているような。

肉体から意識が抜けているわけではないので、あやふやでモヤモヤな思考があり、心地良くて心地悪い、どちらもありどちらもない意識の体感が混在します。

何もかもがそのままで、思考にもルールにもプログラミングにも執着しないために我がなく、あらゆるものをフラットに認識し、差別や区分けや比較をしません。

とても自然な共同体感覚、意識としての常識的な体感を味わい、認識に集中しながら手放す状態です。

懐かしい気持ちとは、自分の意識を体感させる、認識に決め付けもルールもないフリー感覚。

この状態、赤ちゃんの時に私達は体感し続けていたりします。

 

赤ちゃん状態の意識を探る

赤ちゃんの時のことは憶えていないかもしれませんので、ここからは私の記憶を基にお伝えしていきます。

私が赤ちゃんだった時の記憶を思い出してみると、認識になんの固執も執着もない物事の捉え様があります。

この世での知識も情報もなく、良いも悪いもない状態。常に心臓辺りがブルブルしているような、心地良さと心地悪さの共存感覚があり、「良い悪い」を頭ではわかっていませんが、身体でわかろうとします。

意識が空っぽの肉体に入ったというはっきりした感覚があり、自らを客観的に見ているような、いないような。自分が肉体から離れているような、いないような。

心地良いか悪いかにて反応し、泣いたり動いたりと出来る行為で表現。自分のことを自分だと思ってすらおらず、目の前のおもちゃも自分も同じように認識します。

あらゆることに集中できるクリアな意識を主体に、執着のない認識によって目の前のことをジーッと捉えます。

良いも悪いもなく、ただジーッと見て、終わり。

突然懐かしい気持ちになる場合、この赤ちゃん状態とそっくりです。

「あるものをあるまま」
この認識はいたって自然ですが、大きくなった我や自我を持っている場合、少し戸惑うかもしれません。

本当は何度も何度も、繰り返し感じ続けているのが、懐かしい気持ちなのかもしれません。

※意識の詳細については、魂と心の違いと関係性│自我には心と脳と体、魂は記憶のアクセス場 をご覧ください。

 

懐かしい気持ちを感じる原因

懐古病やノスタルジーなど、郷愁や感傷の感情があると言われ、懐かしむ気持ちによってトラウマや心の傷や孤独を癒す効果が期待されると、心理や医学的には考えられています。

我や自我を主体に生きているのが私達人間。根底にある意識を主体にすることで懐かしい気持ちになると考えられます。

意識主体になることで自らが自らを見て、感じて、考えて、思って、評価して、判断して、と自己認識を深める効果があるため、懐かしい気持ちになる時は自分に対する執着や固執が完全になくなります。

心の引っ掛かりや違和感、トラウマの原因となっている記憶や、記憶になりきれていない意識の有耶無耶状態を自ら理解して解消できる機会作りになります。

疲れやストレスや自分の認知がなくなる状況が重なり、自分を思い出したいと思える過去の記憶が蘇る何か、人や五感や光景があると、懐かしむのかもしれません。

これが自覚的な懐かしみになり、無自覚の状態には別のトリガーがあります。

「自分を手放した時」です。

「これが私だ」「私は私でないと」などの執着がない様、または物事への期待がない、興味がない、固執の思い込みや決め付けがない、予想や予測がないことです。

このような様が表れる精神状態は意識の高さでもあり、疲れや喪失、現実への興味がなくなり、自分への執着がない(欲がない)状態でもなり得ると考えられます。

ポジティブもネガティブも共に原因がありますが、特に重要な懐かしい気持ちになる原因にはある一つのことが考えられます。

物事にそんなに興味がない内向的な人。

興味がないと起きるのが自己主張しないことです。

自己認識が既に深く、「私は私」と自我を主張せず、他者との関わりをあえて増やして自分を見出そうとしない様です。

内向的で内側から自分を理解する内観や内省能力が高く、自分が確立されているため、他にて利益や価値を得ようとはせず、物事に興味がなくなります。

懐かしい気持ちになる原因は、自己主張に意味を持たない状態や状況にて、意識が主体になるため。

懐かしさに包まれると癒しにも休息にもなり、自己理解を深める思い出しやありのままの自分にもなります。

 

突然懐かしい気持ちになる方法

ポイントは、自覚的に懐かしむのではなく、懐かしい気持ちからやってきてもらいます。

方法は、自己主張する必要のない意識状態になることです。

自己をあえて主張する必要がない状態には二つの表れがあります。

  1. 自分の完全なる見失い
  2. 自己への執着がない

自分を見失うと価値や存在意義がわからなくなり、何かしらに執着しようとしますが、完全に見失うと執着しなくなり、自己主張する意味をも喪失します。

反対に自己理解が深いと自己への執着がなくなり、自己主張する必要がなくなります。

ここに内向的な様が加わり、物事への興味がなくなると懐かしい気持ちがやってきます。

この状況、孤独であることがほとんどだと思います。

二つの全く異なる様ですが、共に懐かしい気持ちからやって来る状態となり、二つの方法が見出されます。

懐かしい気持ちになる方法
  1. 内向的で物事に興味がない+自分を見失う=懐かしい気持ち
  2. 内向的で物事に興味がない+自分への執着がなくなる=懐かしい気持ち

私は内向的で自分を見失っていた時があるので、よく懐かしい気持ちになっていました。

この場合、懐かしい気持ちに包まれたまま、出てこないようにする執着が起き得ます。何日も、何週間も出てこない、懐かしいにおいの中で生きる選択をする可能性があります。

懐かしい気持ちを今の自分が感じていると思うと、その気持ちに執着する可能性があります。

意識を主体にした状態はエゴもなければ恐怖もありません。

普段の生活に恐怖が多ければ多いほど、この状態に喜びを覚えて包まれていたくなります。

成長が止まり、退化も止まる。これまでの記憶を蓄積した意識の中で生きる選択は、自ら変化しなくなります。

他からの影響があれば変化できるので、他者次第になるというものです。

今の自分が感じているのではなく、今の自分がいなくなったから感じているのが懐かしい気持ちです。

方法は意識の変容、懐かしい気持ちとは現実ではなく意識の中、という話です。

 

突然懐かしい気持ちになる まとめ

懐かしい気持ちとは意識変容による自己とこの世の認知。

過去のことを懐かしむ自覚的な体感がありますが、無自覚の体感は、「懐かしい」という言葉の意味が変わります。

懐古や追憶、過去の記憶に対して心惹かれる様とは別に、過去に味わっていた意識の常識的体感があり、人間として生きる基盤によるこの世の見方そのものだったりします。

ただ、物事をそのまま認識する。

この状態の体感が、懐かしい気持ちです。

「そのまま」とはとても簡単な言葉ですが、そのまま見ることの難しさがあると思います。

私達はあらゆる認識の固着、固執、執着、思い込み、決め付けがあり、いろいろな情報を重荷にします。

積み重なると自分を見失い、懐かしい気持ちがやってくる。

手放すと自分への執着がなくなり、懐かしい気持ちがやってくる。

懐かしいにおいはとても心地良く儚く虚しく、そして温かい。

現実に生きていながら過去の記憶の中で生きることで、周りに膜を張るように変化のない世界が創られます。

このことから、私達は常に新しい現実を創りながら生きているとわかります。

過去は過ぎ去った記憶として意識に入り、今日も新しい現実を創って生きています。

懐かしい気持ちになった時、ぜひその気持ちを自分のために、意識を巡り自己理解を深めるために活用されてください。

奥深い懐古と追憶のノスタルジー。

使い方を知り、より素敵な懐かしみ方が育まれる一助となることを願います。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. ガビチョウ より:

    すごく昔に夢の中でみた景色が、起きているときに突然思い出される、ということが近頃多くて謎ですが、これと同じような現象なのかな……?
    (今世の)記憶を突然思い出すことも多いです。特に懐かしくて心地良いというポジティブな感じもなく、かといってネガティブでもなく、なんの感情もなく完全に無で、いつもただの風景です。(よくわかりませんがこの現象を「寒天」と呼んでいます。)
    たしかにそういうとき“自分”は存在していません。ただ見ているだけの記憶です。
    「こんなの一体どこに保管してあるんだ」と思いましたが潜在意識は全部覚えてるって考えたら当然なんですね。逆に忘れることが怖くなくなりますね。

    p.s.最近やたらコメントばかりしてすみません。ずっと読む専だったんですが自分の言葉での表現が楽しくなってしまって…
    いつも本当にありがとうございます。

    • 北斗 より:

      デジャブかもしれませんね。
      コメントをいただけるのは嬉しいですよ。「寒天」のように自分ならではの表現を知れるのは個人的にとても楽しいです。
      何事も能動的に行動する人が自由の象徴ですから、コメントでの自己表現場は気にせず楽しまれてください。

      • ガビチョウ より:

        たしかにデジャブの長い版かもしれません。宇宙は広いですね。
        そして温かいお言葉もありがとうございますm(_ _)m またときどきコメントさせてください^ ^

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