『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方

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※本気で人生を変える方専用。
「ひとりで寂しくないの?」
「へっ?どういうこと?」
「ひとりは寂しくなる可能性を秘めているってことなのかもしれない」
そう思った私は、自分なりに寂しさについて考え、「クリスマスはひとりじゃ寂しい…グスン」という意見が多いことに辿り着きました。
私達人間は不思議です。
寂しさを感じる人が不思議なのか、寂しさを感じない人が不思議なのか。
どっちでもいいですが、「寂しい、ひとりは嫌だ、孤独に耐えられない、助けて、誰か、ねぇ誰か」と泣いている人に、こんなことを言うと世間の反応がわかります。
「うるせぇ」
はい、冷酷で非人道的なサイコパスに早変わりー。
「そこでこそ寂しいと思うのか?」
「…思わない、チェッ」
寂しさを感じないのはなぜか?
そんな紐解きをすると、寂しさを感じない理由と仕組みがわかります。
寂しさを感じる人の仕組みもわかりますので、ぜひご参考になれば幸いです。
Contents
寂しさを感じない

寂しいとは
寂しさって一体?
寂しいとは、
[形][文]さび・し[シク]《「さぶし」の音変化で、動詞「寂(さ)びる」に対応する形容詞》
1 心が満たされず、物足りない気持ちである。さみしい。「―・い顔つき」「懐が―・い(=所持金が少ない)」「口が―・い」
2 仲間や相手になる人がいなくて心細い。「一人―・く暮らす」
3 人の気配がなくて、ひっそりとしている。さみしい。「―・い夜道」
満たされない、心細いなどを表す言葉で、特にひとりであることや仲間がいない状況で抱く。
英語では、Lonely[寂しい]と、ひとりぼっち感がにじみ出ます。
私自身、過去は寂しいと思っていた時がありますので、その時を思い出せば寂しい気持ちがわかります。
しかし思い出すとわかるのは、「寂しい」と抱く感情?気持ち?思い?をあえて作っている自分がいることです。
これは誰しもがそうなのかを考えると、「その傾向はあるんじゃないかな」という内容をここではお伝えします。
詳細を見ていきましょう。
寂しさは感じるのではなく思うこと
寂しいとは“心満たされない気持ち”という意味ですが、似たものとして“空しい(虚しい)”があります。
空しい(虚しい)とは、中身がない空っぽの空虚感です。
空しさが自分に対してか他者に対してかで意味が大きく異なりますが、自分に対するものである時、寂しいという心満たされない状態とかぶります。
共に、満たされていない空虚があることで抱く気持ちです。
空しいも寂しいも満たされない時に発生するので、ひとりぼっちで孤独だったり、友人やパートナーが周囲にいても心開ける相手でなかったり、自分のしていることが何の価値があるのかわからない時などに、「はぁ、寂しい、ゆら」と風になびかれます。
これらの気持ち、自分を理解してもらえないと思った時に寂しく感じます。
自分を誰かに理解してもらえないと自覚した時、自分の存在が明確でない空虚を知り、寂しいと思う
※その事実を認めることで空しい(虚しい)と思う
重要なのは、自分の状態を一度認識するステップがあることです。
風が肌に当たってサラ~という感覚のように、「0から1、はい感じます!」とは違います。
さらに、サラ~が柔らかくて好みの風だった時は、「0から1、はい感じーの、心地良さ来るー」という自然な連動が生まれている、とは違います。
寂しいの場合にはこうです。
「はっ、誰も私をわかってくれない」と状況を認識し、「もしかして自分を理解してもらえないんじゃないの」と思い、「はい、寂しい、ポロ」
わかりにくいので流れをまとめましょう。
- 状況確認(例:心開ける友人がいない)
↓ - 事実の認識(私を理解して私という存在を見出してくれない)
↓ - そんなの嫌だと思う
↓ - 思考にて寂しいと思う
- 状況確認
↓ - 事実の認識
↓ - そうなのか、わかったと認める
↓ - 事実の認識にて空しい(虚しい)と感じる
寂しさは思考、空しさは自覚からの気持ち。
寂しさと空しさは同じような空虚の認識ですが、認めないで拒否するか認めるかで、思考か自覚(状況認識)からの気持ちかが別れます。
寂しさとは孤独の拒否反応のこと
上述の寂しさを作る原材料をまとめるとこのようになります。
- 自分を理解してもらえないことへの悲しさ
- 自分を理解できないことへの空しさ(虚しさ)
- 自分の存在=価値が明確に認識できないことの認知
全ては一つの共通点として、現状を認めたくない拒否を表します。
寂しさは自分の価値を自ら見出せないことによる孤独感に繋がり、心細さや助けてほしい思い(自分ではどうすることもできない感)を抱きます。
事実を認識しても拒否すると寂しさを作り、拒否せず認めると空しさ(虚しさ)を感じます。
理解して、わかって、必要として、欲して、愛して、認めて、褒めて、助けて、誰かいて…という他力にて恩恵や利益を貰いたい人間性が起因します。
寂しいとは、自分のことを認めていない前提で、さらに認めたくないような現実を認識した時の拒否によって作られる思考。
※孤独感や自分では対処不能のお手上げ状態で他者にすがる執着心でもある
寂しさにはネガティブな思いが含まれていると思います。
「クリスマス、ひとりなんて寂しいな…つら」
クリスマスで誰かといないことに価値がなくなるような常識やルールがあり、他者という存在を利用して己の価値喪失をなくす利益を上げるために、誰かといようとします。
一緒にいたい大切な人がいれば、クリスマスだかパンプキン祭りだかアンパンマンだかは関係なく一緒にいようとします。
寂しさの基を辿ると、自分を自分で認めない過去の記憶や出来事や心の傷があり、他者に執着心を持って生きている現状が表れます。
※孤独感の詳細は、【孤独は最大の友になる】孤独を感じるスピリチュアルな仕組み をどうぞ。
寂しさを感じない理由
これまでの内容から、寂しさを感じない理由がわかります。
- 他者に自分を認めさせようとしていない
- 他者を利用して自分の利益を得ようとしていない
- 他者に執着や依存する気がない
- 自分のことは自分で認めている
- 自分の認識に拒否が少ない
- 自分に責任を持っている
- 自分の意見を持っている
- 主体性を持っている
寂しさを感じるか感じないかは、単純に自分として生きているか、他者の反応を優先して生きているかです。
自らで自らを認め、愛し、褒め、助ける場合は、寂しいと感じない状態を表します。
寂しさでなくむなしさを感じる場合は一旦休息
寂しさには、上述のように“空しさ(虚しさ)”もあります。
「あれ、空っぽじゃん」と気づいて拒否しないことで、「はっ、私って中身ないの…そんな…」とズーン。空虚感。
寂しさではなくむなしさを感じています。
このむなしさは寂しさのような拒否による思いではないので、事実を認めた上でのズーン、辛いです。
自覚があり現実から逃げていない状態であり、「自分では何ともできない」と思うことでの孤独です。
自覚しているので他者に何とかしてもらえない自分自身の問題であることも認識しているので、対処の仕方がわからない状態のお手上げ。一旦深呼吸が必要です。
「突然死にたくなる」という人はこのような自覚有の対処不能による反応が考えられます。
休んでからゆっくり改善を志すのが本人のためになります。
※孤独の真意は、波動が上がると孤独になる理由【孤独…の意味が一変する領域】をご覧ください。
寂しさを感じない人
寂しさを感じない人の特徴
しっかりものですが、協調性が乏しい傾向があります。
他者と協調することが苦手だったり煩わしいと思い、人との関わりに距離を置く。
いやはや最高の生き方、煩わしいものは煩わしいので関わる必要はありません。
結婚したければして、したくなければしない。
とてもシンプルです。
このような方は、特徴をまとめるとこのようになります。
- 知性発達、自分で考えること、理解することを好む
- 他に飲み込まれない、悪意のない疑い癖がある
- 主体性を持って物事を理解・判断・使い分ける
- 自分の喜びを何よりも大切にして我慢しない
- 線引きや価値観が明確、好き嫌いがはっきり
- 自律があり、感情や欲望を自制できる
- 自分に嘘をつかない、嘘の自覚が明確
- ひとりが好きだけど人といるのも好き
- 干渉せず個を尊重する、干渉されるのは苦手
- 羨ましがられるが嫌われることも多い
- 依存と執着するのもされるのも苦手
- 全体の一部という無意識の理解
- 一つ一つの行為に集中しやすい
※孤独が好きすぎる人のタイプ別詳細は、【4タイプ別特徴】一人が好きすぎる人の決定的特徴と類稀な人間性 をご覧ください。
特に目立つ特徴6選
上述の中でも特に目立つものがあります。
1,自分に嘘をつかない(嘘の自覚が明確)
誤魔化しや偽善、建前や体裁などの演技、偽りをしません。
自分に嘘をつけない訳ではありませんが、嘘をつくことに自分にとっての意味や利益がなく、嘘をつかない選択をします。
自分に対する誠実さになりながら、他者からも誠実さとして映ります。
2,他者や社会性に飲み込まれない
洗脳が解けている状態。
自分の価値観や観念、思想や性質を強引に曲げたり、抑圧することはせず、マインドコントロールにかかりにくく、飲まれたり翻弄されません。
「みんなこうしてるよ、だからあなたも」と言われれば、難解な数式を提示された気分。
他者の意見に準ずる時は“自分の理解”に基づく納得や賛同があり、並走する気持ちがあります。
3,干渉されるのが苦手
寂しさを感じない人はひとりでも複数でもいいのですが、干渉はNG。
押し付けや決め付け、指図や命令など、ズカズカと介入してくる行為は自己世界を踏みにじり崩壊させられる気分になり、断固キックオフ。
自己防衛として蹴り飛ばす、とそんなことはしませんが、爆弾を投げつけます。
※孤独を辛くするルールは、【孤独が辛い時のルール見直し】孤独ほど幸せなものはないかもしれない をどうぞ。
4,依存執着するのもされるのも苦手
自律・自立・自責を重んじます。
依存や執着によって新しい気づきや成長の機会になることもありますが、寂しさを感じない人は個々に成り立つ上での人間関係に喜びが見えやすく、同じように自律・自立・自責を重んじる人との関わりを好みます。
自らを律する気持ちから依存執着しないのもそうですが、されることで個の尊重が壊れ、相手に敬いを持てなくなることも。
5,スケールの大きな視点を持つ
[自分1:人間1]以上に、[自分1:宇宙]
寂しさを感じない人はこのようにスケールの大きな視点で物事を見ている可能性があります。
「宇宙の一部として存在する自分という小さな何か」
「ちっぽけな塵のような生態が大きな宇宙でポツンとしている」
いきがる、強がる、見栄を張る、プライドを持つ、「人間が頂点だ、私が上だ、あなたは劣っている」といったものは、ビルの屋上から蟻を眺めるような気持ち。
認識する価値有無を当の昔にはっきり理解しており、自分の、人間の、存在の小ささを理解しているほどに目を向ける対象は偉人であり、法則であり、仕組みであり、構造であり、宇宙。
スケールが大きい認識があるほどに、「寂しさってなんか意味ある?…美味しいの?」となります。
6,一つ一つの行為に集中する
強みとなるのが“集中力”。
物事を本気で楽しみ、最大限の喜びを一つ一つの行為や出来事から引き出します。
ご飯を食べている時は視覚、味覚、嗅覚、聴覚、感触のあらゆる感覚感受があり、完全に食べることに集中し、全ての感覚を駆使してご飯の世界に入ります。
過去の記憶も引出して良い悪い、美味しい不味いの評価をしたり、気持ちにて心地良さや悪さを感じ、心や精神となる波動感受もあり、常にさまざまな認識が起きています。
全て合わせてご飯を食べる時間を堪能するので、認識を分散させずに行為に集中して、喜びを最大限引き出します。
寂しさを感じない人は一つの行為に集中し、心から堪能して最大限の喜びと楽しさを引出せると知っています。
※孤独を知るための話は、孤独と向き合うと見える道│ぼっちの先には恐怖と愛、そして孤高 をご覧ください。
寂しさを感じない人は孤独を感じない

孤独を感じない理由2選
寂しさを感じない人は孤独も感じません。
※むなしさを感じる人は孤独を感じます。
孤独を感じないのには二つの理由があると考えます。
- 幼少期の環境によるひとりぼっちのない世界
- 他との繋がりによって自分が存在できている理解
①ひとりぼっちのない世界にて孤独を感じない
一つ目は、ひとりぼっちになることは有り得ない認識が作られている場合です。
幼少期の環境、自分を大切にされ、認められ、褒められた記憶が強いことによります。
誰しもに大切にされるか、誰か一人からとっても大切にされた経験。
価値や存在意義を自覚できる状態や関わりがあると、孤独になることなど考えられず、テレビや本の話のような信じ難い物語になります。
認められない記憶があっても大切にされる記憶が明らかに強くある場合、そちらを適応して潜在意識に貯蔵されます。
大切にされた記憶によって意志の強さを育み、ひとりで生きられる強さを持ちます。
※頭がいい人が孤独になる詳細は、【頭がいい人は孤独になる】人間関係の本質を教えてくれる見本 をどうぞ。
②他との繋がりによって自分が存在できている理解
二つ目は、“自分”という存在認知には必ず“他”がある前提を理解している場合です。
現実を見れる人という意味でもあります。
私たちは、[自分 or 自分以外の他]の二つに分けられます。
他なくして自と認識することすらできないのが存在物、常に他との繋がりがあるから自分という存在を認識できる普遍の常識があります。
母親のお腹の中であんなに小さかった私たち、今ではあらゆる他(命、養分、空気、エネルギー、物質、価値観、観念、社会性…)によって大きくなりました。
意識そのものは常に宇宙との繋がりがある、と不思議な話を抜きにしても、他なくして物質的にも精神的にも存在していない前提理解者は、寂しさを感じないだけでなく寂しさをわざわざ見出すことに意味や面白味がありません。
リンゴをムシャムシャ食べながら、「リンゴすら私の目の前からいなくなっていく、ウルウル」と泣くようなもの、この認識では寂しさを作ることはただただ疑問です。
一つ一つに無駄はなく、どんな些細なことでも誰かに影響や引継ぎがあり、見える見ないは関係なく何かしらの知恵・知識・情報・智慧・行動動機・認識がもたらされ、関わりながら生きている、そんな認識がある人もいるかもしれません。
木と木が表面では見えなくても地中では根を張ってネットワークを作り、周囲の木々とコミュニケーションを取っている、これを知った上で木と関わるようなイメージです。
全ての中の一つとして自分を見ると、事実をそのままにする自然の一部として認識し、孤独も寂しさも感じなくなる、という考え方です。
※波動が高まると孤独になる詳細は、「人生遊びの始まり」魂レベル(波動)が高い人は全員孤独になる をご覧ください。
寂しさを感じない まとめ
以上が、寂しさを感じない理由と仕組みの紐解きでした。
寂しさには孤独感が含まれますが、それをネガティブに捉えるかどうかは人それぞれの認識次第です。
寂しさを感じない人にはさまざまな特徴がありますが、見てみるとどれも嫌なものではなく、人間らしさそのものを象徴する特徴ばかりです。
中心には“自分が主観で主体”という常識があり、人生を楽しむ方法を知っていることがわかります。
寂しさを感じない人はひとりでいることが多いかもしれませんが、世の中には他者にすがらず、依存も執着も手放して生きている人はたくさんいるので、そのような人と出会った時には心からの楽しさや喜びを共有して、敬いや愛を強く持つかもしれません。
人が嫌いで興味がない訳ではないと思うので、お互いに自分を持って個々を尊重し合える人と出会うことで、寂しさを感じない人ならではの人との関わり方が生まれ、より心地良さの多い時間が増えていきます。
完全に集中して食べるご飯ほどおいしいものはありません。
ひとり旅行にはひとりの楽しさがあり、複数には複数の楽しさがあります。
何が良いか、どれが良いかは常に本人が決めるので、幸せと満たしを尊重した時間の使い方は自由を見せ、微笑ましく思えるものかと思います。
そんな素敵な時間をより存分に楽しまれる一助となることを願い、寂しさを感じない理解の提供となれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
こどものときから認識的にはずっと一人で、矛盾しているようだけど、「寂しいってなに?」とその感情自体がわからないくらい寂しさを感じたことはなかった
でも不思議と象や亀の目をみているときはなぜか一人を感じないのはなんでなんだろう
ふと、「今、自分は寂しさを感じていないが最後に寂しくなったのはいつだろう?···主当たらないな···」と感じ、試しに検索したら上位にヒットしたので拝読させて頂きました。
中々に興味深い内容で楽しく読むことが出来、自分なりの納得を得ることが出来ました事、御礼申し上げます。
昨今、心理や思考について論じる人も機会も目減りした様に、感じる事が多々見受けられますので、私にとっては価値ある内容です。
当初の私の疑問ですが、貴文に照らし合せるとどうやら私は、寂しさや孤独の類を感じる能力が大変に劣っているようです。(笑) 不鮮明又は他律的な物事の線引きや社会に対する認識に起因する寂しさの発生と言う解説は、物事に文章化できるレベルの解釈又は定義を定める事を常とする私には、大いに納得出来る物でした。
お役立ちできて何よりです。
お言葉をくださり、ありがとうございます。
孤独を感じない能力と言っていいと思います。
自立にも自責にも成長にも大切な、人間味かもしれませんね。
依存執着する人に拒絶反応が出るのは、自らに依存執着することを禁じて、律しているからではないかと思うのですが。本当は依存執着したいという欲望を禁じ律し、無いことにしているために起こっていることなのではないかと思うのですが。
他の記事でこのあたりのことを書かれていないかまた探してみます。
面白い記事を公開してくださりありがとうございます。
著者さん、血液型はB型ですか?
Bではないですよ。
「本当は依存執着をしたいという欲望を禁じ律し」
その通りで、きっとシャドウ的なのはあると思います。
寂しさを感じないのは、自分の両面を理解している領域に入っている状態かなと、そんな感じです。