『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
基本的に否定されないように周囲を気にし、優越できるように振舞う。でも気づかれないように演技し、誰にも自分を消させない。
会社員時代の私のモットーです。
紐解くとわかるのは、「自己肯定感が低く」、「プライドが高い」こと。
私自身を洞察すると、自己肯定感の低さとプライドの高さの関係性が顕著になり、改善の下準備ができます。
そこで、どうして自己肯定感が低いとプライドが高いかの仕組みを見ていかれてください。
- 自己肯定感が低い人はなぜプライドが高いの?
- どんな特徴がある?
- 仕組みとは?
これらを紐解き、「プライドは大切な自己防衛なんだ」と知っていただく内容となっております。
私の内部世界を探検する内容となっておりますので、ご自身と該当するものがあればご参考にしていただければ幸いです。
とある人間の内部事情、ご自身と照らしながらご覧ください。
Contents
自己肯定感が低い人はプライドが高い
ポイント:自己肯定感が低いとプライドが高くなる人の傾向
「自己肯定感」とは自らを肯定することであり、ありのままの自分を認める感情や態度。
類似する言葉に、「自尊心」があります。
自尊心とは、
自分の人格を大切にする気持ち。また、自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度。プライド。
※コトバンク 引用
心理学では、自己肯定感がある場合、根底に自尊心があると言われています。
自尊心があれば、自己肯定感が高まり、プライドを持つ。
ここでお伝えしたい洞察対象の私はこうです。
「自尊心がなく、自己肯定感が低く、プライドが高い」
プライドが低かったりなくなったりしそうなものですが、プライドだけしっかりあるのは気になるところです。
私自身、自尊心のなさは改善する時まで模索し続けてきましたが、自尊心がないと自己肯定したくてもできませんでした。
無理矢理肯定する場合、自らに嘘をついているのがありありと自覚され、より否定的に捉えて自己否定へ向かい、プライドはなくなります。
プライドがある私を洞察するとわかるのは、自己肯定感は低いけれども自己否定したい訳ではないことです。
あくまで肯定できない状態。
人によっては肯定できないので自己否定によって内心安堵する人もおり、プライドをなくして卑下することに意味を見出す人もいます。
自己肯定感が低くても低くなりたい訳ではなく、肯定したくでもできず、否定したくない場合、共通してある傾向が見られます。
自己否定しようとする自分と戦うもう一人の自分がいます。
もう一人の自分がプライドを高める要因になり、気高くありたい理由が見えてきます。
なぜプライドが高くなる?
自己否定する自分を喜んで肯定した場合、向かう先は闇落ち、恐怖や死へ近付いていきます。
「生」を選び、自己否定を喜ばないためにも、もう一人の自分はプライドという自尊心を用いて、自らを護ろうとします。
しかし、肝心の自尊心がありません。
自己肯定感が低い状態で引っ張り出すプライドは、即席のカップラーメンみたいなものかもしれません。
「食べるものが何もないから、なんとか今だけお腹を膨らませる」といったプライドは、自分の価値、評価、存在、意義を得て、まるで自尊があるように思い込もうとします。
自負、誇り、矜持を認識するために、「私は大丈夫、凄いんだぞ、こんなのへっちゃらだ」と思える材料を見つけてきます。
「大丈夫、だって私には…あれ、何もない?!」となってしまうのが自尊心がない状態ですので、プライドは自己内部ではなく外側に着眼します。
他者と比較して優劣、自分は劣っていない優れている。
差を見出して自己認知、私は一人じゃない、仲間がいて大切にされる存在なんだ。
他のルールや常識や美徳に寄りかかり、私は正しいことをしている、あなたは間違っているから私が正当だ、評価される側であり勝ち組だ。
結果、うぬぼれが強い、負けず嫌い、ナルシシズム、強がり、見栄っぱり、傲慢、身勝手などに。
自己肯定感が低くても自己否定したくない心理から、自己防衛として自尊があると思い込むためにプライドが大活躍する。
結果的に、自己肯定感が低くてプライドが高くなる、という考え方です。
自己肯定感が低くてプライドが高い人の特徴
私自身と、関わってきた人々に共通する特徴がありますので、一覧にまとめます。
- 自分を何者かにしたい
- 褒めて欲しい、必要として欲しい
- 自信を過剰に持つ
- 自分の非を認めない
- 正当性への固執、頑固
- とにかく恥をかきたくない
- 他を否定して優越する
- 自分が否定されると怒る
- 怒りの自制ができない
- 周囲が気になる(体裁、評価)
- 善悪、正否、勝負による評価区分け
- 強がり、見栄っ張り
- 負けず嫌い
- 比較癖
目立つ特徴①
自己肯定感の低さは自信のなさに繋がり、プライドの高さは一時の仮自尊の見出し(他と比較した自己保持法)に繋がります。
自信が出せない状態ですが、自信があると自負できるように活動するため、相反する現実と思い込みがぶつかり合います。
このことで目立つ特徴となるのがこちら。
「一体何をしたいのかわからない」
私は何をしたいのかわからず、さらに周囲にもそう思われる印象を与えており、自他共に何をしたいのかわからないイメージが付きました。
あれをしたと思えば別のことをして、あの人と関わればこの人と関わりたくなり、これが好きだと思えば世間に合わせて別の物を好きになり。
多趣味で多才であれば肯定しやすいのですが、器用貧乏や飽き性や定まらない曖昧。
そんな自分が嫌になるけど否定したくないので、プライドは仮自尊をさらに膨らませるために活動してしまう。
ループに入り、何か変えなきゃと思いながらできるのは他者と違う特異性の見出し、特別感や万能感を感じるために中二病のように自己世界に陶酔し、周りがどこまでも見えなくなりながら自覚がなくなっていきます。
人前ではおちゃらけて、主導権を握っていると思い込み、優越にて価値を見出して内心安堵。
一人になるとため息が止まらず、「あれ、疲れたサラリーマンになっている?」と思いながら、毎日表と裏の仮面を被り続けます。実際には仮面を被る必要なんてないほどに、顔は真っ新だったりなんなり。
現実と向き合うのが怖くなり、虚言が増え、誤魔化しが増え、現実逃避していないと思い込みながら逃避し続け、より何をしたいのかわからない特徴が目立ちます。
目立つ特徴②
もう一つ目立つ特徴となるのが、「怒りの自制ができない」です。
自己肯定感が低いと、自分の存在を否定される言動に怒りやすく、存在意義や価値が消えてしまわないようにあらがう怒り方になります。
怒ると自制できなくなり、憤慨してイライラが収まらず、気になって切り替えができず尾を引きます。
怒った後に自己嫌悪や自己否定に向かいやすくなるので、なるべく怒らないように普段は我慢しますがストレスが盛り上がります。
いざ怒ると歯止めが利かなくなり、エネルギーを無制御に放散するので後悔へと続きます。
怒りの制御がないさまは、自己肯定感が低くてプライドが高い人の特に顕著なさまだと考えられます。
私はあまりに自制がなかったので怒りに対して良い印象はありませんでしたが、後から思うと「怒り」との距離感の近さは、どうしてプライドが高くなるかを理解する重要材料でした。
自らを護る意識が強いこその怒りは、自己愛に基づくポジティブなエネルギーであるため、怒りを知ることは自分を知ることになります。
※プライドの高さによるメンタル影響については、【極端に違うプライド活用法】プライドが高いとメンタルが弱い&強いの二分け をご覧ください。
仕組み:自己肯定感が低いとプライドが高い
仕組みを知っていただくことで、改善へ向かいやすくするのがこの内容の目的ですので、より細部の深掘りへ向かいましょう。
プライドが高いのは自己愛による防衛機能
自己肯定感は自尊心に基づいて高低が決まると考えます。
自尊心がなければ自己肯定感を高めることはできず、無理矢理に高めようとする場合は虚言や思い込みによる自己陶酔(ナルシシズム)を強化し、自分を喪失する可能性があります。
※私はこのパターンでした
自己肯定感が低いのは幼児期や幼少期の周囲との関わり、特に親との関わりに原因があると言われています。
他の影響や環境次第で自己肯定感は低くなるので、低い人は低いです。
着目したいのは、その後に自らプライドを身に付けていったことです。
自己肯定感が低くなる周囲からの影響、物事をネガティブに捉えざるをえない環境があると、「自分がこうなったことに納得いかない」と思うかもしれません。
私ははっきり思っていました。
そこで、「親のせいだ、誰々のせいだ、許せない」と思うこともできますが、プライドを高める方向へ向かう場合、「自分でなんとかしよう」と思った過去があります。
プライドが高いのは、自己肯定感が低くなった自分を否定せず、存在意義をなくさず、価値をなくさず、自らを存在させるための自己防衛です。
失望や他責や否定の「死」ではなく「生」に意識を向けるさまには自己愛があり、自らを活かす意志によって、心は存在認知を見出せるように自己防衛に徹底します。
自分という存在を誰も肯定しなければ、自分がいなくなるならば、自分で存在認知する。
自尊心が必要だけど、ないので自己防衛にて存在認知できるように他と比較し、優劣を抱き、正否ルールを当てはめ、他との区分けと照合によって差を作り、自分を存在させる。
「私はここにいる、ちゃんと存在して、ここにいるんだ!」という思いが強ければ強いほどプライドを高くして、自らを護り続けます。
プライドは本当に大切であり、内なるもう一人の自分が、自分を護るために働いてくれています。
※プライドが高いのに自信がない詳細と改善方法は、【直し方】プライドが高いのに自信がないという人間ルール をどうぞ。
プライドに甘んじるとエゴが強くなる
大切なプライドは、別名エゴです。
エゴとは他によって自らを認めて見出そうとする意識。
防衛意識でありながら、脳内に住む知的な情報固めであり、怠惰欲を好み不変や維持を貫こうとします。
本当の自尊心を見出す活動へ向かわずに対処に甘んじ続けた時、エゴは増長されて自分を見失います。
プライドによって自己肯定感が低いことでの負の影響を回避し、一時の自己保持を図りますが、自分を見失うと既存の他に従うほかありません。
私は何をしたいのかわからず、とりあえず社会ルールに則ってレールに乗りました。
お金と安定取得を目的に掲げてサラリーマンとなり、自分と向き合わずにプライドによって見る一時凌ぎの世界に甘んじました。
スーツを着たらなんだか気高い気分。少し高めの靴を履き、腕時計は見えるようにして、歩き方まで意識して取り繕い、全てのフォーカスは他からどう見られるか、差を見出せるか。
怒らない我慢も上手くなり、そつなく人と関わりながら、隠れて優越を感じ、まるで主導権を握っているようにいい人を演じ、自分への嘘を自覚しない誤魔化しも上手くなっていく。
なんのためにプライドが頑張って自己防衛してくれていたのか、完全に見失っていました。と言うよりは何も知らなかったのが事実です。
自分のことを知らない。知っていると思い込むが、「知る」とは何かを知らない。
プライドは高くなればなるほどエゴが強くなり、自己防衛ではなく他によって自らを見出す楽な道へ逃げながら、自覚しないように誤魔化し、脳内を自己都合で牛耳ります。
完全に牛耳られていた私は現実を見ていると思い込み、実際には現実ではなく自分が見たいと思う世界のみを見て、そぐわなければ外界を否定して自分を変える気などさらさらありませんでした。
プライドに甘んじると自己肯定感の低さと向き合わず、改善されることがなくなります。
このトラップ、気づきにくいので難関です。
注意は必要ですが、トラップにかかったところで遅いなんてことはありません。いつでも気づければ、行動できれば、変化を促せれば物事は進みます。
※プライドを高くしすぎる危険性は、【鉈をかかげた挙句】プライドが高すぎる人の末路を知る体験談 をご確認ください。
ポイント:自己肯定感の低さとプライドの高さの捉え方
改善はできると、私自身の体験からは明確に言えます。
が、その際にとっても重要なことがあります。
今では自尊心を取り戻しましたが、改善できなかった時はプライドの高さ、自己肯定感の低さと向き合っていませんでした。
改善してやっと理解できたのは、「どうして自分はこうなのか?こうなったのか?」を知らなければ向き合えないことです。
初めはプライドと向き合い、次に自己肯定感へ向かい、その後に自尊心を取り戻すプロセスに入ります。
物事には順序がありますが、初めに重要なのは自分の理解です。
どうしてプライドが高いのか?
どうして自己肯定感が低いのか?
理解するには、「私はプライドが高い、自己肯定感が低い」が事実かどうかを認めなければ先へ行かず、認めるためには自分を理解する必要があります。
さもなくば瞬く間に思い込みや空想の自己都合で曖昧になり、不変の道へ流れて現実とも自分とも向き合わなくなる可能性があります。
もしこの内容で該当することが多い場合には、改善するための自己理解ポイントがありますので、ご参考にされてください。
「プライドは自分の存在を認めようと、他との比較やルールとの照合、正当化、強がり、負けん気、見栄っ張り、嘘、誤魔化し、うぬぼれ、横柄、自慢、優越、否定、拒否などをしてくれている」
自分を認めることを目的にしている内情を知ると、プライドや自己肯定感をはじめ、自らが自らを認める大切さが見出されます。
これを自己受容と言います。
※自己肯定感が低い人の最適化は、「なぜめんどくさい?」自己肯定感が低い人の解釈違いと最適化案 をご覧ください。
自己肯定感が低いとプライドが高い まとめ
最終的にお伝えしたいのは、自己肯定感が低くてもプライドが高くても、それが自分ということです。
しかし、自己肯定を基盤に物事を考えると、そんな自分はなかなか認め難いです。
自己肯定は自らを俯瞰して、客観的に捉える目線が大切になり、あらゆる他の常識や価値観や情報を前提に踏まえています。
これまでの過程にさまざまな善悪、良悪、正否、上下、勝負の概念が記憶に入っているので、自己肯定感が低くてプライドが高い自分をありのままに認めようとしても、それはできません。
私は無理でしたし、人によってするべきではありません。
実際に重要なのは自己受容、自らをそのまま受け入れることです。
良いも悪いもなく、そのままの自分を見て、感じて、「うん、これが私」とシンプル。
自己受容した先に、自己肯定を必要に応じて取り入れ、時と場合によって自信を見出し、謙虚に控え、他者を優先したり、自らを主張したりとバランスを取れます。
見るべき対象は自分です。
自らを見て、まずは受容。
受容したらプライドの高さ、自己肯定感の低さと向き合い、変える行動へ向かいます。
自信なんて本当はなくていいと思います。
自尊心を取り戻した時、初めから自信はあるもないも概念がないとわかります。しいて言うならば、あるのが当たり前なので認識する必要もないのが自信です。
改善のためには何から始めればいいかわかりにくい所があると思いますので、まずは自己理解を深めるステップとして、お役立ちできれば幸いです。
それでは、とある人間の内部事情のお話を終了します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。