方法

【自然体構築】「何も考えない」ができない人のマインドフル戦略

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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。

本を読む時は異世界に誘われ、生きる描写を楽しむ。

ご飯を食べている時はご飯の世界を堪能し、孤独のグルメ状態。

今に集中して、感覚を感じるマインドフルネス・・・

しかし、

思考が出てきて、考え事が始まる。

元の世界に元通り、集中できない、楽しめない、続かない。

何も考えないことはマインドフルネスや“今ここ”に欠かせない大前提ですが、何も考えないことができないと悩む方は多いかもしれません。

そんな時は、「どうして考えてしまうのか?」の紐解きが大切です。

ここでは、何も考えないことができない方に向けて、マインドフルネス戦略をお伝えします。

  • 一つに事にフォーカスしたいけど、考えてしまう
  • マインドフルネスしたいのに雑念でできない

私自身、何も考えないことができませんでしたが、自分を知ることで解決できた道行きがあります。

そんなお話、自己理解を深めるために一つのご参考になれば幸いです。

youtubeもありますよ。

何も考えないことができない

何も考えないことができない人の特徴

なんでも
なんでも
初めに特徴をいくつか知り、共通点についての理解を深めていきましょう。

1,頭が固い

頑固な特徴。

一度決めたら曲げない、自分が認めないと決めれば認めない

目の前にリンゴがある、けれどもそれに納得いかなければ認めない強情さがあり、「事実は事実である」ではなく、「私が事実と認めるかどうか」という捉え方。

過剰化すると自分の意見は絶対に正しいと言い張り、他を受け付けなくなります。

 

2,納得、不納得が基準

事実を認めるかどうかは、納得できるかどうかになる特徴

それそのものの事実や現実ではなく、納得できれば認める、納得できなければ認めない。

なんでも
なんでも
「1+1=2?なんで?」「1+1=1+1でしょ」などと人それぞれのルールが基準になる意味です。

脳内に納得開閉ドアがあり、納得したものは事後処理にて事実行き、不納得なものはどこにも行かずに留まります。
※留まったものの処理に追われて、思考を止められなくなる

すると、「それじゃあ納得させてみて」という目線になる人もいます。

 

3,自意識が強い

「自分は自分」「私と他人は違う」という意識が強い特徴

自らを律する力がありすぎるほど、自他の区分け意識が強く、「変わってる」と言われるようになります。

 

4,頭の回転が速い

考える在り方は、自己能力を伸ばして知性を高められます

人それぞれに知的で、知性が機敏で、記憶力がよく、頭の回転も速いです。

何より思考体力が高いので、長時間考え事をしても平気でいられます。

 

5,我慢強い

思考優位になると我慢が強いられます

独自の見方やルール(納得不納得基準)を前提にすると、他との関りは思い通りにならないことだらけになり、自動的に我慢を要します。

我慢によって知性を高める利益がありながら、抑圧や息苦しさが増え、ストレスが溜まりやすくなります。

 

6,頑張り屋

考えないができない人は、頑張ってきたことに自負があり、とても真面目。

そして、これからも頑張る気があります。

なんでも
なんでも
真面目な人ほど、日本では我慢をはじめ、迷惑をかけないに重きを置き、頑張り屋になります。

「頑張らなければならない」を基準に独自ルールを上乗せするので、どこかで必ず矛盾が生じ、自意識があるからこそ生きづらさになってしまう可能性が高まります。

 

7,甘えられない

他人に頼る、甘えることができない特徴

依存執着しないように頑張る性格や、自意識にて自他を区分けるため、心を開かないようにセーブしようとします。

甘える自分を許せない念が強まり、自分に厳しくなり、自らで自らを苦しめてしまうことも。

 

8,妥協が多い

「しょうがない」と自分が折れることで事柄を進める特徴

何も考えないことができない人の場合、諦めや受け入れとは違い、我慢の一種であるのが大きな特色です。

「仕方ないな」と思える納得をどこかに見つけるために、「この人は弱いから私が折れてあげよう」などと比較を引用することになり、優劣や勝負を含めた思考・概念を多用します。

 

9,癒しがない

癒しではなく、納得するための行動や休息になります

思考を止めるために森に行くのではなく、「納得するために勉強する、もっと理解を深める」と頑張ります。

頭も筋肉も硬直状態になりやすく、リラックスできなくなる点は要チェックです。

 

10,縛りが多い

[ルール基準+独自ルール(納得有無)基準]になると、とにかく縛りが増えます

良悪、正否、勝負、納得有無、価値有無になるので、「私は正しい、間違っている」という善悪二元論に陥る可能性もあります。

「この内容は自分のためになった、ならなかったな」が多く、

「なんか読んでるとホワッと心地よくなったぁ、まぁ内容全く覚えてないけどね」なんてことがない在り方です。

以上、何も考えないことができない人の特徴でした。

 

何も考えないことができないポイント:共通点

上述の特徴は一つの事柄に集約されます

『一つの自分に限定している』

なんでも
なんでも
当たり前のようなことを言っていますが、その時その状況によって自分が変わらないことを意味します。

私たち人間は環境、状況によって自分が変わります

東京にいれば、東京の自分。

インドにいれば、インドの自分。

肉食レストランで働く自分と、ヴィーガンレストランで働く自分

同じ国でも、住む場所や環境が変わればその都度変わります。

しかし、日本にいてもインドにいても同じ自分である場合、明確に言えることがあります

自分を貫いている。

私がそうでしたが、「これが私だ、私とは私だ」と自我を貫いている状態は、考えることをやめる(切り替える)のができません。

 

何も考えない方法

何も考えないことができない理由

なんでも
なんでも
心理学にて知られている人間の特性に、「一つの瞬間に一つのことしかできない」があります。

マインドフルネスや瞑想をする際、心臓の動く感覚にフォーカス。

その時に考えるという同時並行作業ができません。

そのため、感覚にフォーカスすると何も考えないことができます

しかし、心臓のトクントクンを感じて、「こんなに音が大きいんだな」と既に頭の中。

数秒後には、「昨日の仕事での部長の発言って、何を基に言ってたんだろう?」なんて頭にのめり込み、心臓のことは忘却。

何も考えないことができない理由を考える時に重要なのが、「どうして考えないができないのか?」ではなく、「どうして一つの自分に限定しているんだ?」という捉え方です。

一つの自分に限定している理由は、自由がないからだと考えられます。

自由とは究極的な分散、自分を自由自在に変え、その場に適応させ、順応させ、受け入れ、創造する在り方。

自由の反対が制約、縛り、抑制。

影分身したい100人の自分が紐でグルグル縛られて動けない、「クッ、なんだこの紐は」

縛りや抑制が強いと、その場に留まらなければならなくなり、動けない、自由がない、楽しくない、つまらない。

現実を見たくなくなり、事実をそのまま認めにくくなる。

それならばと、頭の中に入って自分なりに解釈して、認識して、納得させるための見方を構築して、生存戦略を考えていけば、自由がなくてもなんとかへこたれずに対処できます。

思考が必須。

考えることはとっても大切なものになり、手放せなくなります。

 

『執念』

なんでも
なんでも
思考は大切ですが、考えることが手放せなくなると執着が増えます。

執着とはエゴ

執着とは不納得と不満足を嫌がる自分

執着に頑張りが追加されると、執念になります。

「喜びたい、楽しみたい、幸せでありたい」と自力で得ようと頑張り、行動し、努力すればするほど、不納得を拭い納得を掴み取るために脳を使用します。

諦めない、絶対に解決してやる、対処してやる。

「あらゆる知識を習い、学び、どこへでも行って理解する、向上するぞ!」

何も考えないことができないのは、自由を邪魔する抑制の中で幸せを掴み取ろうと頑張ることで生まれた執念がネックです。

執念は思考を手放しません。

別のことに集中しても、「何かしなきゃ」と奮い立たせ、頑張る自分を貫きます。

意識は脳に居座るようになり、それをさらに脳が恒常化させて当たり前にします。

こうなるとマインドフルネスも瞑想もできなくなり、物事の集中が続かなくなっていきます。

 

何も考えないポイント

なんでも
なんでも
考えるのをやめられない私がそうだったのですが、「どうすれば考えることをやめられるか、止められるか?」という目的を作ってしまいます。

これは納得主体の執念スタンスであるため、この目的で頑張るほどに逆行します。

何も考えないためには、納得主体の執念スタンスから離れる必要があります。

ポイントは、考えるのをやめるのではなく、どうして執念の自分に執着するのか。

自分を一つに限定していればその自分に固執し、一貫し、切り替えがなくなるのは当然です。

「どうして自分を一つに限定しているのか?」の紐解き、答え探しが考える執念を手放します。

この答えはシンプルです。

人為的だからです。

 

何も考えない方法:自然体

なんでも
なんでも
人為的は、自然体の反対を意味します。

人為的になると、時間と空間の概念、共通認識に縛られ、あやふやや曖昧、感覚的な捉え方では納得できなくなります

「自然体とはヘロヘロのプニプニ~」と言おうものなら、氷柱が脳天に落ちてきます。

何も考えないためには自然体になることが方法です。

「何も考えないために頑張る」ではなく、「自然体になる」

何も考えないことができない、どうしてもすぐに考えてしまう、考えたくないのに考えてしまう方は、自然体、リラックス、そして自分を一つではなく増やしていきましょう

することは癒し

具体的には、自然の中に行くのがシンプルかつ即効効果があります。

他にも旅行、キャンプ、美味しいものを食べ、マッサージを受け、好きなことをすると良き塩梅です。

カラオケでストレス発散、これは人為的なので、考え方は“癒し”のための行動が主体。

旅行に行ってスケジュールを組むのではなく、何もしないでボーっとする

そんな時間を少しずつ増やしていくことで、執念のない自分が増えていき、何も考えないことができるようになっていきます。

 

何も考えない仕組み

なんでも
なんでも
実際に自然体になって何も考えないようになるには、「自分は一つではない」という考え方が重要です。

私たち一人一人には意識があり、この世の現実は意識が瞬間瞬間を認識し、その認識の連続性をどう繋ぎ映すかにかかっています。

現実は今ここにしかない

すると、今ここがパパパパと連続し、それを存在し続ける今、そして“今”毎に自分がいます。

自分が一つしかいないというのは本来あり得ません。

しかし、あり得る方法が、社会的に自分を存在させる、いわゆる共通認識にて自分という何かが存在していると思う脳の成す業です。

これが執着(執念)であり、人為的軸状態。

自然的になるとその時その場その状況、そして目の前の人によって自分はコロコロ変わります。

なぜならば、私たち人間は他との関りにて初めて自分の存在を認知できるため、あらゆる他(遺伝子情報といった内面も含めて)によって自分を存在させられるためです。

優しい人と会話する時の自分は、なんだかちょっと優しい。

怒りやすい人と一緒にお酒を飲むと、なんだかちょっと怒りっぽい。

都会にいる私と田舎にいる自分は、性格も話し方も、会話のテンポも歩くスピードも違う。

インドに行ってまで日本の価値観とルールを押し付けていた過去の私と、インドではインド人のようになる私はまるで別人。

ベトナムの定食屋に行けば地元民のように肘をついてスープを飲み、フレンチレストランに行けば背筋を伸ばしてナイフとフォークをゆっくりチャカチャカ。

自然体になると何も考えない訳ではありませんが、その場の状況に合わせた自分、他と組み合わせた自分になっています。

自己の貫きはなく、調和や受け入れ、素直さに寛容さがあり、自然と組み合わさった自分が存在します。

その自分は執念のない自分。

何も考えないようにせずとも、自然と考えないことができる自分になっています。

 

最重要理解:何も考えないとは切り替え

なんでも
なんでも
考えられる、思考体力がある、我慢できる自分がいることは素敵な事実です。

人為的な自分は、社会的で社交性のある自分ですので、現代社会では価値ある生存戦略です。

人工物も自然物も入り交ざる社会なので、どれほどの割合か調整し、変化させていくのが何よりも重要です。

人為的な私と、自然体な私、両方を存在させる考え方

このために欠かせないのが、切り替えるスイッチの設置

仕事中の自分と、オフの自分。

一人の自分と、会合中の自分。

野外の自分と、自宅の自分。

集団焼肉時と、孤独焼肉時。

日本の自分と、ハワイの自分。

ハワイにはハワイのルール、常識があり、地元民への尊重をする自分がいる。

その時その場で自分を切り替える“意識”を作り、自然体な自分になる時間を増やす。

自然体な自分が増えていくほどに、徐々に自然と考えないことができます。

頑張りは厳禁です。

ゆっくり行きましょう。

 

最後に:何も考えない方法

「何も考えないようにするぞ」を如何に手放せるか、という内容でした。

考え方は、「何かを追加するのではなく、現状を緩和して自然と生まれるものを許容する」

手放して生まれる命を大切にする、という感じです。

頑張ってきた自負があると頑張るのをやめるのは大変だと思います。

何かしなきゃと思う自分、意味を求め、合理性と効率を欲し、生産性を気にする自分も大切なので、頑張るなら頑張る自分を切り替えて存在させるといい具合です。

いきなりボーっとするのは難しいので、自然体な自分を新たに存在させるために少しずつ自然との関りを増やします。

その際は、必ず切り替えてから自然と関り、リラックスし、癒しを得ましょう。

現代社会、さらにこれからの時代は切り替えがとっても重要なツールになると思います。

切り替えないと苦しみや生きづらさは強まってしまう環境が多く、なによりこれまで強く現実を生き、育んできた自分は本当に大切な存在です。

執念があるとは、根底に許せない念がある意味。

そんな考え方で自らと接することで、「許す」ことができ、心理面からの何も考えないアプローチもできます。

物事は一歩ずつですので、少しずつ新しい自分を見つめて、創造するご参考になることを祈ります。

それでは最後までありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. ゆうた より:

    お久しぶりです!
    西澤先生のところで勉強しているのですが
    先日初めて北斗さんのブログ繋がりの方と伊勢神宮で会いました。
    なんかシンパシー感じるなぁとズームの画面越しでも思っていた方なので、驚いたものの、納得感がすごかったです。笑
    地球のどこにいるか分かりませんが、YouTube活動も応援しています😊

    • 北斗 より:

      学んでるね♪
      同じ入り口だと、波長が似ているんだろうね。

      うん、ありがとう!
      ゆうたさんの自己理解の深まりも応援しているよ^^

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