意味

「魂とは具体的に何なのか?」魂を哲学するためのスピリチュアル

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私とは、あなたとは、人間とは何なのか?

知性の育み、いつもご苦労さまです。

幼い頃から疑問を考え続けていても、なかなか答えを出すのは難しいと思います。

なんせ考え進めていくと、「魂とは?」という更なる疑問が出てきて、また私達の思考を止めてくる。

「自分」を理解する上で、魂の理解がなければおそらく先に進みません。

やれやれ、この世にはわからないことだらけです。

そこで私の体験談、スピリチュアル、仏教、量子力学を参考に、「魂とは何なのか?」を哲学した内容をお伝えします。

  • 魂とは何か具体的に知りたい
  • 魂を自分で哲学するための材料を増やしたい

物体として存在しないものをどうやって理解するかは、文字がどうして平面なのかを解くようにわかりそうでわかりにくい。

哲学することで魂の何たるかを知るチャンスが広がりますので、ご自身の考えを研磨するご参考となれば幸いです。

人間を探求するキテレツな内容ですので、物好きな方は一緒に楽しみましょう。

「魂とは?」:スピリチュアル、量子、仏教、哲学

魂とは:スピリチュアルな理解

最初に私の理解を基にしたスピリチュアルな魂の捉え方をお伝えします。

ワンネス認知を伴い、ハイヤーセルフと共に内部を探索した際に把握した一部。

奇妙な内容ですのでサァーっとご覧ください。

私達の住む太陽系銀河には12次元までの階層があります。
※12次元は既に銀河の狭間となり、実際には11次元までの理解(私には太陽系銀河外のことはわかりません)

太陽系銀河内では魂は記憶庫であり、ワンネスに内包されます。

8次元領域が魂の記憶庫になっており、記憶とは行為の意識であり、意識(次元毎の自分)そのものの行為。

仏教で言う業力(カルマ)とも解釈でき、次元階層毎に意識の違う自分がおり、それら全てのカルマが同じ記憶庫を使っているため、別の自分との接点を感じる次元でもあります。

魂は個体として存在せず、現状の物質基準で捉えるための手法であり、実際に記憶庫という場所はありません

意識が存在した証がその都度魂へ向かっており(特に睡眠時)、また出てを繰り返し、量子もつれのように常に繋がり合っています。

 

魂の重要性は、「繋がり」の認識有無

魂とはワンネスとの繋がりであり、自分という存在の意識そのものの現実、行為や働き、縁起や現象発生と繋がるための保管場。

繋がることで共同体感覚を覚え、集合的無意識を自覚し、自分という存在を理解します。

自分を知ることで生命を感じ、意志を抱き、行動努力ができ、成長し、創造性を増し、認識力を高め、他者との真の繋がりを築けます

自分を現実、出来事、縁、さらに宇宙の原理である全体と繋げてくれます。

「繋がりそのものである魂」

魂とは全体の一部として生きていると教えてくれる認識でもあります。

「自分とは他と共に構成される、全体の一部である」と認識できると魂があり、生命や人生が縁起し、変化を繰り返しながら循環が促されます。

魂とは個体として、「丸くてフワフワしたものがあるのかな?」と思えそうですが、実際には“繋がり”というニュアンス。

スピリチュアルではワンネスと繋がっている認識を意味します。

実際に魂という個体があるのではなく、繋がりによって知る認識

認識とは宇宙、意識、真理、原理のあるがままであり、全体の一部である自分という存在そのものです。

 

魂とは:量子脳理論

ここから魂についての見解を広げていきます。

まず量子の捉え方をご覧ください。

魂とは捉え方を変えると意識です。

顕在意識、潜在意識、無意識があり、意識を理解することで魂への繋がりがわかります

2020年にノーベル物理学賞を受賞した、臨死体験や蘇生を研究する数理・物理学者のロジャー・ペンローズ氏によると、意識は何らかの量子過程から生じてくると推測しており、このような言葉を述べています。

「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」
※Wikipedia 引用

微小管という細胞が持つ小さな器官を通って意識が宇宙へ行き、蘇生した場合は意識が肉体に戻る。

宇宙へ行った意識は宇宙に在り続けるか、別の生命体として生まれ変わる、いわゆる転生へ向かうという考え方です。

未だ立証は難しいと思いますが、意識が宇宙へ行った際に魂が見出され、いずれ言語化へ繋がるのかもしれません。

※魂磨きの意味は、魂を磨くために必要なことは一人一人違う│魂を知るとわかる磨く意味 をご覧ください。

 

魂とは:仏教(ゴータマ・ブッダ)

魂は宗教や哲学で頻繁に取り上げられるものでして、不滅の存在としての捉え方が主です。

多くは魂や霊魂の存在を肯定する立場ですが、ゴータマ・ブッダは少し違うようです。

ブッダは霊魂の存在はない(または別のものがある)としており、仏教の根底には無我の思想が絶対的にあります

我がなければ魂という何か個体的なものは存在せず、霊魂の捉え方ではなく、阿頼耶識(あらやしき)と捉えます。

阿頼耶識(あらやしき)

個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識のこととされる。

眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる。
※Wikipedia 引用

阿頼耶識は仏教で説かれる最も深い心であり、永遠の生命といわれています。

「阿頼耶」はサンスクリット語の「アラヤ」に漢字をあてたもので、本来の意味は「」です。

仏教では、私たちの行為は「カルマ」となって阿頼耶識に蓄えられる、と教えられています。
※1からわかる仏教講座 引用

阿頼耶識は蔵であり、蔵には不滅業力のカルマが保管され、因果応報をもたらします。

破壊と再生を繰り返して継承し続ける輪廻であり、縁起によって個体と現象を生じさせ、過去から未来への変化と流れを繰り返し続けます。

暴流と例えられることもあり、上流から下流へ勢いよく流れる川のごとく、変化し続ける縁起と因果の居住(蔵)と言えるかもしれません。

ゴータマ・ブッダは霊魂とは別に、存在認識の最深層に位置する不滅の生命として、阿頼耶識を説いています。

※魂にあるレベルは、魂レベルの段階(人生のステージ)に8つのステップ|最後は宇宙行?!をご覧ください。

 

魂とは:古代ギリシャ哲学

ソクラテスやプラトンのいたギリシャ哲学では、魂はプシュケーと言われ、重要な意味を持つ人間の知であり、生命であり、動力と説きました。

プラトンは五感(五官:肉体)を通じて捉えるこの世を不完全なもの(現象界)とし、そんな不完全な肉体に永遠不滅の存在として魂があると考えます。

魂は輪廻するものであり、真実の知恵と永遠にて解放される。

さらに、魂には三つの性質(理知・意志・欲望)があるとします。

  1. 理知…頭
  2. 意志…胸
  3. 欲望…腹

意志と欲望を統御する理知を最も重要視し、理知があって魂は正しく働き、徳を生み出すと説きます。

ソクラテスは、プシュケーを知と徳の座だとした。< よく生きる >ことを《プシュケーの気遣い》として説いた。プシュケーの世話をせよ、と説いたのである。

プラトンは、滅びる宿命の身体に属する感覚を超えた知を描き、知を特質とし自己を動かすプシュケーは不滅である、とした
※Wikipedia 一部引用

物事の真実(本物)を捉える知であり、徳を生む不滅の存在が魂。

魂の目で見ることで、イデア(ギリシャ語で見る、知る意)という普段忘却されている「そのもの、真実在」を思い出し、超越的原理を垣間見るとしています。

 

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魂を哲学するためのスピリチュアル

さまざまな見解を見ていただくとわかるのは、「魂ってなんか深いね」ということかと思います。

私達一人一人が自ら考え、答えらしい何か、またはわからないという答えを出すことで理解を深められ、真実や現実を見る力となり、生命を体感しながら死をもクリアに見通します。

より考えを深める材料になればと思いますので、ここからは体験談とスピリチュアルを含めて、最終哲学へ入りましょう。

 

魂を哲学する体験談

私が魂の片鱗を掴んだのは、アラスカの森で60日間の獣人化ジャングルライフを体験した時のことです。

さまざまな出来事があり、当初は死ぬかどうか半々のギャンブルでしたが、最終的には何とか生きて元居た社会に戻れそうだと感じ始めていました。

残すところ数日となったある日、私はバキバキに折れまくった1ⅿくらいの短い釣り竿を片手に、食料調達のために魚釣りを試みていました。

少し高台から川を見下ろし、テイッとほぼ手前にしか飛ばない釣り針を空投げしていた時、化け物じみたどでかいピンク色の生物が、サーっと水中に現れます。

ピンクサーモン、見た目1~2ⅿ。

驚いているのも束の間、猛烈な勢いでさらに一匹、もう一匹とやってきて、私がいる高台の真下で4,5匹のピンク達が集結。

「早く釣らないと!もし釣れればお腹一杯になれる!」と慌てますが、どれだけ思いっきり投げても手前でチュンと悲しい落ち方をする釣り針。

飛ばないから届かない、ピンクに気付いてすらもらえない。

ガリガリでとにかく何かを食べたい状態でしたが、こみ上げる欲望を制御して釣りをやめ、高台に腰を下ろしてピンク達を眺めることにしました。

私は疲れているのも、お腹が減り過ぎて気が弱いのもありましたが、なんだか穏やかで子供を見守るおじいちゃんのような気持ち。

この時でした。

ピンクはまるで私がいるのを知っているかのように、真下で全匹が円を描くようにグルグル周り、入り乱れるように回転方向を個々に変えて泳ぎはじめました。

まるでパフォーマンスを私に見せてくれるように、円を描き、左右前後を行き来し、川の流れの中でさらに巧みに流れを作る美しさ。

水面下にキラキラ輝く淡いピンクと濃い透明が混じり合い、アートを描くリアリティに見惚れる時間。

私は無言で感動し、見入りながら深く感じました。

「みんな、本気で生きてんだなぁ」

私は自分の命のためにどうしても魚を殺し、食べたい。

命を頂き、私が生きる選択をはっきりして生活していました。

ピンク達に限らず、森で遭遇したあらゆる動物、鳥にムースに熊にヤギ達は、いつ死ぬか殺されるか戦うかわからない状況で、すぐそばに人間という野蛮で狂気と欲望に満ちた生態がいても、感動すらさせる美しさをクリエイトする。

この時の認識は紛れもなく感覚であり、感覚的に思考理解した状態でした。

当時はわかりませんでしたが、時間が経過した今、あらゆる言語化を学び続けている今思うのは、魂が現実そのものを感覚的に理知した体験だということ。

魂とは、現実を一切の迷い、心配、困惑、抵抗、違和感なく捉えた時に繋がる自分そのもの。

一切の抵抗、偽り、バイアスなく、そのままをそのまま知ると繋がる自分だと考えます。

※魂と繋がる感覚は、【心が繋がっている感覚】魂同士を繫げるかは自分次第だと知った日 をご覧ください。

 

魂とは、自分は[自・分]と知るための“繋がり”

「私とはあなた、あの人とはこの人、自分とは全体の一部」

体験談にて理解したのは、現実とは自分ひとりではわからないことであり、感覚的に物事を考え抜く状態に大きな認識があることです。

「みんな、本気で生きてんだなぁ」と思ったのは明らかに感覚。

感じを思ったという矛盾。

しかし、それが矛盾ではない状態。

これがおそらく現実という何か、プラトンの言うイデアかもしれません。

ピンク達によって私は現実を見る土台をもらったとも解釈できますが、実際に起こったのは、自分とは自分だけで存在しておらず、他を含めて自分を存在させた時に現実が見れること

魚を殺す自分を大いに受け入れ、魚によって生きられ、存在でき、生命を頂いていると感覚的に考え抜いた。

魚を食べられない状況を大いに受け入れ、魚や自然などの他を含めてその場の自分が存在していると知り、実際に見ているものを真に感受した。

自分ひとりでは現実は見れず、見るのはプラトンの言う現象界、いわゆる偏りと偽りと歪みによる不完全。

自己都合の偏った見方をなくし、現実を知るために他者認識する。

他のことは他にしかわからないので、理解するためには他を感じ、考え、知るために自分を手放し、相手に入るように寄り添い、中に入れてもらうように我をなくす。

この時に見える世界が現実であり真正

現実を見ることで物事の本質や真理が際立ち、そこにあるのは常に自分とは我ではなく、他と共に構成されて存在している[自・分]。

『全体の一部として自分がおり、自分は他と共に成り立ち存在する』と教えてくれるのが魂であり、そこに生命の働き、行為、力、繋がりがあるのだと考えます。

生命の働きがあるから変化や成長が起き、他を含めて自分を見るから人間関係があり、優しさや愛や信頼があり、繋がりがあるから現象と縁起があり、他のために生きる気持ちになるから徳や運が生まれます。

魂とは本来の自分との繋がりであり、現実を見る力を持つ自分の思い出し。

これを一言にすると、ワンネスとの繋がり

全ては一つであるワンネスは意識の大元であり、宇宙の源。

そんなスピリチュアルな理解は思考ではなく経験による感覚と感性ですので、あくまで材料であり、本質的には哲学する知性を加えて完成するのだと思います。

 

魂とは一体何なのか まとめ

ご苦労さまでした。

何か個体であればわかりやすいのですが、どうも「繋がり」という意味深。

さらに繋がりとは縁であり、因果、記憶、事象、認識、生命という私達人間の不思議。

魂がわかると私達人間や動物や虫の生命体をはじめ、菌や鉱物や植物、自然や地球や宇宙と常に関わり合っている一心同体だとわかります。

しかし肝となるのは、一心でありながら実際には一人一人肉体があって個体に見えるさま。

意識というこれまた不思議なものがあるためです。

「人差し指を見てください」と言われると意識が人差し指にある。

「そういえば昨日のカレーは美味しかったな」と思うと意識が脳にありながら過去にある。

右肩の感覚にフォーカスして意識を置きながら、同時に左肩にもフォーカスする、けれどもどちらかにしか意識が向かず、パパッと瞬間的に意識が移動する。

しかし、意識を落ち着けた瞑想状態、または睡眠時のような脳波になると、全く同時に意識を両肩に置ける。

意識とは時空のない認識。プワーンと認識範囲を広げることができるように、次元をまたいで魂と繋がります。

この繋がりがないと魂がない(見失う)状態となり、心を閉じるとは比べられないほどの絶対的な孤立が起こり、「私はここ、自分自分!」と我の虚無や喪失を拒むためにあらがいたくなります。

魂がある状態の孤独に寂しさや悲観はなく、自分とは何なのかを真正な認識で知る大いなる機会そのものとなります。

魂とは繋がりであり、生命そのもの。

自分そのものであり、他と共に存在する自分の認識。

ふとした時に私達は魂と繋がっていると思います。

人との繋がりを感じる時、動物を愛し、虫との関わりを楽しむ時、山登りで自然を堪能し、コミュニティで自分の居場所を認知した時、そして人を愛し愛された時。

他を含めて自分を捉える時、その時その空間は無意識領域でパッと消え、あるのは明確な我の手放しと、現実を見る力との繋がり。

そんな魂を知ることは、人間の営みと活力を発見する冒険です。

「私はあなた、あの人はその人」という認識に魂がありますが、こんなものは実際に感じられなければ意味がありません。

そのためにスピリチュアルの感覚的理解が大切だと思います。

「へぇ、そうなんだ」で終われば魂はなく、他を含めながらも自らの感覚と知性を大いに使い広げる先に魂があります。

そのために哲学の知的理解が大切だと思います。

ご自身の感覚的思考を深めるために、ここでの内容がお役立ちとなれば幸いです。

それでは最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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