意識、次元

【無意識の最適化】ぼーっとしている人は特に頭がいい訳がある

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夕方になると道沿いに座るじいちゃんばあちゃん。

何か一点に集中しながら、たそがれている。

この風景には、“自己の最適化”という見えざる効果がある。

そんなことを知ったのは、私が海外を旅して出会った中で最も頭がいいと思った人々に、全員共通して特徴的なさまがあったからです。

「ぼーっとして、おっとり」

ほんのひと時ですが、私自身が人生で最も頭がよくなった瞬間を味わった時、ぼーっとする以外の在り方が存在しませんでした。

そんな経験を紐解きながら、ぼーっとする人の頭のよさを分解します。

  • ぼーっとする人の頭の中を知りたい
  • どうしてぼーっとする人は頭がいいのか知りたい

頭のよさを紐解くと、次元概念を超越した人間知性の神髄がわかります。

「人間の頭って何なんだろう?」を探求する一つの考え方として、お楽しみください。

※奇妙な内容なので要見極めです。

ぼーっとしている頭がいい人の特徴

ぼーっとしている頭がいい人の特徴11選

ぼーっとするのはストレス性の神経症や病気などさまざまな要因がありますので、頭がいいからぼーっとする人にフォーカスした特徴を初めにご覧ください。

1,マイペース

「あ、変な雲だ!」

友達と会話していても、突然別世界に入ります。

マイペースの域を超えた時空の喪失が起きており、この瞬間に頭がいい本人は雲と同じ世界にいます。

今さっきまで友達と話していたことと、生まれて間もなく犬に顔を舐められたことが同じ記憶感覚になり、戻ってきた時は、「あ、そういえば何の話だっけ?(そういえば犬に舐められたなぁ)」

超が付くほどマイペースです。

 

2,「間」を使う

沈黙が沈黙ではない特徴です。

何も話さず、何も表さない時間となる「間」を使うさまは、時間と空間を手放す作業。

ぼーっとする人と話す場合、時計も場所も忘れる錯覚が起き、間によって相手に取り込まれる、または魅了される感覚を味わいます。

主導権を握ろうとしたり、私利私欲でコミュニケートの場を利用する企みがあれば、間によって一瞬で無効化されます。

 

3,周囲を気にしない

周りの反応、目、評価、判断を一切気にしない特徴です。

変人や頭のおかしい人に思われることもしばしば。

メンタルが強い特徴でもありますが、メンタルが弱い強いの概念がなく、精神が絶対的な安定にいる状態を意味します。

 

4,他人に干渉しない

他人に興味がないと思われますが、実際には不干渉である特徴です。

一切干渉しないため、無押し付け、無決め付け、無思い込み。

自らを自由にしながら、関わる周囲を一切縛らず奔放、「みんな自由がいいよねぇ」

まるで蝶のようにヒラヒラと生きており、風のようにユラユラと交わし、沢のようにスルスルと流れます。

※他人に興味がない頭がいい人の特徴は、『頭がいい人の他人に興味がない理由8選+決定的な理由』をご覧ください。

 

5,基本ベースがゆったりおっとり

ゆっくり時間が流れる、おっとりした特徴です。

自然を好み、田舎を好み、何か誰かどこかと一体であることを愛します。

考え事をしている時間が長いですが、意識を一つに向けないために固執や執着しない認識をします。

頭がズキズキする時、「右側のここが痛いな」と一点に意識を向けず、全身に向けて、「感度が高い部分があるな、ふーん」と捉える、そんなイメージです。

 

6,静か

大人しい特徴です。

ユラユラと蝶のように舞う人もいますが、頭がいいとか悪いとかの概念に引っ張られないので、自らの知性を披露して喜ぶ欲がありません。

物静かで何も考えていないように見える人もいますが、あらゆる物事を把握しており、常に考えている人です。

 

7,平和

一緒にいるだけで平和の本質を体感させてくれる人。

柔和で温かく、穏やかで涼やか、あらゆるものを平等に捉える認識があります。

「人間だから、動物だから、菌だから」という差作りがなく、フラットに見てフラットに関わります。

上下左右、高低優劣、正否善悪に良悪を付けた区分けがありません。

 

8,一発で本質を捉える

物事の本質しか見えていないように、現実を湾曲させるフィルターがかかっていないように、あるものあるままの姿をシンプルに見抜きます。

認知の歪み、メンタルによる自己都合、常識やルールによる認識低下、ホメオスタシスによる知覚の化石化、エネルギー不足による偏り、固執、偽り、誤魔化し、正当化が皆無。

今この瞬間のリアルを捉え、今この瞬間の感覚と感性で知覚し、今この瞬間の肉体(脳と心)で認知し、今この瞬間の自己で認識して把握します。

 

9,主観も客観もない

特に頭がいい人に該当する特徴です。

自らを中心にした認識も、自分以外の他を中心にした認識もありません。

まるで自我がないように、自分という存在がないように、主観的な捉え方も、客観視もなし。

イメージは、空間に目がついているような感じ。

 

10,認知欲求が強い

大きな特徴となるのが、認知に対する欲求の強さです。

「これを見たい、あれを知りたい」ではなく、「あるものをあるままに見たい」「これの真の姿を知りたい」という、物事をよりクリアに、より深く、より精密に、より寛大に捉えたい。

すなわち、自分を使って他の真のさまを知りたい、共同体意識に基づく意志です。

 

11,愛のある人

大きな愛を持つ人です。

愛への興味が強く、人と関わる際は愛を与え、愛を貰う循環を楽しむ目的があります。

以上が、ぼーっとしている頭がいい人の特徴でした。

 

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ぼーっとしている人の頭がいい訳

本当に頭がいいの?

疲れたり、エネルギー不足になると、自然と休息を求めてぼーっとすることが日常的にあると思います。

しかし、誰しもぼーっとしていれば頭がいい訳ではありません。

ここでお伝えしている頭がいい人の「ぼー」には特徴的なさまがあります

「ぼーっとする=瞑想」

瞑想中であり、ぼーには力が抜けているさまがあります。

少しややこしいのですが、マインドフルネスではなく瞑想である点もポイント。
※マインドフルネスは今ここの感覚感受
※瞑想はマインドフルネスの先にある意識の探求

幼い頃からの癖であるため、無意識になっている人が多いと思いますが、自然と瞑想を始めている在り方には、物事を捉える“認識”に、ある特性を生み出します

ある特性とは、意識の向け方が点(固執)ではなく、円であること

 

意識の向け方が円になると、認識力が格段に上がる

私達は意識を向ける時、どこか一点フォーカスするのが一般的です。

心理学では人間は同じ瞬間に一点のみに意識を置けると知られており、「鼻の横が痒いな、ポリポリ」とした時、意識は鼻横一点。

この時、右足の上を蟻がテクテク歩いているのを見逃します。

いたって普通のことですが、ぼーっとしている人は意識の向け方がこのように点ではなく、円という特性があります。

蟻が歩いているのも見逃しません。

右腕に意識を向けると同時に、左腕にも意識を向けられます。

マルチタスクが得意で、ピアノの右手と左手が別々の音楽を弾けるということではなく、意識がブワーンと広がって右腕に起きていることも左腕に起きていることも同時に知ります。

知るとは、感覚感受があり、知覚があり、認知して、認識すること。

すなわち、自分という存在をできる限り最大活用して、自分以外の他からの影響(または他)を理解すること。

情報を扱う機能が発達し、頭の回転が速くなり、情報整理や管理が上手く、1を知って10を理解します。

知るための情報摂取可能量が異常に多いです

※抜けている頭がいい人の特徴は、【バカっぽいのに頭がいい人の特徴と知性】どこか抜けている天才肌 をご覧ください。

 

ぼーっとしている人は認識力が異常に高い

私達には人それぞれ知覚発達や感覚感受、認知機能や認識力に基づいて、情報を扱うための許容があります

同じタイミングで両サイドから話されると、「もうわからないよ、一人ずつ話して!」とイライラする人は多いと思います。

ぼーっとしている人は認識の特性から、幼い頃から取得する情報量が多く、脳機能の育みを初め、あらゆる情報取得、整理、保管量が増え、[肉体・脳・心]との繋がりや使い方をマスターしていきます。

この結果、一瞬で捉える情報量、質の高さ、幅が広がり、認識力が高まります

同じタイミングで話されても許容を超えにくく、「二人、三人、四人でもOK」と、人それぞれの許容に合わせて増えていきます。

認識の量が多く、質が高く、速さがあると、知らない部屋に入った時に一瞬で把握する情報が多く、さらに記憶に留めておく力があるので昔のこともよく覚えています。

ミクロとマクロ両方の視点を持ち、多角的に把握する技術も高まり、さらに認識力が高まります。

ここに認知欲求があるために、物事の本質や核を知る見方が追加され、人の話を聞いている時に手持ち無沙汰になるどころではなく、相手自身でも知らない本人の心理や精神など、見えない領域をも把握します。

「もはや何を知られているかわからん」と怖くなる人もいるほど類まれな認識力を持ち、さらに日常的に毎日自然と育み、鍛えていきます。

人とは違う目線を持ち、どこまで先を見ているかわからないほど先見性があり、内部や本質など深く広く捉える認識力から、頭がいい人となります。

 

ぼーっとしている人の内部は全くぼーっとしていない

これまでの内容を読んでいただくとわかるのは、外面はぼーっとしていても、内部はとんでもなく忙しないことです。

肉体感覚、脳機能、心の感受を用い、認識力の高まりはエネルギーや波動などスピリチュアルな理解にまで及び、第六感や直感、デジャブやひらめきなどあらゆる認識が増え、人によっては過去世まで見ます。

一度機能が覚醒すれば自然と認識するように、入ってくる情報はなかなか拒めませんので、捉え続けて機能を高めることになります。

が、私達は寿命や限界のある肉体を駆使しているので、稼働し続けることは大変困難です。

そこで出てくるのが瞑想、もとい、ぼーっとする行為

内部は常に忙しないため、なるべく肉体と脳を休めさせます。

さらにぼーっとすることには重要な意味が潜みます

瞑想によって意識の円を拡大し、できる限り点(固執)をなくすことで、意識を動かすエネルギーがなくなり、合理的で効果的な捉え方ができます。

薄目で目の前の光景を見て、何か意識的に稼働せずとも全体をパっと把握するイメージです。

何にも固執せず執着しない認識となり、疲れをなくします。
※正確には除ける消費をなくす

これらをするさまがぼー、おっとりした在り方になります。

 

頭がいいとぼーっとするスピリチュアルな理解

人生で最も頭がいいと思った体験談

これまでの内容がわかりやすくなればと思いますので、私自身の体験談をご覧に入れます。

私は頭がいい人間ではありませんが、あるスピリチュアルな体験をした際に、とてつもなく頭がクリアになり、一時的にですが認識力が格段にアップして、これまで見ていた世界との一変を味わいました。

アラスカの森で60日間のサバイバル生活を過ごした後のことです。
※詳細は、幸せはムニュムニュムニュ(電子書籍)をぜひ読んでみてください。

草と虫を食べる野蛮なアニマルライフを終え、無事に生きて街に戻って来た私は、ある現地人男性に命を助けてもらいました。

その後の生活は当時骨中の骨、ガリガリガリクソンだった肉体の満たし、心の満たし、魂の満たしが起きる毎日。

住む場所を求めれば場所を提供してもらう出来事が起き、お金が欲しければお金を稼ぐ機会がもたらされ、食べ物を食べたければ頂ける恩恵があり、出会いを求めれば素敵な人々と関わる偶然がありました。

嘘みたいなことですが、望むものは何でも手に入りました。

そんな生活をしていたある日、私は川沿いをブラブラ歩いていました。

「わぁ、綺麗なお花、誰か植えたんだなぁ、素敵だなぁ」と眺めていた時、私の意識が一変しました。

パンッとフィルターが変わったように、見える世界が別物になり、全てがクリア。

お花の匂いが鼻の奥底に届き、川の匂い、街の香りなど、あらゆるにおいを認知します。

お花の色はとても鮮明で、まるで花火を見ているように輝いて見え、妄想ではなくキラキラした粉が降っているお花畑気分を目の前ではっきりと体感します。

「わぁ、なんて心地いいんだぁ」と感じ、何かに包まれる温かい気持ち。

全身が浮遊するように軽く、かなり遠くで話している人の声まで聞こえます。

一つ一つの情報キャッチが明確であり、さらに許容が無限になったさまは、まるでスーパーマリオの無敵状態が現実化したようで、とにかく楽しくて幸せな気持ちでした。

頭の中を見ながら、外界を捉え、あらゆる情報を混ぜ混ぜして料理しているような楽しさがあり、どれだけ情報が増えても楽しくしかならない状態は、私の人生で最も頭が働き、最も頭の回転が速く、最も頭がいいと思えました

この時に起きていた決定的な特徴が、ぼーっとしていたことです。

ぼーっとする以外の状態選択がないかの如く、自然とおっとり、お花を見て、川を聴き、人の声を聞き、空気を味わい、街の雰囲気を感じ、オーラを認知します。

あらゆる物質の外側に何層にも色が重なって見え、なんともカラフルで美しい世界が広がっていたのは、今でもよく憶えています。

しばらくすると、脳内に住み着く別の私が現れ、「ちょっとちょっと何この状態、不思議な妄想じゃないの、何なの?!」と言い始め、そんなひと時は終焉していきました。

インド、ウパニシャッド哲学では、この意識状態をTuriya(The fourth state of consciousness)と言います。

 

洞察:ぼーっとする時の意識には自我がない

最後はとにかく奇妙ですので、好きな方だけお読みください。

インドのガンジス川沿いに住むグルジー、ブッダガヤにある菩提樹の管理をしている仏教協会の代表女性、アマゾン奥地のシャーマン、アフリカの民族長老など、

これまで出会った特に頭がいいと思った人々、そして一時の私の体験を洞察すると、共通点があります。

「自我がない」

「私、自分」という意識がなく、自分という何かが存在すらしていません。

私の体験談で言うと、ぼーっとなる不思議な意識状態を味わった時、そこに私自身は存在せず、お花と一体になった何かがこの世を認識している感覚でした。

表現を変えると、空間に目が付いており、空間がお花を包むように一体化して、空間側の目線もお花側の目線もないフラットな認識。

おそらくこれを平和と言うのだと思います。

自分がいないその認識は、幸福以外に例えようがありません。

何があっても焦ることがない状態、何かあれば一瞬で認知機能と認識力を発揮して、最大限の力を瞬時に出し、次の瞬間にはまたぼーっと目の前の世界を眺めている。

何もしない力の抜けた状態ではなく、一切力を入れずに世の中を見る状態。

一瞬で力を入れることも、入れないこともできる自然体

生きている以上働いてくれている肉体、脳、心、魂との繋がりを最大限引き出すための一切の抵抗撤廃。

情報取得、肉体感覚、脳機能発揮、知覚に基づく認知、それら全てを総じて物事を認識する力を出す最適化が、ぼーっとする行為。

これを無意識にしているのが、頭がいい人なのだと思います。

 

ぼーっとしている人は頭がいい まとめ

おかしな体験をしているかどうかは重要ではありません。

無意識にぼーっとすることに意味があり、人それぞれの肉体や心の許容に合わせて、自然体になるぼーがあると思います。

頭がいい人の捉え方は、地頭のよさ、頭の回転の速さ、記憶力の高さ、IQの高さなど、さまざまにあると思いますが、特に頭がいい人と出会うと見逃せない在り方があります。

「知る力」です。

知るとは何かを知っており、そこには自分の手放しがあり、他への寄り添いがあり、さらに自他から離れて全体へ向かいます。

一点集中して物事を捉える時、大きな硬直が頭と肉体に起き、心にも起きます。

一方で、一点ではなく全体を円で捉える時、抵抗の手放しが起きてどこにも力を入れなくなります。

ぼーっとしている頭がいい人は、力を抜く認識に目的があり、何も考えていないようであらゆる物事を把握しています。

そのため、あまり頭がいいように思えないかもしれません。

「頭がいい?何それ?いいって何?」とこういう意識状態ですので、あまり表に出てくることはなく、裏方として力を発揮して他者貢献に力を注ぐ利他の心を持ちます。

私の理想であり、これから何百年もかけて目指す対象。

もし周囲にいれば幸運そのものだと思います。

「人間とは何なのか、頭がいいとは、人間の知性とは?」

真理を紐解くための一助として、少しでもお役立ちできれば幸いです。

それでは最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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