心理と特徴

【優しさのスキル】他人の内側に興味がない人は優しいと思われる

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【カタカムナ診断で自分を知る】

当ブログの運営をしている北斗です。
私自身が診断していただき、「ぜひおすすめしたい」と感じたのでご紹介です。

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世の中には、優しさスキルがあります。

人に興味がなくとも、円滑に関わることができます。

利益を与えながら自らも頂ける、コミュニケーション技術の発達。

知的な策であり、生存戦略にもなる大切な在り方です。

思いやりとは違う、不干渉の尊重とも違う、冷たさに潜む厳しさとも違う。

受動的返報性による責任の曖昧さ。

ここでは、ややこしい言葉を簡素化するために、ロボティックな優しさの内部構造を探求していきます。

  • 他人に興味がない人は優しいのか知りたい
  • 優しさスキルの構造について考えたい

この優しさには段階があると私自身の体現から理解しています。

段階を経ていくと優しさの中身も意味も変わるため、自己理解を深めるための一つのご参考になれば幸いです。

他人に興味がない人は優しいと思われる

二つのタイプ

なんでも
なんでも
細かいですが、内面が大きく違うので明確にしたいことがあります。

興味がなくても優しいと思われる人には二つのタイプがあり、言われはこうなります。

  1. 「一見いい人だけど、害がある」
  2. 「一見いい人だけど何を考えているかわからない、害はない」

➀の害があるのはテイカー。

いい人を装うことで近付き、得たいものを得ていく。または、欲求不満を自己対処できないために、他人を攻撃したり搾取したりと尊重皆無と排他質のありさま。

悪性が強い自我を肯定しているため、常に他への見下し、比較による優越、相手を劣等させたい衝動があり、他人は利用物でしかない自己愛性と、共感性が歪んでしまった状態が考えられます。

➀は一見実情がわかりにくいですが、内面に着目すればわかりやすい対象でもあります。

ここでお伝えしたいのは②の害がない人。

いい人、一方で深く知ろうとも何を考えているかわからず、本質を把握しづらい。

本人次第で相手を尊重もマニピュレートもでき、善にも悪にもなれる中立(中性)の人を意味します。

詳細を紐解いていきましょう。

 

他人に興味がない優しい人の特徴

なんでも
なんでも
この優しさは、思いやりや寄り添い、情を持った人間の掛け合いとは別物です。

他人に適合適応、配慮や気遣い、迷惑をなくして損害を生まないなど、嫌なことがない状態の準備・保持努力をする人。

このような特徴があります。

他人に興味がない優しい人の特徴
  1. 実は人見知り
  2. 初対面の印象花丸
  3. 言葉遣い、物腰柔らか
  4. 人前で批判や否定をしない
  5. 近しい人には饒舌、毒舌になることも
  6. うんうん頷く、賛同が多い
  7. 同情、干渉しない、共感はする
  8. 一見心配、応援など演技上手
  9. 関わる前から自他を線引きする
  10. 怒らない、許すも許さないもない
  11. 責任追及しない、誰も悪くしない
  12. 常識的な正論を並べるが、独自性好き
  13. 自分のことを話さず、意見を言わない
  14. 人の話をよく聞き、人の内面を尋ねない
  15. 嫌いな人は自分の中で一瞬で切っている
  16. 自分から連絡しない、誘わない
  17. 損得勘定が癖、面倒くさがり
  18. 空気読み、同調、察知が上手
  19. 社交的だけど心を開かない
  20. 心を開くと愛着する
  21. 見栄が強い
  22. 器用貧乏
  23. 飽き性

上司も部下も、老若男女問わず誰しもとその人に合わせたコミュニケーションを取ることができます。

優しいながらも、「実は他人に興味なんてないよ」という内心が気になるところ。

目立つものとしてお伝えしたい特徴が5つあります

 

目立つ特徴➀:一人が好きだけど寂しい

なんでも
なんでも
一つ目は、一人が好きでありながら一人でいると寂しくなること。

人間は自分の精神を満たすために生きている考え方では、他人に興味がないほど、砂時計のように自分への興味が強くなります。

自分にしか興味がなければ、自己愛を刺激するために自己世界にこもった関わり方をして、相手のことが見えていない見る気がないなど、優しさとはかけ離れていきます。

しかし、優しいと思われる人は自分への興味が強く、自己世界にこもりたい気持ちもありながら、実際の言動は社交的です。

理由は自分への興味が、喜ぶため以上に、損害(不安と恐怖)回避治癒だからです。

プラスを得る以上にマイナスをなくす、笑うのではなく悲しみのない現実がいい。

他人に興味がない人は人に依存や執着せずとも自力で生きていく能力があり、これまでの人生でそれを育んできました。

一人で出かけ、生活し、遊ぶことができ、そこに平穏や穏やかさを感じます。

が、一定期間経過すると寂しさを感じます。

一人が好きでも孤独が好きな訳ではない

ずっと一人がいい訳ではなく、何ヵ月も一人こもって山奥で自作の家を建てるなんてことをしたい訳ではない。

これに該当する人は、「寂しさを癒す」ことが好きだと考えられます
※寂しさが好き、不幸になりたい症候群ではない

ノスタルジックでセンチメンタルな気持ちを好み、そういう音楽や映画に身を浸けて、その世界観を堪能することで癒しを得ます。

 

目立つ特徴②:干渉しないから干渉しないで

なんでも
なんでも
他人に興味がない人は、自分の世界をとても大切にしながら自己世界に対する責任を持っています。

他人のプライバシーに干渉しないことが相手のためになる、他人事に干渉しないのは常識であると考える人もいます。

他から干渉、支配、強要されることを嫌い、無作為でも作品を壊そうものなら、「あ、大丈夫です、あとはこっちで片づけるんで」といいながら許さなくなります。

「ごめん、本当にごめん」と言われても、「いいよ、もう起きたことだから」と言いつつ、内心は(作品や私のケアではなく自分が許してもらいたいだけか、起きた現実はなくならないよ)」と思っていたりします。

「私の世界は私が見てる」

これを変えることは何人たりともできないと考え、それをそのまま他にも適用します。

不平等をなくして個々の責任や自力を大事にするため、自他の線引きが明確です。

「相手に強要しない、欲望を押し付けない、支配なんてもってのほか、だから干渉しない、あなたも干渉しないでね」

「あなたの世界(感情、感覚、思考、認知)はあなたが作る、あなたに責任がある、あなたが決定権を持っている」

もし、「干渉しなさいよ」と強要してきたらドロンと消えます、さようなら。

 

目立つ特徴③:他者の印象操作

なんでも
なんでも
不干渉が「優しい印象」になる人は、自他の線引きをした上での配慮や気遣いをします。

例えば、定食屋に行った際、アジの開き定食を食べている地元のおじさんと相席。

「すいません、お邪魔します」と後から入る。

自分からは話しませんが、「どこから来たの?」と話しかけられれば、「あ、東京からなんです」と気さくに返答。

さらに、「この人が相席の相手でよかった」と思ってもらうために、笑顔や箸を渡すなど配慮や気遣いを忘れません。

「この人に喜んで欲しい」「こう思わせよう」「私がこうさせた」ではなく、「このおじさんがそう思った」が重要であり、主観者がそう思うように自らの立ち居振る舞いを変え、相手に合わせ、適応します。

良く言うと、“相手の認識を尊重している”。

悪く言うと、“相手の認識を誘導している”。

良くも悪くも相手の認識に影響を与える配慮と気遣いに長けており、優しいと思われる人は相手に不利益を与えない印象操作が上手です。

「一見いい人だけど害がある…」と思われる人は印象操作によって自分を好きにさせるなど我欲に飲まれ、洗脳やマインドコントロールへ向かいます。

 

目立つ特徴④:傷つきたくない

なんでも
なんでも
「もう傷つくことに疲れました」というメンタル状態。

損害回避のために自己防衛、不安と恐怖を味わわないために脳機能を使い続けてきました。

仮面と誤魔化しを多用し、表と裏の顔を持ちながら裏の顔を見せるのは自分くらいです。

傷つかないために周囲を観察、洞察、考慮に配慮で先回り

少しでも面倒を起こさず、困り事、迷惑、損害をなくすために考え、模索し、学び、レベルを高めてきた防衛努力。

優しいと思われている裏では、幼少期からの心の抑圧、周囲のケア、疲弊したメンタルと共存してきた現実がありそうです。

その状態では辛く苦しいため、ただ周囲から影響を受けて翻弄されるのではなく、疲れない傷つかないために自発的にできることをします。

自分の認識には責任を持つ人であり、知性を用いて自己対処してきた結果が、「優しい」と思われやすい現象作りになっています。

 

目立つ特徴⑤:順応タイプ

なんでも
なんでも
最後の大きな特徴は、その場、その人、その状況に順応する能力の高さです。

ここでお伝えしている他人に興味がない人は、単純に自分への興味が強いだけではなく、特定の一つに対しての興味が異様に強く、それ以外への興味が全て均等に薄いかもしれません。

一点特化型。

例えば、誰かを好きになった場合はその人の外側に興味があり、内側に興味はなかったりします。

一番初めが最も仲良く、最も利益があり、徐々に慣れて飽きてきます。

相手は日に日に、「この人は他人に興味がないんだ」と本性を知ったように思えたりしますが、それは本性ではなくシンプルに最初は興味があり徐々に減っていった事実。

ただ、誰かを愛した場合は愛してやまなくなり、愛着という強い執着になり、我を忘れるほどです。

これに該当する場合、特化する強い興味物以外に対して、常に自分を適応させ、合わせ、慣れさせる性質か癖があります。

周囲に合わせ、雰囲気に同調し、国土に流れ、季節に馴染み、環境に慣れる。

こういう人は言語能力が高い、というのはさておき、自他の線引きが前提にあるので“自分を持ちながら順応している感じ”が見られます。

例えば、ワイワイしている職場で馴染んだとしても、同じようにイエーイとなって自分を消せるならそれは他人に興味がある人。

合わせながらも自分の意思と選択があり、一人の時間をちゃんと確保し、休日にみんなで山登りは行きません。

クラブに行ってみんなと同じように肩と首をズンズン揺らしながら、「楽しかったね」「ねー」と思えるのが他人に興味がある人。

クラブに行っても違和感、「なんでみんなと同じ動きしなきゃならんのかね?揺らしたいのは肩じゃなく丹田だ」と思っています。

線引き前提の順応であり、自分を放棄して合わせるのではなく、他者との接点を重ねる努力によって関わり、社交性が高まり、優しさにもなっていきます。

以上、特に目立つ特徴でした。

 

他人に興味がない人の『優しさスキル』

『優しさ』というスキル

なんでも
なんでも
優しいと思われる言動にあるのは、自分が傷つきたくないという損害回避の思考であり、左脳優位の電気信号、ニューロン移動という物理の話です。

優しさだと思われるこのありさまは、社会化されたスキル。

このスキルは“社交性”そのものだと考えます。

教科書に載せていいやつだと思います。

ルール照合し、従順し、そつなく、目立たず、敵を作らない、相手を喜ばせ、行き過ぎない接待。

それは接待だと思わせない接待、相手が困らないように、やって欲しいことを言われる前にやってあげる。

サービス業やビジネス上の人間関係、広い関係性を円滑に継続させる際に利点の多い技術になります。

東南アジアから日本に出稼ぎに来て、日本での対人スキルを学んだことで帰国後に自国でホテル経営をはじめられるようなものかもしれません。

迷惑なし、損害なし、困らない状態を作るために、相手を見て、読み、学び、先回りして必要なものを提供し、求めているものに適応し、相手を充足させる技術。

このために欠かせないのが、不安と恐怖を味わわないためという損害回避目的です。

嫌な思い、傷ついて、困る現象が起きないために、事前に根回しする技と言えるかもしれません。

社会的常識、価値観、倫理観、国民性、[良悪、正否、優劣]の基準を記憶し、良識あり、非なし、モラルある言動努力の提供によって成します。

 

スキルに欠かせない『自他の線引き』

相手に利益提供しすぎて依存や執着されることはありますが、一方的に搾取される自己犠牲はしません。

自他の線引きが絶対的です。

「私は私、あなたはあなた」

他人に興味がない人は、ただ自分が傷つきたくないという理由のためだけで、配慮・気遣いしている訳ではありません。

自他を線引き、個々を別々に見る認識があり、干渉せず、同情しません。

他人の情に揺さぶられないために翻弄や飲み込まれることが少なく、共感をバランスよく調整して使用します。

同じ形であっても、“自分のため”が目的になかったり線引きがない場合、他者優先で一方的に利用される、搾取される、自己犠牲になる弊害が起きてしまいます。

優しさスキルとしては、自他の線引きはとても重要なものになると考えます。

自分の世界を重んじ、認識に責任を持つ、そんな他人に興味がない人だからこそスキルアップしやすいものかもしれません。

 

注意点:責任を曖昧にする可能性

なんでも
なんでも
一方、利点だらけではありません。

誰しもそうかわかりませんが、私の理解では他人に興味がない人の優しい言動に“情”はありません。

情のない社会通念上の優しさ、かつ、損害回避というマイナスをなくす活動であることは、目的の主体が偏る可能性があります。

「揉めない、困らない、迷惑にならない、目立たない、敵を作らない、傷つかない…」

自己犠牲ではないので、自分だけでなく相手にも同じ状況をもたらすことで成り立っており、この結果起きやすいことがこちらです

誰にも「ダメ」を作らない

「あなたは悪くないよ、だって向こうから始めた、そうでしょ!」

「ママに気づかれないように一緒にお菓子食べちゃおう、内緒、し~だよ」

「新郎新婦のご家族共々、お二方をここまでご立派な成熟者に育てられたこと、大変ほにゃららら」

「ありがとうございます、みなさまのご意見を考慮し、今後の検討材料にさせていただきます、じゃ」

誰も傷つかない、困らないことは不安や否定要素の排除でもあります。

責任追及しないと、「あの人なら丸く収めてくれるだろう」「私ならなんとなく曖昧に流せる」という頼られ方、自覚がでてきます。

不安や恐怖がないことは損害回避できた証そのものですが、「本当にそれは要らないものですか?」と本質を問われれば話は一変します。

責任を曖昧にするスキルになる言動は、軽さでも浅さでもあり、「カッコ良くない人にカッコ良いよ」「可愛くない人に可愛いよ」と言って納得させるようなもの。

中身を見て本当に素敵なポイントを伝えるのではなく、相手が困らないように誤魔化しのサポートをする場合、現実を見ずに済む優しさ。

言葉が自己都合で利用された情景であり、エゴ以外の何物でもありません。

一時凌ぎの不安回避は、自分と他人両方にとって成長機会の排除になる可能性があります。

 

他人に期待しない人とは違う

なんでも
なんでも
ここでお伝えしているのは、“期待しない人”とは違います。

「まぁ、結局他人のことはわかりっこないからあなたの気持ちはわからない」

これは期待していないのではなく、興味・関心がないさまです。

他人の内側に興味ありませんが、それでは関わる意味がないため、何かしら関わる意味を無理にでも出します。

関わることで、損害回避や存在肯定を初め、他の目を気にするメンタルカバー、社交性や正当性の見出し、知性や能力の育みなど、“意味”を見出します。

他人に興味がない人は、関わる以上は相手の外側に興味を持つことを意味します。

一方、他人に期待しない人は損害回避など果たす目的や意味を相手に見ません。

相手に興味があるもないもなく、関わるなら関わり、関わらないなら関わらないとシンプル。

相手からの影響への不安や恐れがなく、明確に自分を尊重し、相手の個も尊重して干渉しない、そんな両方を野放しできる前提があります。

個々の敬いがあり、相手に興味がないとしても排他的な無関心にはなりません。

“肯定的な無干渉”になります。

・他人に興味がない人…無関心(関わる場合は無理に意味を見出す)、自他の線引き、自分の尊重(人によっては他の排他)

・他人に期待しない人…肯定的な無干渉、自他の線引き、自他の“個”の尊重
※他人の“個”の尊重であり、他人そのものを尊重するかどうかは人それぞれ
※期待しない精神がある意:相手を認めているために排他がない

二つは見かけは似ていますが非なるもの、興味がない状態の次なる段階、プロセスが潜みます(詳細後述)。

 

次なるステップ:期待しない

なんでも
なんでも
最後に、私自身の体現から理解している、興味のない状態からのアップグレードがお役立ちになればと思います。

無理に興味を持つことは嘘や誤魔化しになってしまいます。

「年齢的にもうこの人しかいない、覚悟だ覚悟、エイエイオー!」

そんなの無理。

興味ないものはない。

我慢は両方のためになりません。

そこで、[興味ない⇒期待しない]にします。

「この人はこういう人なんだ」と相手を理解し、認めると期待しないことができます

期待している時は、「良い、悪い、OK、嫌だ」と良悪、正否概念が介入します。

見ているのは相手と自分ではなく、相手と情報。

主体がない状態です。

期待しないことは、「今、相手を見て、どう思い、どう自らを律するか」

「この人はどういう人なんだろう?」を自分なりに見つめ、感じ、考えることになり、明確に自律、自責が要ります。

他の情報と比較したり、他人と比較する自分である場合、期待しないのは困難です。

自分の目で見て、肌で感じて、頭で考え、心で想うといった“主人公”が要ります。

なんでも
なんでも
私自身、興味がなかった時は相手のことを認めておらず、それに気づいてもいませんでした。

相手のことを見ていない、見る気がない状態でしたが、見ていると思い込み、わかっているとすら思い込んでおり、そもそも主人公設定すらしていませんでした。

興味が要るか要らないかは人それぞれ、要らない人にとっては本当に要りません。

ただ、興味を持たないことは自動的に期待することを意味します

現実や世の中を見るためには“期待しない”が大切です。

・期待しないとは[一般的な良悪、正否、〇×]で評価しないこと

・自分の目と頭と心で感じ、考え、理解すること

・相手をそのまま見て、感じ、認めること

・相手を比較しない、排他しないこと

わざわざ他人を尊重する必要なんてありません。

あくまで期待しない。

自然と干渉しなくなり、相手の言動を敬えます。

リスペクト、相手を知ろうする気持ち、言動が自然と生まれ、関わる相手はそれを感じられます。

それは“情”であり、気持ちのこもった関わりとなり、優しさを思うだけでなく感じてもらうことができます。

そんな状態で興味がある人と関われば、相手を相手側の目線で理解しようとする気持ちが生まれ、寄り添う気持ちも持てます。

愛というやつですね。

 

最後に:他人に興味がない人は優しい

一人一人“個”を持って生きる時代です。

一方、それが自らではなく親、教育、トレンド、社会の流れなど“他”に起因する場合、価値観も観念も自動生成され、社会化されていきます。

そこに本当の意味での“個”があるのかどうか。

ルールとして優しさとなるロボティックな優しさ。

中身は社会ルール的に良、教科書の道徳的に〇、倫理観的に非がない、日本の社会的に都合よし、と言った良悪正否照合かもしれません。

自己犠牲はなくなりながら、主人公不在に陥りやすく、損害回避という利益のない状態に不満を感じない、そんな慎ましやかな在り方が構造されます。

これの良い悪いは本人にしかわかりません。

問題はこれに対して、良い悪いを自分で決めているかどうか。

私がそうでしたが、自分で決めていると思い込みながら社会に決められていました。

そこに私はいませんでした。

その大前提を見ずに事実や現実を見れることはありませんでした。

「優しい」とは誉め言葉かどうか、今一度考える大切さがあると思います。

言葉は事実を解明するための状態表現。

言葉の中身を考え、自己理解を深める、そのための一つのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

【カタカムナ診断で自分を知る】

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