生き方

【本当に大変】普通に生きるのは超能力的に難しい|変人どころの騒ぎではない

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ここ日本にいる人々の能力の高さを物語る言葉が、「普通に生きる」かもしれません。

実はマジック。

普通に生きるのはとてつもなく難しく大変なことです。

日本人が世界の中で優秀なのは、このことを言っているのかもしれません。

ここでは、普通に生きることの難しさを見ていかれてください。

  • 普通に生きるとは?
  • どうして難しいの?
  • 普通に生きるための仕組みとは?

これらを紐解き、「普通に生きるとは類稀な汗と涙の結晶か」とつっこむ内容となっております。

本当に難しくて大変ですので、普通の人になりたいと思う方は、残念ですがなれないとお伝えさせてください。

しかし、「普通に生きるとはどういうこと?」の理解によって、自らの生き方を見出しやすくなりますので、ご参考になれば幸いです。

普通に生きるのは難しい

普通に生きるとは「The 日本人」

「普通に生きる」といっても抽象的過ぎるのでわかりにくいと思います。

なんでも
なんでも
普通とは大衆的であり、大多数を意味し、大多数のど真ん中であればあるほど普通の的を得ます。

何が普通なのかの概念は国が変わればコロッと変貌するように、場所や環境、時代背景や国民性、メンタルが重要になります。

日本は不安国家と言われるほどですので、不安や恐怖を抱え、人と人を比較したり、表と裏の顔を区分けしたりのメンタル傾向があると考えられます。

さらに資本主義、お金によって生活が成り立つ社会があり、通念も常識もそれに基づいてルールが決まります。

安定的な資金にて病気や保険への出費を賄い、壁を作って家を確保、裸では寒いので洋服を買い、ごはんを1日3回食べ、毎日シャワーを浴びて清潔感を保つ、娯楽を適度に求めて休日を楽しみ、旅行はスケジュールをみっちり詰めて動き回り、不安感と恐怖心を抱かない日常生活を送ることを主体として生きる。

お金によって恐怖を回避し、安心感を得て、安泰の中で生きられます。

大衆的で大多数のど真ん中を射貫く普通とは、恐怖を見ずに安心を得られる立ち位置。

何が“普通に生きる”を象徴するのか考えると、「お金」は欠かせません。

日本ほど裕福な国を私は知りません。

そのためお金は条件に含めないデフォルトとなり、如何に恐怖を見ずに安心を得られるかがポイントになります。

 

普通に生きる価値観は安泰にて作られる

[恐怖なし+安心あり=安泰]

なんでも
なんでも
安泰ゲットにピンポイントで当てはまるのが、社会順応です。

恐怖とは苦痛や危険や拒否、嫌なことや認めたくないこと、不安や抵抗感も含まれます。

自分の存在意義を見出せて、価値を認識でき、自信もあって自己肯定できる材料もある。他者から排他されず、否定されず、非難されない立ち位置。

日本は社会制度や保障など、基盤を固めて集団で生きる集団主義国。

何層にも仕切られた円の真ん中へ向かえば向かうほど、ど真ん中が最も安泰位置です。

この安泰位置は、「どれほど社会性に順応しているか?」

言い方を変えますと、如何に自分をなくして、日本人として社会に同化し、ルールに従順になれるか。

典型的な日本人であればあるほど、日本の社会性やルールに従順であれればあれるほど、普通に生きる状態と考えられます。

イメージはクレヨ○しんちゃんのかざまくんです。

 

普通の人の特徴

前提条件を忘れてはなりません。

普通に生きるためには、普通の人になる必要があります。

なんでも
なんでも
国や生きている環境によって考え方や定義のルールが違い、世界中にはさまざまな普通の人がおり、日本には日本の普通の人がいます

そんな普通の人にはいくつか共通の特徴がありますので、一覧でご覧ください。

普通の人の特徴
  1. 自分の個性を出さない
  2. 自分を優先しない真面目さ
  3. 周囲の影響を受け入れる許容がある
  4. 脳の使用頻度が高い
  5. 記憶力が良い
  6. 我慢強い

普通の人は自分以上に周囲の考えやルールに順ずる生き方で、脳を使用して生きる特徴があります。

国が定めた基準やガイドライン、情報を頭から尻尾までバッチリ記憶して、それを他者にもそのまま流せる人。

遠足でするバス内遊びの一つ、前から後ろまで耳打ちで伝言ゲーム、ヒソヒソ。

初めの伝言をするのはお国の人、参加者は何人いようが普通の人であれば、最後に伝言した人は一語一句間違えずに回答できる。

「答えは、普通って大変だよね」
「正解、イエーイ、パチパチ」

自分がないという自分であり、そこに違和感がない特徴です。

無色透明で柔軟に誰の意見でも受け入れて、変幻自在に自分を変えられる人と言えるかもしれません。

普通の人は周囲の反応や影響によって生き方を作るので、脳を使用する頻度が非常に高く、記憶力がとても良くなります。

自分の意見よりも他人の意見を優先するので、周囲の影響に揉まれながら生きられる我慢精神持ち、日本人ならではの普通に生きることを成し得る強さがあります。

 

普通に生きる状態は「戦い」

なんでも
なんでも
普通に生きるとは普通の人である前提をクリアし、社会のルールに準じて、まるで同化するように個をなくし、安泰の渦の中で生活できることを意味します。

自分よりも他(ルールや情報や仕組み)を優先する生き方となるので、自分を消すために意志を抑圧し、我慢する状態が生まれ、自らが自らを抑えつける状態を作ります。

「自分はこうしたい」と思っても社会が許しません。

社会性の順応に個の主張が加わると反発になってしまうため、個をできるだけ消し、全体としての認識に同化させます。

自分の意見と反した行動を自らがしても、違和感を感じないルール設定をして生き抜く強さと難しさがあります。

 

強さが絶対条件の生き様

自分を消し、作られた自分として生きることはとても難しいですし、何より貫くのが大変です。

これを成し得るのが脳を多用して生きることと、我慢強さを持つ人の真髄であり、超能力的な脅威です。

日本はそういった超能力的な脅威者が多いことから、「普通に生きることが当たり前」というルールをさらに作れます。

普通に生きるために思い込みを使用し、難しい状況を耐えて頑張るための工夫思考を持ちます。

このような生き方を要約するとこうなります。

普通に生きるとは、自分を消し、作られたルールの上でストレスと戦い続ける戦士の生き方。

目指した目的である安泰を得た時に、初めて普通に生きる意味を実際に体感します。

 

普通に生きることを難しくさせる存在

なんでも
なんでも
普通に生きることは目的を持つので、生きる喜びを与えます。しかし、目的へ向かうプロセスの継続に困難があります。

難しくさせる理由が、自分です

誰しも社会に順応しようが、外側をたくさん装飾しようが何だろうが、根底には心や魂や信念と言われる意識、唯一無二の自分を認識する源があります。

「何も感じない」と言いながら涙が出るように、認識の源を見失うことはあっても常に感じて存在します。

「好きなことは何?」という話をしている際に、個性があれば自分が好きなものを自分の意見として伝えますが、普通に生きる人はこれをしません。

自分の意見ではなく、誰か他人や親やテレビなどの情報でインプットした知識で、その時に流行っているブームやトレンド、周囲の体裁を気にした好評とルール設定されている社会的な意見を伝えます。

普通に生きる人はここに違和感がありません。

「なんか最近太っちゃって、どうすればいいかな?」と言われた時に、「あんだけ食ってれば太るでしょ、食べなければ?」と思っていても、空気を読む体裁や暗黙のルール認知にて、「ちょうど良い機会だよ、運動しちゃえば?」という社会性。

周囲や他人の常識やルールを基にする脳の使用頻度の高さ、物事を多角的に考えて、自分の意見を抑えたり伝えたりの調整があり、他者や社会の常識なども含めて言動が決まります。

一つのことをするのにたくさん頭を使い、歩き方までも脳を使用して、周囲を気にかけたりします。

大忙しです。

慣れてしまえば大変ではなくなります。しかし、そこには常に普通に生きることを邪魔する存在として、自分がいます。

 

ありのままの自分は内部で消えない

自分とはありのままの自分、矛盾も違和感も感じずに生きたい自分です。

本来の自分であり、幼少期にいた自分です。

普通に生きることを邪魔する存在が、ありのままの自分です。
※エゴも矛盾も違和感も感じず、調和のとれた心地良さを感じる時の自分

ありのままの自分がいることでストレスを感じます。

いなければイライラもしません、憤りも不満足も不調和も違和感も何も心地悪いものは感じません。

しかし、いる。

みんなが言うようにして進学して会社員になって、働きまくって、昇給して、昇格して。

自分を消して違和感をなくすことを目指して普通に生きる中、そこにありのままの自分がいると、違和感や心地悪さを作ります。

ありのままに生きる自分には心地良さと満たしの幸福感が常にあり、楽しく嬉しく喜びに溢れています。

完全なる自由であり、自分のやりたいようにしかやらず、それが当たり前だと思っています。

素敵な存在ですが邪魔。普通に生きるためには邪魔であり、生きることを難しくします。

 

普通に生きる仕組み

普通に生きる大変さ:エゴを主体に生きる義務

普通に生きるためには、社会環境や生活の中にある常識やルールへの順応性と従順性が求められます。

脳を使用するため慣れる必要があり、他の情報に従う癖が付くとエゴを増長させやすくなります

エゴとは、自らのことを他によって認めようと、認めてもらおうとする意識です。

脳を使用して、社会の常識やルールを自分の意見としてプログラミングします。

違和感をなくすために、「当たり前(ホメオスタシスや怠惰欲)」を使用して恒常化させます。

思考力とは自分の頭で考えることであり、知識以外に経験が必要になりますが、記憶力によって記憶した一つ一つの知識を必要都度、脳から引き出して会話や仕事などで使用し、経験がなくても自分の意見のように振る舞えます。

知識量が多ければ多いほど思考をする必要はなくなり、脳にインプットして→保持して→引き出して、という一連のシンプルな脳機能でまかない、慣れさせます。

自分がいなくなっていきながらいなくなっているとは気づかず、自覚が減っていきながら自覚していると思い込み、ルールの中で生きることに違和感を感じなくなっていき、エゴで満たされていきます。

例えば、人を好きになった時に理由もなく心地良い想いを心臓辺りから感じますが、エゴは脳内プログラミングにある好きになった時の感情ルールを使用するので、全てに理論的な理由があります。

喜びの感情と、恥じらいの感情を使用する場合、「人からこう言われたら喜ぶ」「恋事で異性に興味を示されたらモジモジする」とプログラミングされたことで記憶した感情があります。

感情を他者の意見や社会情報と比較して、当たり前だとプログラミングすることで違和感はありません。

心の想いがなくなることでAIによる記憶データを使用した思考ロボットのようになります。

脳の使用が普段の生活でのほとんどの割合を占め、瞬間瞬間に感じている感覚や気持ちを感じなくなり、心の想いを使用せずに生きられるのが普通に生きる人であり、普通に生きることが難しい理由を作っています。

 

普通に生きるための家庭環境

なんでも
なんでも
心が感じる想いは常にあるので、感じないのは非常に難しく、成し得るためには幼少期からのサラブレット環境があると考えられます。

幼い頃からの押し付けと強制による家庭環境です。

エゴを存分に拡大させる材料となる、『存在否定』された経験。

押し付けや強制は、人に意見を持たせず存在を消す行為です。

そんな環境には、徹底的なまでに上下左右、勝ち負け、レベル高低の区分けを植え付ける教育があります。

存在を否定されると自己価値や評価を見出しにくくなり、自信や自尊心を失って不信感を抱き、生きているのが難しくなります。

しかし、エゴを使用することで自分の存在が消えないように対処でき、存在価値を見出すためにルールに従順になり、他と比較して自己価値や評価を高めます。

周囲の目を気にしながら、常に比較の中で勝てるように一生懸命になり、優越感と劣等感を見出しながら真面目に生きることで、モチベーションとして普通に生きる人生の糧にすることが可能です。

思考活用にて目的を定め、エゴは自分を護る大切なアイテムとして活用します。

家庭環境や周囲からの否定にて、自分の存在価値をなくすことでエゴは拡大されていきますが、他者や社会の意見を基にしたり、比較しながら生き方を構成する経験にて、普通に生きる強さを得ていきます。

 

普通はおすすめしない

なんでも
なんでも
安泰の巣窟にいられる大切さはありますが、人間である以上、ありのままの自分を完全に消すことは困難です。

脳を慣れされ、違和感を感じないようにする必要がある生き方。

万が一、普通に生きることに抵抗があり、難しい生き方に我慢してしまうと自然と日常生活がエゴを生む場となり、ストレスを増やしながら自らの内部との違和感を感じ、対処して戦う辛い時間になる可能性があります。

私がそうでした。

私達は認識しているかしていないかの違いはあれど、誰しもが個性を持っており、自らのことは自らでしか認識できない根底の意識があります。

一人一人世界を持ち、心を持ち、自分として感じ、自分として考え、生きています。

普通に生きるのは嫌でも悪いことでもなく、シンプルに難しくて大変な生き方です。

自分を消さなければならないことには大きな努力が必要になり、それによって得たものは物理的でわかりやすいものばかりですが、失ったものは不可視でありながらとてつもなく大切なものばかりです。

努力とは苦労や我慢、本意ではないことを極めようと汗と涙を流しながらの行動です。

心で感じる想いを無視できても、自分の存在を消すことはできません。

私達は生きているからです。

普通に生きることが難しいのは、自分の意志では自分を消し去ることができないから。

そんな考え方です。

 

最後に:普通に生きるのは難しくて大変

普通の概念は常に変化を続けます。

20年前の人々の価値観が今はわからないように、バブルが普通であったように、今の食事は500年前の殿様以上であるように、いろいろな普通があります。

普通に生きることは難しいですが、現状の生き方を変える必要はなく、違和感がなければとても大切な生き方だと思います。

一人一人に人生があり、自分の世界を基に生きていくので、全てが尊重される価値のある生き方。

自らが自らの生き方を認められるかどうかだけが、確認したい点です。

環境によって自分の生き方を見出し、エゴやストレスと戦いながら脳機能を高め、苦しさや辛さの中でも喜びを見つけられる普通に生きる人は、紛れもない強い人です。

我慢力は人間としての強さを表し、自己の成長を促す強力な意志となり、精神性へと続きます。

普通になる過程でのレベルアップや学びがあり、「個」を少しずつ追加し、「従うを作る」に変え、「順応を尊重」にしていく。

集団主義による安泰を得ながら、個性を磨く己の道を開拓する冒険。

普通を基盤に、変人を追加する。そんなおすすめ道もございます。

類稀な努力を要する日本人的普通道、詳細を知っていただき、ご自身の進む道を明確にする一助となれば幸いです。

それでは、クレヨンしんちゃんのかざまくんってスゴイねというお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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