すぐおこ。
一体どんな人間で、何が問題なのか?
私は家族事で成り行き立たない苦しい事象が続いた間、怒ることがあまりに増えました。
思い返すほど、「なんてめんどくさい人間なんだ」と思ってやまない。
せっかくの機会なので自分を洞察してみると、すぐ怒る内情には明確なまでの“弱さ”があります。
この弱さを深掘りしてみると、本人だけでなく関わる周囲にとっても大切な気づきがありそうです。
- すぐ怒る人に何が起きているのか知りたい
- めんどくさいので対処したい
『怒り』は自分を表すなによりの材料。
一つの考え方として、自他共の対処に役立てばと思います。
Contents
すぐ怒る人に起きていること5選

1,自分の思い通りにならないとパニック
5歳児だと思ってください。
この5歳児、二種類います。
一つは、思い通りにしたい欲求強め。
もう一つは、思い通りにならないと自己保持できない有り様。

スーパーでお菓子を買ってもらえない時の床に寝転んで足バタバタしながら叫ぶ、これの造形が若干大人風になった結果が怒りです。
「どうしたらいいかわからない」となった際、「うわぁあああぁああぁ」と泣き叫ぶのではなく、ムムムと相手を責め立てます。
幼稚性でありながら精神虚弱であり、人によっては精神疾患の症状にもなると思います。
2,不安と恐怖を対処できない

不安を感じると全身が熱くなり、冷や汗が止まらないような強烈な焦り、周囲をキョロキョロしないとやってられない状況に陥ります。
恐怖を感じると全身が真っ暗闇になり、襲われる感覚を抱きます。
ホラー映画で何かに追い詰められた時にキャーと叫ぶ、あの状況に似ています。

抗う力があれば怒りになり、「そうでありたい自分」をまるで本当にそうなっているかのようにした有り様、誤魔化しが見られます。
「ぼくはヒーローだ、エイエイ、ヤー!」とやっていた子供の身体だけ大きくなったバージョンです。
3,認識力が恐ろしく低い

「今までどうやって生きてきた?」と思うほどでして、自分の見たいもの以外何も見えていませんし、見ようともしません。
それでいて見えていない自覚がないので、「私の世界がまかり通らないのは周囲がおかしい、なんでわからないの?」となり、自分は正しい前提を糧にします。

車がボロボロで壊れているのに運転しているみたいなものでして、実相が見えておらず、知能低下とも捉えられそうです。
この状況では集中力がなく、継続できない、飽き性にもなりえます。
※知性の問題かどうかの見方は、【怒りのエネルギーが強い利点&汚点】すぐ怒る人は頭が悪い訳ではないと知った体験をご覧ください。
4,甘えている

すぐ怒るのは犬(特にサイズが小さいの)になっている状態と似ています。
小さい犬化、偉そうにできる時は偉そうになろうとする。
これも自己保持の一種でして、「自分は上だ」と思える人や環境であればあるほど怒りをあえて露わにするために吠えます。

ですが、恐いのは嫌なので居る環境や人々はしっかり見極めるずるさがあり、吠える対象を選んでいます。
これは一種の甘えであり、対象を甘く見ているが故です。
5,偉いと思っている

これは猿化です。
自分を偉いと思っている人ほどすぐ怒ります。
上述の甘えとは似て非なるものでして、甘えは近しい人に対して起きやすいですが、偉そうなのは誰に対しても自分より下だと思う対象に怒ります。
認識力が限りなく低いだけでなく、自分のことしか見ていないだけでもなく、「私は上で、優れて、正しい」と思い込みたい願望と執着をさらに他人に押し付ける所業。
ハラスメントになる猿でして、立場を利用したボスやクレーマーに多い。

ちなみにこの類は共通して、「私は頭がいいんだ」と本当に思っている特徴があります。
要約:

怒りの沸点が低くなり、ちょっとしたことでプッチンプリン。
明確に、自分を見失っている状態です。
コントロールなんてなんのその、不可能。
すると起きるのが、恐怖心を対処できなくなること。
メンタルと精神に余裕がない状態。
改善へ進めず、向き合いなど考えることもない、自己をとにかく保持するための防衛と主張活動が盛んになります。
怒りではなく悲しみや虚しさになる人もいますが、怒り人にフォーカスすると際立つものがあります。

恐怖心を誤魔化すために自己愛が衝動的に暴発する
怒るのは恐怖心を対処できないがための抗いであり、その方法として自己愛を爆発的に過剰化させ、恐怖心を誤魔化して自己愛を守ろうとします。
そんな見失いによる自己愛の暴発、自己限定の愛を守るために他人にわかって欲しい執着がすぐ怒る様相という見方です。
※思い通りにしたい内情は、【インド体験&改善方法】自分の思い通りにならないと怒る心理をご覧ください。
すぐ怒る人の弱さ

すぐ怒る人(状態)の弱さとは
怒ることには人それぞれ自己表現する狙いがあると思います。
自分がわかっていないことがわからない状態であり、人によっては精神疾患の可能性があると思います。
精神疾患は捉え方が違うので一緒くたにできませんが、これが意味するのはすぐ怒る人や状態にある『弱さ』だと考えます。
弱さとは、エゴに意識(自分)を牛耳られていること。

意識には大きく[エゴ(我)・超自我・自我・真我]の四つあります。
※エゴと超自我は脳内に生きる自分であり、多重人格とは違いますが性格の違う自分を何人も作り出せる

私の場合、エゴは幼い頃から徐々に大きくなり始め、子供の頃はこれを抑え付けていたのであまり外に出ることはありませんでした。
その後は海外を旅してアラスカにいた際に自己発見があり、エゴとは契約を果たしました。
今の私より前に出てこない約束だったので、怒ることも怒りたいと思うこともなくなりました。
が、いかんせん今回の事象です。
今回起きた家族事は最も距離感の近い人のことだったため、私のメンタルは落ちるところまで落ち、壊れ、それによって契約当事者の今の私がいなくなって契約破綻。
エゴは要らない人にとっては全くもって要りませんし、エゴに留まることは不変の貫きであり幼稚性、成長していない証にもなります。
ただ、エゴが悪いとかそういうことではありません。
単体だと一切制御なく、欲望と願望と執着を糧に生きる愚かな意識ではありますが、防衛を果たして身を守る大切な役目もあり、社会の中では欠かせない自分です。
問題はエゴ単体にしたことです。
エゴに意識を牛耳られたことが問題であり、自分を見失ってそのままにしたことが着目です。
この状態は自制がありません。
エゴに自我そのものが完全に飲み込まれた結果、休息なく疲弊を積み重ねる『空回り』を継続。
歯止めがなくなり、余裕は増々なくなり、どんどんと怒るようになっていく。
怒った段階で、「うわ、これはまずいことになってる」とならず、同じ意識を野放しにし続ける。
エゴに意識を牛耳られることが『弱さ』の定義。
人によってはメンタルや精神が疲弊して余裕がない、傷を負っていて大変な状況だからこそ自我がエゴを制御できなくなっており、その制御できないさまが弱さになります。
私の場合は弱いからこそ、『頑張る』『我慢する』が増え、強情な執着が盛んとなっていました。
人によっては『無責任な怠惰』『放棄』『かまって欲しい悲劇のヒロイン』『被害者面』などさまざまにあり、怒りではなくすぐ諦める、すぐやる気をなくす、すぐ同情を求める、すぐ寂しがるなど感情のいろはが出ます。
※怒らない人が怒る時、普段は静か。怒らない人が怒る時は走って逃げた方がいいという話をご覧ください。
重要点:弱さの内情

弱さを深掘りすると大切なことに気づけます。
許せなくなると弱くなっている
『自分を許せなくなるとエゴが意識を牛耳る』
『他人を許せなくなると自我の制御力が弱まる(自制)』
そして、
許せないからすぐ怒る
すぐ怒る人は自分か他人か、許せない念が心に溜まっていると考えられます。
他人を許せないというのは自分を許せない意味ですので、結局は自分を許せない状態。
すぐ怒る人とは、許せないでいる人のことという見方です。
言い方を変えると、弱さとは許せないままい続けること。
私がすぐ怒っていた時、舌が切れるかと思うほど許せていませんでした。
※本当はすぐ怒る人については、怒らない人ほど実はよく怒る【優しい人と優しくない人がいる】をご覧ください。
弱い人は「認められない」

「自分を許せない」
これだけですぐおこになるかどうかは一概ではなく、人によっては悲しくてすぐ泣く、虚しくてすぐ逃げるようになります。
「怒る」場合に着目すると、さらに明確な内情が潜みます。
『相手を認めていない』
認めていない相手その人やその状態に対して怒るのが特徴的。

「認めていない」というのは二つのことが考えられます。
- 自分を認める余裕がない状態
- 「なにさまですか?」という状態
一つ目、自分を認められないメンタルや精神状態であれば、他人を認めることは私の理解では不可能です。
認めたように思い込むのは可能ですが、その先にあるのは期待通りでなかった際の落胆や呆れ、または憧れなどで盲信してハマり込む執着と依存。
遅かれ早かれ不満足や不納得、不幸な結果を招きます。
二つ目、「なにさまですか?」の状態の人は、上からで偉そうです。
「私が認めたら許してやろう(怒らずにいられるぞ)」と言わんばかりの内情でして、上下勝負高低優劣でジャッジしないと認められない人。
他の情報にて上下区分ける評価判断、いわゆる比較や差別はできても、認める動機や方法を自分自身で生み出せない。
常にどこか人を見下しており、上から目線であり、優越感を豚のように貪り好みます。
これらに該当する人は、そもそも人を認める力がないため、他人を認めることができません。
自分を他人から認めてもらうことしか知らず、自らで認めることができない意味。
自分にとって嫌なことがあればその事実を認められないため、直ぐに許せなくなります。
事実を認められないから許せなくなる。
他人を認められないから他人を許せなくなる。
自分を認められないから自分を許せなくなる。
※許しの詳細は、【自分を許す方法と勘違い】「私は許された」という感覚はどこから来るのか?をご覧ください。
関わらない方がいい

精神疾患や一時的なものであれば話は変わりますが、何にも成長していないからこうなっている人もいます。
見失っていると気づかない人は他の常識やルール、他が作った型枠にハマることで“正しさ”という空虚な幻想を答えだと思い込んでいる可能性があります。
思い込まなければ自己保持はできず、その中で防衛と主張することで、「これが私なんだ!」と個があるかのような押し付けをしてなんとか自己像を抱きかかえます。
この状態では傷つきやすくなります。

見栄があるのでひた隠し、怒りで誤魔化そうともしますが、実態はどうなのか…。
傷つきたいのかなとも思えるその実態は、傷ついたと思い込みたい可能性もあります。
傷つき続ければ許せないのは当然になるため、自分を変えずに済む責任放棄が達成。
中には怒ると血が躍動して身体が活発になり波動が一時的に上がる、この刺激に無意識にハマっている人もいます。
誰しもではないので見極めは欠かせませんが、意識が低い、関われば波動は下がり、運気も下がる、下げまんその人。

何があったにせよ、見つめる対象、向き合う対象は自分自身であるため、周囲は関わらないに越したことはありません。
ただ、精神状態によっては周囲は干渉せずにサポートする、そんな見守りは大切に思います。
私の場合で言うと、すぐおこ状態では自覚がないのでわかっていませんが、その状態を抜けると自覚があるので恥ずかしくて顔が腐ったジャガイモ色に。
反省しっぱなしの日々を過ごすことになり、関わらないでくれた人には感謝を抱きます。
同時に、そんな状態でも関わってくれる人がいると知れるのは、大きな意志を抱きました。
私の場合、唯一残った家族が一人います。
当初、この人を許せませんでしたが、そんな私でも許してくれて、さらに酷い状態の私とも関わり続けてくれました。
怒っていた側からすると、自分を許した時に暗い世界が晴れ、見えていなかったことがクリアに見えます。
その時にいてくれる人には消えることのない気持ちが刻印されるように思います。
私は、「この先何があってもこの人を信じるだろうな」と自然と心から想いました。
めんどくさいので関わらないに越したことはありませんが、苦しみを抜けた先にはかけがえのないものがあるのも事実だと思います。
自分を許すと怒らなくなる

弱いからこそのものがあります。
心から反省できるためにより自分の意識を知ろうとする、エゴとの線引きや距離感、認識の質を高められます。
弱さをはっきり認められるため、自分の甘えや自惚れ、偉そうになっていたならその事実を見つめ、自覚して次に繋げる機会になります。
このためにも、自分を許す。
許したら弱いからこそ体得できるものがあります。

冷静に物事を見つめられ、自分側だけでなく相手側の認識も鑑みれます。
そしてこれからの自分を見つめる指標もできます。
すぐ怒るのは弱いからだと。
弱い人は弱いままでいようとすると。
弱さを弱さのままにすることこそがまさに弱さであると。
だからこそ、弱いと知って次へ進めると。
三歩進んで二歩下がる。
ほんの少しでも進めたらいいなと思う今日この頃です。
※関わりの対処法は、【すぐ怒る人の育ちに秘密あり】関わるのがめんどくさい時の対処法をご覧ください。
最後に:すぐ怒る人の弱さ
自分が弱くなっている時に関わってくれる人の有難さ、これはおそらく忘れることなどないと思います。
一方、弱いというのは捉え方を変えると無知であり悪です。
常識・良識的な悪かどうかは人それぞれですが、本質的な『悪』であり、何もわかっていません。
何も見えておらず、限りなく狭い認識を生きていながら、それが自己限定の我が世界であるとも知らない。
それでいて、自分は大きくて広い世界を見渡せていると思っている世界です。
本人に変わる気がないのなら、めんどくさい人にほかなりません。
精神疾患にて一時的にこのような状態になっている人もいるため、人によって休息と癒し、そして徐々に、ゆっくりと自らと向き合っていく大切さがあると思います。
すぐ怒る要因は過去にあり、執着にあります。
向き合うべきは自分そのものであるため、周囲は干渉せずに放置、優しく言えば見守るのがベストかと思います。
さもなくば、私のように観察対象に。
弱いからこその世界があり、自分を許せていない内情がある。
見つめるべくものが何かを知る、そのための一つの考え方としてご参考になればと思います。
ありがとうございました。


















