『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方

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※本気で人生を変える方専用。
人それぞれに人生を攻略するために、戦略を立てながら自分に合わせた在り方をします。
さまざまな生き方がある中で、頑張りすぎることは精神疲弊を伴うためにリスクが高く、自分の制御やコントロールが難しくなる副作用があります。
私自身、頑張りすぎたことで心に支障をきたし、自分がわからなくなり、見失いと錯綜にまみれていた時期があります。
ここでは、やりすぎる状態を見つめ、在り方を見直すことを目的に、私自身の理解していることをお伝えしていきます。
- 頑張りすぎる状態を知りたい
- どうして頑張りすぎてしまうのか考えたい
捉えやすくなるかと思うので、精神面にフォーカスした内容となっております。
ご自身の状態や状況を自らで見つめるために、一つの考え方としてご協力となれば幸いです。
Youtubeもありますのでぜひご覧ください。
Contents
頑張りすぎる人の特徴

頑張りすぎる人の特徴15選
頑張ることには利点がたくさんありますが、ここでお伝えするのは“頑張りすぎる”状態の特徴です。
1,怒りのコントロールが苦手

怒りの感情に飲み込まれやすく、怒ると我を見失う特徴です。
怒ることそのものに嫌悪がある人もおり、自分が怒るのも他人が怒っているのを見るのも苦手。
コントロールが苦手な故に、普段は静かで大人しくしようと心掛ける人は多く、怒ると手に負えなくなるために“無視”を一貫する、そんなさまはよく見られます。
2,エネルギーが強い
エネルギー量が多く、活動する時は猛烈に動きます。
仕事が早かったり、テキパキと俊敏に動き、事前に先読みしてやることを終わらせるなど、可動域の広さと速さがあります。
故に目立ちます。
エネルギーの強さにて周囲への影響力が及びやすく、頑張る行為は意図せずとも主張や主義的な押し付けに思われることも起きます。
3,強がり、負けん気が強い

エネルギーの強さに強がりが加わることで、負けん気の強さになります。
食ってかかってきたら、それをさらに食いちぎるようにグワッ、バリバリ。
「私は戦う気ないんですけど」と思っていたとしても、相手が引かないなら明らかに応戦に行っている。
負けを認めたくない人からはっきりと嫌われることになります。
勝つ時は勝ちますが、負ける時は思いっきり負けるので、感情的に悔しがるのも特徴的です。
4,一人でできることが多い
他人に頼らずとも片づけられる特徴です。
集団帰属しなくても一人でお出かけ、旅行もできる、海外にも行っちゃう。
問題が起きても自分が代わりにやってあげる、解決しなくても我慢すれば事なかれで流れる。
一方、旅行で一ヵ月間一人など期間が決まっている、そんな条件付きで一人にはなれますが、実際に孤独になるのは苦手だったりします。
5,気を使う、周りが気になる

周囲からの見られ方、体裁、評価、判断をとても気にします。
お化粧をしていない時はメガネをかけ、スーツの時は歩き方を変え、ブランドショップに行けば姿勢がピーンとしている。
「下に見られたくない、迷惑をかけないように」と、体裁保持に費やすエネルギー量がとても多い特徴です。
頑張りすぎることも相まって、疲れとストレスを溜めやすく、ある時にボーンと暴発する傾向があります。
6,衝動的
衝動的に突然行動する特徴です。
周りを見ずに動き出すので周囲に迷惑をかけることがあり、知らぬ間に他者に我慢させているケースもあります。
一方、瞬発的に事物を対処するので、物事を始める際の起爆や躍進力、破壊力として活かし様満載です。
7,人を信用していない

他人に心を開かない特徴です。
警戒心もあり、「うちのイチゴ送ってあげるから住所教えて」と言われれば、「えっ(教えて大丈夫かな)?!」が最初に来る。
素直になれない特徴でもあり、他人にまかせられない、頼れない、甘えられない、委ねられない在り方に繋がり、一人で頑張りすぎることに続きます。
8,思い込みと決め付けが多い
自己世界の見方が強く、自分の中で「これは正しい」と思っているルールや価値観が多くあります。
正しいからインプットしている前提があり、臨機応変にその場その人その時によって“正しさ”を変えるのが苦手。
正しさが前提にあると思い込みであっても気づきにくく、他者と相互認識できないことが増えます。
例えば、仕事を助けようとした人に対して、「いえいえ、私は大丈夫です(やってもらうのは申し訳ない)」と言ったところ。
「あんだけの量が残ってるのに断るって、相当私は嫌われてるのかな?」と思わせていたりします。
9,同情が得意、共感は苦手

頑張りすぎる人は“自分なりの見方”が強く、自己認識がある一方、他者側の目線や思考になる他者認識が少ないです。
自分を相手に投影することで同情ができ、相手と共に泣くことも悲しむこともできます。
一方、相手に寄り添ったり相手側の立場で思いやる共感、他者理解が苦手な特徴です。
10,自分の経験なくして認めない
「あのお店、美味しいって噂だから、新年会はあそこがいいよ」
「ビールは飲みすぎると体に良くないんだって」
「筋トレすれば波動上がるよ」
「ふーん…それはどうかな」と眉をしかめて右に目が行く。
実際に経験して味わって真意を判断する人であり、自分の経験なくして認めません。
実際に痛い目を見たり、辛い思いをしないとわからないことも多く、失敗やトラブル体験が多くなります。
11,我慢癖、誤魔化し癖

頑張りすぎる人は嫌なことがあっても我慢して自分を抑圧する癖があるかもしれません。
誤魔化し癖でもあり、自分にとって認めたくない不安や恐怖との対面事は、なかったことにしたり、さまざまな理由や言い訳を付けて回避します。
口達者な一面があり、「ああいえばこういう」と口論になることもしばしば。
12,許せない念が溜まっている
コンプレックスやトラウマが要因となり、過去に「許せない」と念じた強い記憶がある特徴です。
怒りのコントロールが苦手な特徴に繋がり、怒りによって許せない、または許さないと強く決めた不浄のエネルギーが内に溜まります。
人によっては怨念や執念、憎悪や復讐心になり、記憶への執着が強くなることで過去に引きずられた在り方をする傾向ができます。
誰かしら、親か、嫌なことをしてきたあの人か、許せない人がいます。
13,見栄っ張り

見栄が強い特徴です。
これが周囲を気にして、気使いを強め、我慢を増やし、負けん気を強め、頑張り癖をより強固にします。
物事の見方は上下・勝負・優劣で比較することが増え、「自分は劣っているのか、負けているのか、下なのか?」の認識が無意識にできます。
劣等感、自己卑下や否定が増えます。
自己犠牲的な在り方に向かう人もおり、「自分は下じゃない!」と負けん気によって頑張る方へ向かうことが多いです。
14,他者承認欲求が強い
必要とされたい、認められたい、愛されたい思いが強い特徴です。
そのため、期待されると応えなければならない観念に迫られることも。
自己承認がない特徴でもあり、自分のことは他者によって認めて欲しい欲求主体の在り方にて、頑張ることを過剰化させる動機や目的ができます。
※一部ですが、自己承認がある人もいます。その場合、自己承認がありながら他者承認がないために自他両方の承認欲求が強い傾向があります。
15,愛情深い

根底には愛情深く、慈悲深い人間性があります。
実体は人の痛みや悲しみに同情でき、心を捧げるように癒しを与え、許容して包み込む大きな愛を持ちます。
頑張りすぎるなどによって、この見失いや錯綜の期間が人生においてあるため、自らをどう見つめて向き合い、乗り越えていくかに人それぞれの課題が見られると考えます。
以上、頑張りすぎる人の特徴でした。
頑張りすぎる人のタイプ
タイプがいくつかあると考えられます。
- 他人にまかせられない
- 頑張ることで自己価値を見出す
- 頑張らないといけないと思っている
※全てに該当する人もいる
タイプによってメンタルの特出ポイントが変わります。
タイプ➀は他人を信用できない人。
タイプ②は承認欲求が強い人。
タイプ③は強迫観念に従っている人(思考停止)。
頑張りは努力にもなる大切な行為ですが、ここでお伝えしている過剰な状態になると、頑張る意味そのものが一変します。
ここからさらに詳しく探求していきます。
※頑張らない難しさは、頑張らなくていいと言われた時の解釈「頑張らないって難しい」をご覧ください。
頑張りすぎる迷惑と、頑張りすぎないポイント

頑張りすぎると迷惑になる
しかし、嫌々の我慢なのか自分のためになる忍耐力かの違いのように、使い様が変わると実体はコロッと変わります。
精神的に捉えると、頑固、固執の執着であり、気を張る、我を貫く在り方が“頑張る”です。
過剰化した状態はエゴでして、疲れてストレスも溜め、メンタルを歪めて、精神を病む可能性もあります。
日本で美徳とされる、「頑張り屋で偉い、スゴイ」とは違います。
自己防衛にて損害回避するために、エゴを強める在り方、生存戦略の一つです。
エゴとは他によって自分をあえて見出そうとする意識のこと。
自己防衛意識でもあり、社会性の中で自我を守り、保持、一貫するための不変の在り方。
上述の特徴で言うと、負けん気が強い、周りが気になる、人を信用していない、思い込みと決め付けが多い、共感が苦手、我慢癖と誤魔化し癖、許せない念、見栄っ張りが該当。
エゴは社会性の中では自己防衛に欠かせないアイテムであり、頑張ることには疲れやストレスがありながら、必ず自分にとっての損害回避、不利益回避という利益があります。
嫌なこと、味わいたくないこと、認めたくないことを味わわずにいられる利益。
自己防衛という利益取得に特化させ、実際に自分のためになった、または自分のためにしたいと思えば思うほど、頑張りすぎることが起きます。
誰かのために頑張ることはできても、誰かのために頑張りすぎることはできず、それは自分を守るためという自分のための行為になります。
過剰化した段階で、頑張るの使い様は変わっています。
[頑張る=自分のため(+他のため)]
[頑張りすぎる=自分のため]
自分のために気を張り、我を貫くさまであるため、頑張りすぎることは時に迷惑になりかねません。
例えば、自分のために仕事を早くこなしながら、「私だけこんなに仕事してるのに」という態度が表れたら、「ん?」と周囲は思います。
自分のために無理をしてまで他者を助け、見返りを求めたら、「え?」と周囲は思えてしまいます。
派生していくと、頑張りすぎることが周囲にプレッシャーをかけたり、一人で我慢しながら続けるさまが主張や押し付けにもなり、他人にまかせない頼らないさまはチームの結束を壊す影響になる可能性もあります。

目的が自分のために限定されていけばいくほど、頑張りすぎている状態です。
他のためが目的であれば、実際に他が喜んでいるか、利益を得ているかで判断できるため、“他のため”に頑張る人ほど相手側を理解しようとするスタンスがあります。
※日本ならではの迷惑事情は、仕事が早すぎると迷惑になる人の特徴と原因【日本のおとぎ話的仕組み】をご覧ください。
ポイント:幻想

「ガサッ」と森で熊と遭遇した時、一瞬で脳が恐怖を作り、全身に信号を送り、自己防衛のスタンスに入って、ドピューンと逃げる。
平和ボケしていたら防衛できずに終わってしまうので、自己防衛は不安や恐怖に身近な状態にあるほど稼働しやすくなります。
木から木を登り渡っている時、「怖いな」と感じながら登っている人の方が最終的に枝を折らず怪我もせずに防衛を果たすようなイメージです。
しかし、「怖い」と思いたくない、不安を味わいたくない。
しかししかし、頑張るので既に木に登っている。
頑張りすぎるというのは、不安と恐怖を回避するために、自ずから不安と恐怖に突っ込んでどうしようもできない状態に陥っているさまと言えるかもしれません。
熊の例で言うと、熊が怖いから回避するために頑張っていたのが、気づけば頑張って森の奥へ奥へ向かい、「熊の巣窟に辿り着いた!…なんでやねん!」という状態です。
お伝えしたいのは、社会生活の中では不安と恐怖は嫌でも味わうものであり、さらに不安と恐怖とは自分にしか作り出せない自己内部にのみ存在するものです。
不安と恐怖を回避するために頑張ることは、自己内部に不安と恐怖をまず作り、かつ、ないものにするために気を張る、我を貫く。
自分で作り出して、さらに見ないように、ないものとするために我を張るさま。
自己防衛しようと思うほど、不安と恐怖を味わわないようにと対処すればするほど、目を瞑って何もない壁に向かって腕をブンブン回しているようなものかもしれません。
大きな矛盾であり幻想。
自己防衛するために自己防衛が必要な状態をあえて作っており、自分が何をしているか当然把握できないので、なんとかしようと頑張りすぎることになる、という情景です。
※頑張らない生き方については、【本質】頑張らない生き方とは?「インドに行くとはっきりわかる」をご覧ください。
頑張りすぎる原因

極端な例ですが、実際に不安も恐怖も味わわない不利益回避をする場合、「まず折れる可能性があるなら木に登りたくない」となるのが頑張らない人です。
「嫌な思いをするならそもそも家から出なければいい、挑まなければいい」と。
しかし、頑張る人なので社会生活を常識やルールに則って頑張ります。
そこには、「仕方がない、そういうものだ、言われたからやらなきゃ」という諦めや妥協、従順や強制(人によっては思考停止)が前提にあると考えます。
『自らを他因的に防衛必須な状態に浸け、諦めがありながら、防衛するために働く』
これでは本当の意味で自分を守ろうと思うのは困難です。
自分を守る意志や意思がない状態です。
まるで誰かに言われて、言われたようにして、あとは自分で身だけ守らなければならない本能頼み。
「私って一体何してるの?」となるのが自然です。
言われたようにライオンの闘技場に行ったら、「はい、じゃあ戦って、っておい!」と。
お伝えしたいのは、戦う気がないのに戦いの場にいること。
防衛する気がないのに防衛必須な環境にいること。
この世がいけない、この時代がいけないということではありません。
自分の意志で、意思で考えて、決めて、そこにいないこと。
常に誰かに合わせて、従って、周囲に調整して、適合させて、適応させて。

自分の意志と意思以上に、他に合わせたことで防衛必須な環境に属し、防衛必須な状況にいると頑張りすぎることが起きます。
頑張りすぎる原因は、自分の意志と意思よりも他に合わせることを優先しながら、実際は優先していない在り方、という考え方です。
※この要因を心理的に捉えると、コンプレックス、自己承認がない、自信がない、そして許せない念が内部に溜まっていることが考えられます
※頑張らないとなんだかいい感じな件は、【要アップデート】頑張らない方がうまくいく理論&スピリチュアルな仕組み をご覧ください。
頑張りすぎないために

これは過去の私自身に言えることなのですが、頑張りすぎている時に大切だったのは、自分の居る環境を見つめる以上に、
自分の環境に対して、自分の意思決定を見つめたかどうかです。
自分が決めたかどうかではなく、「そこに自分の意志と意思はあったか?」です。
- 意志とは、自分のことを自分で喜ばせる気持ち、意欲
- 意思とは、物事に対する自分の意見や考え、心持ち
私の場合、自分の意志も意思も皆無でした。
あると思い込んでいましたが、全くの皆無でした。
そのため、頑張って頑張って頑張りました。
頑張ったと自負する、そんな自己世界にいました。
そして会社員を辞めて、海外に旅に出て、今があります。
頑張りすぎている時、その環境を変える必要があるかどうかは人それぞれだと思います。
重要なのは、その環境、していることに自分の意志、自分で喜ぶ気を入れること。
そして、その環境、していることに自分の考えや心持ちを含めること。
このために最もお伝えしたいことがあります。
※頑張りすぎないための適当さは、【適当にできれば】適当な人は面白い上に好かれる をご覧ください。
最後に:頑張りすぎない方法

頑張りすぎない方法としてお伝えしたいのは、見栄を減らすことです。
見栄は自分の意志も意思も消します、持てなくします。
他律で他責で他因になります。
見栄は今すぐ消えるものではありませんが、「自分には見栄があるから、自分のために見栄を減らそう」と意識するだけで物事は変わります。
見栄の心理には、劣等感、自信のなさ、自己卑下や否定があると考えられます。
そのため捉え方を変えると、[劣等感や自己否定癖+エネルギーの強さ=頑張りすぎる]という構造とも考えられます。
ここでは精神面にフォーカスをしているので、誰か他に合わせる状態から、自分の思考と行動に責任を持ち、自ら作っていく意識を育むことをお伝えしたいです。
見栄を減らすことは自分の喜びに責任を持ち、自分の経験や考えを大切にすること。
自分自身の在り方を見つめ、考えて、決めることが、頑張りすぎを軽減させる方法になると、私の経験から理解しています。
一つのご参考になることを祈ります。
それでは、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。