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【辛さを作る自我と意志】辛い人生を経験するスピリチュアルな意味

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あらゆる物事が意向に反するように働くと、「辛い、苦しい」と思うことが多くなります。

辛さの多い過酷な人生を歩む時、「この人生は一体何なんだ?!」と疑問にも怒りにも悲しみにもなるかもしれません。

なるべくない方がいいと思える辛い経験の数々。

経験しているからには意味があるかもしれません。

ここでは、スピリチュアルな観点からわかる辛い人生の意味と、辛い人生を歩める人についての考え方を見ていかれてください。

  • 辛い人生になるのはなぜ?
  • 辛いことが多い意味とは?
  • 辛さの先にある恩恵と意識とは?

これらの紐解きにスピリチュアルな理解を含め、辛いネガティブ経験に潜む原因・意味・恩恵を知っていただく内容となっております。

辛い人生とは実は自分でしか作れないものだったりしますので、辛さの意味を知ることで経験の数々を乗り越える一助となれば幸いです。

辛い人生のスピリチュアルな意味

辛い人生は味わうのか味わえるのか

辛い人生によって、嫌でも見たくない自分を見続けると思います。

嫌なことを味わい、拒否する自分が作られ、愛のない関わりを続け、恐怖を知る経験。

なりたいと思わない自分に変えられるように、周囲の影響、強制、抑圧、支配、干渉を味わいます。

ただ普通に生きたいだけなのに、家に帰れば地獄が待っている。

自分ではない自分になる時間。

辛い経験には必ず憤りがあり、拒否・反発・抵抗が生まれます。

周囲の他者に強制や支配や干渉され、まるで四角いボックスに詰め込まれるように、強引に自分を変えられ、形も在り方も価値観も観念も何もかも干渉されて世界をぶち壊されます。

辛くなり、苦しくなり、怒り、泣き、嘆き、悲しみ、愛の喪失と恐怖の植え付け。

ネガティブな拒否したくなる経験です。

ここに周囲からの影響や干渉がなくなればどうでしょう。

強制も支配も干渉もなし、完全に自分のみの力で生きていく。周囲の助けがなく執着も依存もできず、自力でお金を稼ぎ、盗み、悪いことに手を染めながら生きる道を探し、しなければならない嫌なことも多くなります。

辛い経験には必ず憤りがあり、拒否・反発・抵抗が生まれます。

このように周囲の影響があってもなくても、辛いと思う場合には自分が自分に対する憤りを持つ特徴があります。

 

辛い人生は自分にしか作れない

辛い人生とは、自分が自分に対して反発が強ければ強いほどに認識する概念と考えられます。

この反発の原因となるのが他者の影響過多or過少。人それぞれにどちらか、または両方か違います。

自分に対する反発が強くなることには他者からの影響以上に、自分自身の内側に潜むものを表し、辛さを作っている可能性が表れます。

意志の強さです。

意志が強ければ強いほどに人生は辛くなり、周囲からの影響に反発する自分が明確におり、周囲から影響されないことに反発する自分が明確にいます。

意志とは自分を自分で喜ばす気持ちであり覚悟です。

自分を喜ばせたい気持ちが強ければ強いほど、喜べない状態、喜びの反対となる気持ちを味わうと反発します。

例えば、幼い頃から親に何もかもを強制され私物化され、考え方も生き方も行動も全てを縛られます。

ここで意志がなければ、「それが当たり前、人生とはこういうものだ」と認め、支配されていると思うことすらなく、辛さも苦しみも認識しなくなり、親との良好な関係性を持ちながら、笑っているかもしれません。

もし意志が強ければアウトです。
「私の人生は私が決めて生きる!」と反発し、強制や私物化は全て辛い経験になります。

辛いかどうかは自分で決められ、意志の強さが大きく関わると考えられます。

ここでお伝えする辛い人生とは味わうのではなく、意志の強さによって味わえる経験というものです。

※辛い人生となるお別れは、大切な人との別れにはとっても重要な意味がある│スピリチュアルな出会いと別れ をご覧ください。

 

辛い人生のスピリチュアルな意味とは気づき

「辛い」という思いや感情の経験には、スピリチュアルな精神に基づく意味があると考えられます。

自分への気づきがもたらされる意味です。

気づくまでの物語があり、三部構成となります。

辛い人生による気づきの一連
  1. エゴを知る
  2. 恐怖を知る
  3. 愛を知る

一つずつ順を追っていきましょう。

 

①辛さは初めにエゴを知る

憤りとなる反発が多ければ多いほど、自我が強い表れです。

自分を消さず潰さず、抑圧や干渉に反発が強く、怒りや悲しみや苦しみを増すのが自我の強さですが、辛い原因となる他者の影響や環境があると、「あの人のせいで私は辛い」「この親のせいで苦しい」「この社会によってこんな人生になった」などと他に着眼して自らの辛さを認識し、自我は我というエゴに成り代わります

我を主張するように自らの意識がエゴになるのが、他を主体にした上で自分を存在させる認識です。

誰からも助けられず、辛いながらも独りで生きる日々を当たり前だと思う場合にはエゴがありませんが、他者との共存などの比較しやすい社会環境で生きていると、自然と他を主体にして、「普通なら学校行ってるのに何で私だけ」とエゴによって憤りや反発を作り、辛い思いが増します。

ましてや他者の影響によって辛い思いを味わっている場合には、他に着眼して「辛くさせられている」と思います。

辛い経験によってエゴは自然と増え、物事の認識主体は自分ではなく他になり、他との比較、優越、勝負、上下区分けによって自分を見出し、ルール従順による正否、良悪、善悪判断をして、そこに何も違和感を感じなくなります。

エゴは元々いた自分を隠すようにいなくさせます。

一つ目の辛い人生の意味はエゴを知ることです。

 

②エゴによって恐怖を知る

次に恐怖がやってきます。

エゴが増えていくと私達人間は思考を多用し、不安と恐怖を解消することを軸にした生き方をします。

「嫌だ、知りたくない、味わいたくない、認めたくない」と思うことを拒否したくなり、危険や苦痛を嫌がり、とにかく拒否が増えます。

この拒否したい気持ちやさまを恐怖と言います。

エゴは恐怖から距離を取って一切関わらないようにします。もし恐怖が自分の中にあるとわかった場合には、自らの認識を偽り、誤魔化し、嘘をつきます。

誤魔化していることを自覚すると嫌な気持ちになるので、さらに誤魔化そうとしてプライドや見栄を持ち、自惚れて他者を蔑み馬鹿にしたり、自らを否定して劣等感を求めたりします。

恐怖という拒否したくなる気持ちをそのままにせず、拒否したくなる状態を拒否して、益々恐怖心を増やしていきます。

辛い経験は自分の中に恐怖心を増やし、誤魔化せないほどに恐怖で覆われ、どれだけ逃げ続けてもいつか訪れるのが恐怖との対面です。

 

③エゴと恐怖を知った時に愛を知る

辛い人生の気づきは最後の愛を知る段階へ向かいます。

エゴによって恐怖が増え、恐怖と対面せざるを得ない時がやってきます。

恐怖とは拒否したくなるものなので誰しもが嫌だと認識し、逃げたくなり、エゴが多いと誤魔化してなかったことにします。

しかし、辛い経験が多ければ多いほど、逃げも誤魔化しもできなくなり、恐怖との対面で選択が起きます。

恐怖を克服するか否かです。

恐怖を乗り越えた時、エゴとは自分であり、恐怖とは自分であると体感にて気づくことができます。

エゴは意識であり自分そのもの。恐怖とは自分の内面にしか存在できず、拒否したくなるさまに対する自らとの向き合いです。

エゴと恐怖を知ることは、自分を知ることを意味し、自分を受け入れる表れとなります。

この自分の認知するものが自らの敬いであり尊重、意志を持って自らを認識する受け入れ。

これを愛と言います。

愛を認知した時にさらに気づかれるのが、辛い経験をする前に元々いた自分そのものであることです。

愛は心とも自尊心とも言い、自分自身をより明確に認識できるようになるのが、辛い人生による気づきだと考えます。

※人生が辛いと幸せになる件は、【人生が辛いのは当たり前】でも辛いと幸せになれるよって話 をご覧ください。

 

辛いと思わなくなる体験談

上述の意味がわかりやすくなると思いますので、私の体験談に少しお付き合いください。

私は家庭環境によって、「辛い人生だな」と思い続けて子供の頃を生きていました。

しかし、辛い状態を乗り越えて意味に気づいた時、「もし辛くない人生だったら嫌だな」と心から想いました。

辛い経験によって自分を知る機会になったと強く実感したからです。

 

辛くなりたかった自分

辛い経験をすると、「何かを変えなければ」と必死に辛さを味わわないように頑張ります。

後ろがないので前に行くしかない、またはどっちに行けばいいのかわからないパニックが起きます。

パニックは長くは続きません。無理やりでも押されるように前に行くことになります。

エゴだらけでした。自分を見失いながらも何を見失っているのかわからず、もがきます。

人を馬鹿にし、蔑み、プライドの見栄とうぬぼれを増やしながら、現状以上に辛くならないように対処します。

するとある時に、辛いとは自分で思い込まなければなれないと気づきました。

辛い真っ最中は気づけません。辛いと思えるように辛さに集中しています。ネガティブにフォーカスして、それ以外は見ないようにします。

自分で生きることを忘れていた気づきと学びでした。

 

恐怖と向き合うと事実に気づく

辛い状態は知らぬ間に辛さを主張するようにエゴが増え、自分のことを自分で認識しなくなり、他によって自分を見出そうとしていました。

恐怖が増えながらも事実を見ないようにし、自らを誤魔化して認識を都合良く変えます。

本当は一人で生きれば、今の環境を変えれば、自力を発揮すれば物事は変わったかもしれませんが、「まだ中学生だから」「普通じゃないことがおかしいんだ」「周りが変わるべきだ」と変化せずに辛さを味わい続けます。

何年も月日が経ち、辛さは蓄積し、恐怖と向き合わざるを得ない時がやってきます。もう限界でした。

「嫌なものは嫌なんだ」

とてもシンプルに恐怖との向き合いはこれだけでした。

拒否したくなるものは拒否する。

すると自力で、誤魔化さず、責任を持って生きる道しかないとわかります。明確に死ぬか生きるかの選択です。

ここにあったのは私自身が私を認識している現実。エゴとも恐怖とも向き合った瞬間。

抑圧や強制や支配される前の私自身が見ていた世界、物事の見方、捉え方、認識がありました。

「なんだか遠回りしたけど、もう二度といなくなることがないほど、自分を見つめている」と思いました。

辛い経験はエゴと恐怖を増やすことで自分を知る機会を与え、元々いた自分をより明確に認識させるための気づきだと私は理解しています。

※辛い経験による優しさゲットは、辛い経験は優しさを育む機会を与える│人の悲しみを知る優しい人 をどうぞ。

 

辛い人生の大切さ

他の情報である常識やルールに溢れ、他者との共存環境で生きている私達。さらには日本という類まれな人口密集地ですので、他からの影響にて自らはいつでもどこでも変えられ、自分との向き合いは希薄になります。

辛い状態ではエゴと恐怖が多く、何が事実なのか、どんな気づきが潜むのかわかりにくく、実際に恐怖を克服すると言っても難しいと思います。

もし辛い状態を味わっている場合には、上述の気づきにある三つを意識されてみてください。

  1. エゴを知る
  2. 恐怖を知る
  3. 愛を知る

知るための材料も基盤も全て自分自身であり、辛い体験そのものに全てがあります。

辛さは愛を知るための過程という考え方は、エゴと恐怖を認めるための一助になると思います。

愛を知るとはエゴと恐怖を持つ自分そのものを受け入れる意味です。

エゴも恐怖もどちらも自分であり、普段は現れない辛い経験によってもたらされる稀少な状態です。

辛くない時とは違う極端なほど顕著なエゴと恐怖を内包する自分は、意志が強ければ強いほど作れるため、意志があるからこその人生なんだとわかります。

乗り越えられるからこそ選択し、意志を貫きます。スピリチュアルな考え方では人生を始める前に組み込んだシナリオとも言われます。

事前に決めたかどうかはおそらくどうでもいいことで、大切なのは意志を持って乗り越えることだと思います。

 

「辛く苦しんでくれた自分」という見方

周囲の助けやサポートは大切です。

克服するのは辛さではなく、拒否したい恐怖心を内包する自分自身です。

克服した時には辛く苦しんでくれた自分への感謝があり、本当に心からの愛を感じます。

この認知はかけがえのない辛さの恩恵であり、ネガティブを知るからこそポジティブが見出され、陰陽共にあって自分が存在する理解へと繋がります。

あらゆる経験は自分をより深く知る基盤となり、成長へと続きます。

自己理解を深めた際には、「辛い人生がないなんて嫌だ」と思っているかもしれません。この状態こそが恐怖にあらがわずに向き合っている克服後のさまです。

嫌なものは嫌なんです。そのために自らが自らを感じ、考え、動かし、変え、知っていきましょう。

※辛い人生によってどうでもいいと思う時は、人生どうでもいいと思った時の対処法│それは大切な合図だった をご覧ください。

人生どうでもいいと思った時の対処法「それは大切な合図だった」人生がどうでもよくないことがあるのでしょうか? 人生は、マヨネーズとソースの味がしていれば“おいしい”と思うお好み焼きと同じように...

 

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辛い人生のスピリチュアル まとめ

辛い経験をしている時は到底思えませんが、辛さを乗り越えた時には、「自分のためにあえて辛さを作っていた」と思う日がやってくるかもしれません。

辛い人生を歩まれる方は意志が強い。これは明白の事実です。

意志とは自分を喜ばす気持ちであり覚悟、自分を敬い尊重する気持ちがあればあるほどに意志は強くなります。

それは心との繋がりであり、魂との連結度合を表します。

魂と繋がっていればいるほどに、他を介入する社会環境では辛さを作る認識になりやすいと思います。

魂と繋がる無意識の認知は、自分を自分として存在させることを欲します。

このさまを魂レベルが高いと表現します。

魂レベルの高さは人間としての誇りでも崇高さでもありません。意志の強さであり受け入れ許容の高さ、良い悪いは本人にしかわからないものです。

意志が強ければ自らに対する責任を持ち、他ではなく自が主体です。自らと向き合い、エゴと恐怖を知ることは、元々愛がある明確化であり、認知度を高めて絶対的な存在にします。

自尊と自信にみなぎる状態です。

まるで子供の頃に戻るように自己認知を高め、辛い経験によって自己理解を深め、二度と忘れも見失いもしない約束を果たしましょう。

自分への感謝と愛が待っている辛い人生。経験している以上はかけがえのないものだと思います。

経験をポワンと吸収するための一助となれば幸いです。

それでは、辛い人生のスピリチュアルなお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. a より:

    もう疲れました
    理解してとか気力ないししたくないです

  2. 梅ちゃん より:

    梅ちゃん、そうですね♪
    変人論の言語化、ありがとうございます:)
    共感しまくりです!

  3. 梅ちゃん より:

    神回、ありがとうございます! 読む度に学びがある感じです:)

    自分は10-20代前半に消滅したいほど辛い時期がありましたが、なぜか自死は選べませんでした。理解者は完全にゼロでした。本当の自分像を本能で知る故にそのギャップに苦しみました。がむしゃらに道を進むうちにいつの間にか思い描いていた自分になっていました。気がついたら台湾にました(笑)

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