悩み

【繊細な人の対人戦略】人と話すと苦痛で疲れるようになった時のポイント

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会話に過集中、聞き取りを逃さず、話す内容を熟考し、脳内リハーサル開始。

脳が、今日も、動き出す。

「ほら大脳聴覚野、耳のチューニング、聞き逃すなよ!」
「左脳と右脳の連動を潤滑にするんだ、同調しとけよ!」
「あの人の発言は理解した?おいおい腹側被蓋野は働いてんのか?!」

「はぁ疲れた、この脳は絶対ブラックだよ、ドーパミン報酬少なすぎ」

こんな日常、人と話せば思うことあり。

「苦痛、疲れる」

これ、もしかすると感受性や共感性が強く、繊細であるがための自然現象かもしれません。

ここでは、私自身が人と会ったり話すと疲れていた時の理解と、苦痛にならない解決策をお伝えします。

  • 繊細がゆえに人と会うと疲れる理由を知りたい
  • 人と話すと苦痛で疲れる時の対人戦略を考えたい

精神的な疲弊や神経症の可能性も考えられますが、

繊細さや気質によるものであれば私の経験と一致しているかもしれませんので、ご自身の理解を深めるご参考になれば幸いです。

人と話すと苦痛で疲れるようになった

人と話すと苦痛で疲れるようになる理由:繊細(過敏)

【感受性、共感性、敏感性】

これらが強い人は繊細で過敏な傾向があり、HSPやエンパスという言葉もあります。

中には、ADHDや境界性パーソナリティー障害、不安障害や恐怖症の人もいるかもしれません。

繊細がゆえに人との関りや会話が苦痛になる場合、その場の空気を読むために気を使いすぎてしまうことがあります。

私がそうだったのですが、人と会ったり話す時の空間や雰囲気、そのフィールドを網羅しようとします

無意識です。

隅々までチェックするように、認知認識機能を全速稼働、脳内で話し出します。

「今言われたのはこういう意味かな?」
「この発言で大丈夫かな?傷つけないかな?」
「違ったー、こっちがよかったかな?どこで間違えた?あの時か、あ、今なんて言ったか聞きそびれたー、どうしよどうしよ」

感受性・共感性・敏感性によって、受信する空間内の情報を網羅しようと自然に働きます。

繊細であればあるほど、繊細になっていけばいくほど、フィールド網羅に忙しなく、会話どころではなくなります。

 

人と話すと苦痛で疲れるようになる原因:共感性

苦痛や疲れの大きな基と考えられるのが、共感性の強さです。

脳科学では、共感性が強い人はミラーニューロンという脳内神経細胞ネットワークの働きが活発。

また、右脳の働きが活発とも言われています。

共感性によって起こるのは、他者の感情・意識・波動・エネルギー・質量など、目に見えない領域も含めて、あらゆる他から発される情報に同調(または同情)することです。

さらに感受性があることで情報受信量が増える。

さらに敏感性があることで情報の質が高まる。

たくさんの気持ちや言語が感受され、心身はエネルギーにさらされながら、脳内は言語と五感情報で満たされていきます

自分の気持ちや言語以外にも、他者から受け取る分が入ってくるので、脳も体も心も溢れるように許容パンパン。

知性やロジカルをあまり用いない感覚的な会話、例えば子供との会話であれば、体と心は認知情報が多くても、頭に許容があるのでまだ余裕ですが、

年齢を重ねるにつれて、知性を用いたトピックスにシフトしていくと疲れ、苦痛になっていきます。

 

情報受信量に注意

人と話している時に疲れるのは、繊細でなくても起こると思います。

例えば、一方的に自分の話ばかりする人、愚痴や悪口を聞かされる、右脳を使わず好き勝手自分の言いたいことを言ってくるなど、聞く一辺倒になると情報受け取りが増え、瞬く間に許容オーバーで疲弊します

人の話を聞くとは、エネルギーをかなり消費する行為だとわかります。

では、自分が話している分には疲れないのか気になるところです。

疲れます。が、脳科学では自分の話したいことを話している時はドーパミンという快楽報酬が分泌されるため、悦に浸かるように心地よいそうです。

好きで楽しいことであれば疲れても気持ちがサッパリ爽快であるように、脳が労力を消費するだけでなくご褒美をもらえれば喜びが増します。

このことから、人と話すと疲れるようになった場合、話しているその人との時間がつまらない可能性も否めません。

つまらないだけでなく一方通行、相互交流がない、コミュニケーションではなく、情報伝達作業、探り合いになっているなど。

例えば、私が南米チリを旅していた際、スペイン語を勉強していました。

チリ人の友達、その母と従妹の住む家にお邪魔させてもらい、約二ヵ月間滞在しました。

友達とは英語で会話ですが、母と従妹とはスペイン語。

ベラベラベラッと一方的に話され、私の脳内スロットは高速ルーレットを繰り返し、絵柄が揃う前に次から次へと回転回転。

パンッ!

そんな音が私の中で聞こえ、頭が猛烈に熱くなり、パンクしました。

話されるだけで苦痛。

「あぁああ、もう話さないで、お願い」と懇願するほどでした。

ただでさえ脳内処理が間に合わなければ疲れる、それが私達の脳。

繊細さは慣れた日本語でもこの状態を起こさせるほど

情報受信量が多すぎると、脳内は瞬く間に埋め尽くされてスロットが壊れかねません。

気を使い、何を話せばいいか考え、情報理解に完璧主義になり、フィールド内の情報網羅に努めると、情報受信量を増やす行為になってしまうために疲れます。

 

最重要ポイント:対人関係で疲れるようになったのは…

これまでの内容は、繊細さに基づく作用を知っていただきました。

実際に疲れる仕組みを知り、解決するには、さらに根底の理解が重要になります。

※あくまで私の経験から理解していることですので、思い当たるかどうかを見極めながらお読みください

繊細さによって人と話して苦痛や疲れが出る場合、最も把握したいのがこちらです。

他者によって自分という存在をかたどる気質(または能力)

周りが気になるのは気を使うからでもありますが、より深堀りすると、周りによって自分を存在させている可能性があります。

精神的に言うと、他との共同体感覚が根付いており、他と共に自分を存在させる全体認知が無意識にある愛の人。

いわゆる、自分とは自分のみで存在するという自惚れがなく、他と関わり合いながら全体の一部として存在する調和や平和意識があります。

一方、日本社会的に言うと、自分がない。

いわゆる、“個”を主体にする現代社会の見方を優先すると、自信がなく、自己肯定感が低く、他に翻弄されて、傷つきやすくさせる、メンタル的価値観があります。

物事を真に理解し、自らを変化させる場合、社会的ではなく精神的に捉えます。

人と会ったり話すことで疲れて苦痛になる際の最重要ポイントは、他によって自分を存在させる在り方です。

 

自己存在認知方法が特異

繊細さがあると、他者の言動や気持ちをどうしても認知し、影響を受けます。

「あなたは素敵だ」と言ってもらえると、自分を素敵な人間として捉える。

「あなたはめんどくさい」と言われると、認めたくないけれども無視できず、認知するのでドスーンと落ち込みます。

感受性や共感性によって情報受信が多いだけでなく、相手次第で浮き沈みが起こる自己認知の在り方。

“自分”をどうやってこの世に存在させるかは自分次第であり、人それぞれに違います。

自己存在認知種類
  1. 自らを自ら認めて存在させる
    …自尊による
  2. 自らを他によって認めて存在させる
    …エゴ(我)による
  3. 自らを他からの影響で認知して存在させる
    …繊細さによる

ここでお伝えしているのは③です。

感受性、共感性、敏感性によって他者からの情報を自然と受け取るため、周囲の影響によって認知材料が揃い、「これが私です」と存在を認知します。

こうなると他者の言動が自分へ利益も不利益も与えるため、フィールド内の情報網羅を徹底し、自分の精神や心を護るためにも精査し、事前把握したくなります

気を張り巡らせるように使い、相手の言動を気にかけ、一喜一憂。

相手に合わせることが増え、断れず、我慢し、自己犠牲が増えます。

脳内巡りが増え、妄想や空想による事前予測、脳内シュミレーションが増え、会話後には脳内反省会をして次回への復習や予習が癖になります。

人と話して苦痛になったり疲れる時は、このことを理解する必要がありますので、該当するかどうかが重要です。

もし該当する場合は解決のご参考になると思いますので、先へ進みましょう。

 

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人と話す際の苦痛や疲れをなくす戦略

戦略の大前提:自己存在認知の明確化

苦痛や疲れをなくすため、初めに、存在認知の在り方を徹底的に自覚します

「私は他によって存在を認知している」

この自覚は、他の言動で自らを認知しているかどうかで判断してください。

“認知”と表現しているのは、考えていないことを意味します。

認知情報を取得してから、考えたり知性を使うことで“認識”という段階になります。

そのため、他によって存在認知する場合、思考ではなく感覚的

感覚的に認知するさまは、誰が言おうが影響すること。

例えば、公園のベンチでおにぎりを食べている時、隣のベンチにいたおじさんが、「うわっ、犬のうんこだ!こんなとこでご飯なんかよく食えるな」と独り言、言ってきたのではなくあくまで仮定の独り言でもズドーンと気分が落ちます。

おじさんの発したエネルギーが自分のフィールド内であると、無意識に自分と一体させた感受が起こり、共感性の強さによっておじさんの低いエネルギーがそのまま自分そのものとして影響しました。

こういった経験が多い場合、自分という存在認知は他に基づいています。

この自覚を前提に戦略すると、苦痛や疲れが緩和できます。

※人が嫌いになった時は、【恩恵がある】年々人嫌いになっていく│人との関わりを見つめる時が来た をどうぞ。

 

苦痛や疲れをなくす戦略:会話を楽しむためのアップデート

戦略目的は会話を楽しむです。

少しでも楽しい空間にするため、戦略は繊細だから起こる対人関係での自分という存在希薄を解消し、会話を楽しめなくする抵抗や邪魔を撤廃します。

方法は、自己存在を認知するのではなく、認識に変えます。

外界からの刺激の流れ
[感覚感受→知覚→認知→認識(評価・判断など知性引用へ)]

ややこしいですが、認知は外界から受け取る初めの感覚や知覚。認識は認知の後の本質的な理解。

認知が料理する材料であり、実際にクッキングは認識というイメージです。

クッキングしていないと繊細さによって苦痛を感じる状態になる、という考え方です。

対人での苦痛や疲れを緩和するには、自分という存在を[認知→認識]にアップデートします。

 

具体的な方法:謙虚

他によって自分の存在を認知するのは、気質や能力ですので自然とこれからも行われます。

重要なのは、他の影響で一喜一憂しても何でも、それによって自分という外枠ができている自覚です。

すると残るのは、中身。

中身を作れるのは本人しかいません。

外側は他と一緒に作り、中は自分で作る

これは他から影響を受けてもあくまで外枠でしかないので、中身は自分で作らないと空洞になってしまう意味です。

私の理解では、繊細さとはこれが自然ともたらされる性質だと考えます。

そのため、他からの影響が重要な外枠になり、後は中身を自らで作る。

「他によって与えられた認知情報を基に、自らが自らを認める」という方法です。

なんだか小難しいので表現を変えると、謙虚さです。

他をないがしろにせず影響を受け取り、他に合わせるのではなく自らのことは自らで責任を持って作り、彩る。

すると認知は認識になります。

外枠は他と共に見出しても、本質的な中身は自ら作り、核となる部分は全て自分が責任を持って決めて行動します。

謙虚さを育むことで、相手に合わせるのも大事でありながら、自分の話したいことを話すのも大事になります。

例えば、「あの人と関わるのめんどくさい」という自分の意見も大切になり、

「受け取ると嫌な気持ちになるけど、意見として頂こう」も大切。

情報網羅する、けれどアウトプットもして脳内発散を忘れない。

関わる目の前の人とだからこそ存在する自分だと考え、その人だからこその関係性、会話、空間共有する意識を持つ結果、会話が楽しくなります

繊細さという在り方をしっかり自覚した上で、中身を自ら創作していくとアップデートが完了し、苦痛や疲れがなくなっていく、そんな戦略です。

 

私の体験理解

私自身、人と会ったり話すと疲れてしまうので、以前は極力関りを避けていました。

海外を旅することで免疫と抗体が付き、過敏や繊細さはカバーされ、インドで下痢になっても、「え、そういうものだよ」と思う類の人間に化けました。

しかし、これはエネルギー量次第の生き方となり、みなぎっていなければ直ぐに戻る一過性だと気づきました。

繊細さに本質的に重要なのは、よく理解して扱う自己認識

「なんでこんなに他に翻弄されるのか?」ではなく、

「どうすれば繊細さを活かせるか?」

自らの在り方を見つめると、どうも他と共に自らを認知しており、私の場合はエネルギーを広げて他者を飲み込む特性があります。

人によって他者に飲み込まれるように入っていく特性もあり、とにもかくにも繊細な人は自分単体で存在していない

虫と関わる時は虫に寄り添い、木と関わる時は木に寄り添ってみると、なんだか調和する一体を感じます。

人と関わる時、「これが自分なんだ!」と主張するようにしてみると、とんでもない違和感があり、苦痛や疲れが発生。

しかし、「ここに自分なんかいない」と引いて、一方的に聞くだけ聞いてみると、これまた苦痛や疲れ。

試行錯誤してわかったのは、謙虚になる大切さでした

謙虚は卑下や謙遜とは違い、自分を明確に認めた上で他者を敬う必要があり、自分をしっかり存在させた上で他者に主張しないことでフィット。

この仕組みが上述した、他によって与えられた認知情報を基に、自らが自らを認めることです。

他の影響が自分を作る大切な材料になります。

他と共に自分をないがしろにしてはなりませんので、大人数環境などあまりに感受量が多いのは避けます。

否定や批判してもらうことは重要ですが、エゴによる我欲主体の自分の意見ではないものは避けます。

買い物は夜遅くなどと工夫するように、あくまで関わる人や状況は選別する行動が大切です。

この結果私に起こったのは、相手次第で自分の在り方を変えられ、それこそが自然であることです。

繊細さとは透明、これをメタモンと言うとか言わないとか。

 

人と話すと苦痛で疲れるようになった まとめ

  • 人と話す際に感受性、共感性、敏感性によって認知情報が多く、脳も体も心も情報量過多にて疲れる
  • 感覚ではなく思考的な会話であればあるほど、繊細さによって人と話すことが苦痛で疲れるようになる
  • 繊細でなくても、人との関わりに喜びや報酬がなく、人に合わせる一辺倒であれば、我慢と自己犠牲が増えて苦痛が生まれやすい
  • 認知能力が高いことで感覚的な情報網羅に長けており、無意識に他によって自らを存在させている
  • 苦痛や疲れをなくすために、自己存在認知の在り方を自覚する大切さがある
  • 会話を楽しむために、自己認知から自己認識にアップデートする
  • 他の影響をないがしろにせず、自分の中身は自らが作る意識、創作、責任が重要
  • 謙虚さによってアップデートがスムースになり、自分に合わせた繊細さが活かされる

他の影響も、自らの在り方も、共に大切である人間関係。

繊細な人は関わりや会話で疲れやすくなりますが、私達人間は成長や育みによって、気質や性質や性格をアップデートできます。

新しいご自身を感じながら、より人間関係を気楽にするためのご参考になれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. ポヨヨヨーン より:

    友達関係で毎回そうなのですが、何かと人から見下されることが多い気がします。大体私の周りにはネガティブ思考な人が寄ってくるのですが、その人たちの悩み相談に乗ったり、人の自慢話とかを聞いたりしているうちに、最初は相手が気を遣いながら話していたのに、だんだんとつけあがってくるんです。それで、いきなり雑に扱われたり、周りのことを馬鹿だとか何だとか、見下し始めます。もちろん、私のことも見下してるのかもしてませんが、周囲の関係ない人間のことも馬鹿呼ばわりしだすんです。最初は皆そんな人ではなかったのに、なぜか私と関わると皆ネガティブからつけあがった偉そうな人間に変わってしまいます。なぜでしょう。それで、だんだんそんな感じになっていくと、私も話すのが疲れてきます。相手がイライラを私にぶつけるようになったり、マウントを取るようなことを言ったりしてきます。多分相手は私に甘えているんだと思います。私は基本嫌なこととかを言われてもギャグで返したり、あまり言い返したりしないし、相手がどんなこと言ってても否定せずに聞いてしまうので、それも原因かなと思います。それで最近は見下されてるという意識が自分の中でも大きくなってしまっていて、相手の少しの言動に振り回されてしまい、正直とても疲れます。これは以前からもそうなのてすが、友だちと会ったあとには次の日は丸一日休養を取らないといけないくらい疲れます。家に帰って涙が出てくるくらい疲れたときもあります。はっきり言って、もう友達に見下された態度を取られたくないし、相手を謎につけあがらせてしまうのも、もう嫌なのですが、どうしたらこうならずに済むのでしょうか。どうして皆こうなってしまうのでしょうか。類は友を呼ぶというので、私がこういう態度を知らず知らずのうちに取ってしまっている可能性もありますよね…

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