『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
一難あってまた一難、止まらない不運にうんざりして一言。
「ストップ!!」
人生をここで一旦ポーズしましょう。
問題が起きる時の私達人間の中身を紐解くと、どうして次から次へと問題が起こるのかわかります。
ここでは、トラブルや不運など、問題が次々起こる際のスピリチュアルな理解を見ていかれてください。
- 次から次へと問題が起きるのはなぜ?
- 問題が続く時のスピリチュアルとは?
- 負の連鎖を止める体験談と方法とは?
これらを紐解き、問題が止まらない原因・仕組み・解決方法を知っていただく内容となっております。
私自身に起きたオーストラリアでの連続トラブル体験談と共に、問題解決へ向かいましょう。
問題を起こさない人生にするために大切な理解がありますので、一つのご参考になれば幸いです。
Contents
次から次へと問題が起こる原因
次から次へと問題が起こる原因:責任を持たない拒否
「どうしてこんなに問題ばかり続くの?」
この答えには脳内認識傾向、信念体系、引き寄せ、偶然、大殺界の暦、陰陽エネルギーの波‥‥など、たくさんの可能性があり、何が答えなのかの特定は難儀です。
しかし、さまざまに答えが派生する前提に、責任の有無があります。
責任とは、負うものでも押し付けるものでもなく、自らのみが持てるもの。
自らの思考と行動を自覚して認める意味です。
問題が起きた時、起こしても巻き込まれても問題の責任所在は自分のみです。
※問題を起こした人には起こした人自身の責任がある
認め難い嫌なことが起きれば、拒否したくなるのは当然だと思います。
しかし、拒否すると現実を現実にしないあらがいとなり、現実を経験した自分を消そうとする行為がいつの間にか内部で起き、責任を持てなくしてしまいます。
責任がなくなったり曖昧になってしまうことが大前提となり、その後に次から次へと問題が起こるスピリチュアルな理解へと繋がっていきます。
問題が続く責任の捉え方は二つ
「責任を持たないと問題が続く」と言っても、責任を持つ際の捉え方が二つあり、意図せずに曖昧になったり、いつの間にか責任がなくなってしまうことがあります。
この世を二分化すると、[自分or自分以外の他]に分かれ、あらゆる責任を自らが持つか、他を介入させるかの違いがあります。
- 一人で行動している時の問題
- 他者も含めて行動している時の問題
一人で問題が起きている場合には自分を認識し、他者も含めて問題が起きている場合には他者も含めて自分を認識すると、問題が続く原因や解決が見えやすくなります。
一人で行動している時の問題に責任がない場合
突然彼女と別れることになり、ウガンダのへき地に転勤、鳩の糞で家が真っ白…。
問題が止まらない原因となる大きなポイントは、認識が自分に向いていないことです。
問題が起きた自分を真正面から捉えていない、捉えたくない状態です。
交通事故など他者に起因する問題やトラブルは、ルール上の正否・善悪判断が決められているので、認識を自分に向けにくくなる社会があるかもしれません。
ルールに基づくと他者が責任を負うのが当たり前の問題もありますが、認識の矛先に関してはルール関与は一切なしです。
認識が自分に向かないと責任を自らに向けられず、問題を現実として認められず、問題そのものの責任が消えることで次から次へと起きる始まりを切ります。
他者も含めて行動している時の問題に責任がない場合
他者も含めた行動にて問題が起きる場合、認識フォーカスは自分ではなく、他者も含めた自分になります。
責任を持てなくするのが、責任を自分だけに置くか、他者に置く場合です。
責任感のある人、率先する人であるにもかかわらず、問題を引き延ばすガソリンになってしまう、善徳の悪行という矛盾が起きるトリッキーな点となります。
他者に責任を投げて、自分では何の責任も持たない場合は明確に責任所在が空になります。
「外部からトラブルに巻き込まれた、一緒にいた友人の一人が問題を引き起こした」と思えば、社会的ルール上は誰か他者が責任を負いますが、認識に関する責任は私達一人一人、自分のみが全ての状況で持っている必要があります。
責任を押し付けたり、誰かに放棄したりだけでなく、全て自分だけが担うことも不具合を作ってしまい、集団の問題は次から次へと起きて止まらなくなります。
※問題が続く捉え方は、『それは転換期』最近ついていないことが続く【過ごし方&注意点】をご覧ください。
次から次へと問題が起こるスピリチュアルな仕組み
問題が続くカルマ・エネルギー
責任が曖昧になる拒否をすると、行為が完結しないので未浄化のカルマが作られ、行為によって作られたエネルギーは行き場を失います。
因果応報、カルマの法則です。
カルマとは行為を意味し、責任所在を明確にするための自然の摂理。
物事は行為を始めれば、終わらせて完結します。
「問題が起きました、認めました」で終了。
「問題が起きました、嫌です、拒否します」だと、エネルギーがウネウネしだし、行為が完結しないためにキョロキョロと完結を探します。
「嫌だ、認めない」という気持ちはとても強い負のエネルギーを生みながら、行為の責任がなくなり、問題と直面する自分がいなくなります。
現実逃避や誤魔化し、自己都合で認めたように振舞ったり、ポジティブを演じたり。
認めたように思い込んで自らを誤魔化し、真意では拒否している場合、起きた問題を完結させる責任がなくなり、「問題が起きました、はい終わり」とならず、エネルギーが彷徨います。
「責任はどこだ、だれが完結させるんだ」とエネルギーが言っているイメージ、完結させるために問題を引き起こす内部の働きが始まります。
認めないとエネルギーが彷徨い、自らに違和感や不調和を与え、認めない蓄積によって精神に疲れや支障が少しずつ出て来ます。これを防ぐためにも問題を起こすため、自分の成長にも精神を護るためにもなるのがカルマの法則です。
※家族との問題にあるスピリチュアルは、家族とは何か?問題やトラブルの原因にエネルギーとカルマの大切な意味 をどうぞ。
問題を引き起こす無意識の意志
カルマの法則は責任を持つためであり、現実を現実にするための仕組みです。
エネルギーという奇怪なスライムが、もののけ姫の最後のように彷徨い、ドロドロと追いかけるものではありません。
あくまで本人が望むからこそ、責任を持つために問題を呼び、自らを正し、育み、成長させてくれます。
しかし、無意識。望んだつもりなんてないのに、問題が次々起こる。
自責が強く、責任感を持つ、内的在り方。真意としての潜在的な願望です。
責任を持ちたくない人、持つ気がない人には、カルマに起因した問題は次から次へと起きません。
※起きる場合は波動の低さ、引き寄せなど別の理由
自責が強い人は現実を現実として受け止めたい人であり、意識が高い人です。
意識が高いと自らの誤魔化しや嘘を見過ごせません。現実を拒否せず、ありのままを受け止めたい人は意志があり、自らと向き合う覚悟を持ちます。
しかし、現実は思ったようにはいかず、嫌なこと、認め難いことと向き合うのは辛く、苦しいものです。
外側の自分は拒否したいのに、内側の自分は認めて向き合おうとする状態。
問題やトラブルを拒否する外側の自分がいればいるほど、内側の自分は無意識にカルマを正し、エネルギーの行き場を差し出すために、認める機会を作ろうとします。
認めるまで、現状を正すまで、変わるべき点を変えるまで、成長するため、自らを強くして護るために、問題を起こします。
内なる自分の意志は、一段成長するまで学ぶ場や試練を与えます。
※試練の多い人のスピリチュアルは、試練の多い人生に魂との約束│逃避か対処か対峙か、選択は常に自分 をどうぞ。
問題を引き起こす無意識の反発
無意識の意志だけでなく、反発によって意図せずに問題を起こす願望を持つ場合もあります。
意識に基づくと、私達は自覚せずとも無自覚にあらゆる願望を抱き、欲望を持ち、在りたい姿、起きて欲しい現実を求め、創造します。
問題が起きた時、無意識に在りたい自分の願望が切り替わります。
例えば、私がメキシコの旅途中で荷物がなくなった時、今後の旅を楽しむ願望や欲望がパッと消え、問題にフォーカス切り替え。
起きた問題を拒否して、「最悪だ、どうすればいいんだ、どこかにあるんじゃないか?」と、無意識の在りたい自分の姿が、嫌な現状がなくなって欲しい自分になりました。
現実拒否レベルを強め、あらがって荷物を探そうとすればするほど、私はたくさんの嫌なことを味わいました。
拒否感が強くなればなるほど反発が強まり、「こんなことは起きて欲しくないんだ!」と責任を放棄して、現実を牛耳りコントロールする支配欲が増えます。
強い願望によって、意識は在りたい自分になるように現実を作ります。
在りたい自分とは、「問題が起きないで欲しい、起きた現実がなくなって欲しい」と思っている外側の自分です。
実際に問題が起きないと作れない自分であるため、強い願望によって問題を作るように無意識が働き、まるで問題を引き寄せるように次から次へと起き始めます。
拒否の波動は強いエネルギーを生み出す
「拒否」
この行為は強烈に強い負のエネルギーを一瞬で作り出します。
認めれば一度で終わりですが、拒否は常に、思い出した度に拒否する必要があり、継続的に負のエネルギーを作り続けてしまいます。
波動が低くなり、ネガティブで卑下が多くなり、自らの責任を持てないと機嫌を自分でとれなくなるなど、ネガティブになった自己対処が困難になり、逃避や誤魔化しが多くなります。
表面上は認めているように取り繕いながら、内面では明確に拒否があるなど、矛盾や不調和を作りながら負のエネルギーも作り、波動はますます低くなります。
波動の低さによって、同調・共鳴作用が起き、自らの波動に合わせたことを引き寄せます。
起きた物事の責任を持たないと、あらゆることが無意識に作られ、問題を次から次へと起こすエネルギー的な仕組みとなります。
※不運な問題が続くエネルギー詳細は、【嘘か誠か】悪いことの後に良いことがあるエネルギーの仕組み をどうぞ。
責任が持てない問題は波動が下がりやすい
責任は持ちたくても持てない時もあります。
他者と一緒の行動で起こる問題です。
例えば、夫婦で車に乗っていた時に突然故障プー。
自分は認めたとしても相方が、「あなたの車でしょ、なんとかして」なんて責任を放り投げていると、一緒の行動で起きた問題の責任が空虚になります。
すると二人で移動を続けると別の問題が続いたり、別々で行動した時に認めていない方に問題が継続したりします。
または、片方が責任を持たないことで認めた方がムキーとなると、強烈に強い負のエネルギーを生み出し、問題を引き寄せやすくなります。
極端な例ですが、事件が起きた時に家族ごと巻き込まれ、犯人ではないと知っている人が捕まった場合、表面上で認めたと思い込むことはできても、実際には誰も認められない状況が起きます。
すると事件に関わる人々は認めたくても認められず、カルマが彷徨い、エネルギーが彷徨い、責任を持てず、波動が下がり、無意識の引き寄せが起こり、次から次へと問題が起き、止められなくなります。
このように責任を持ちたくてもできない場合もあります。
責任を持てない状況で強引に持とうとしたり、他者の分まで自らが持とうとすると、作るように次から次へと問題が起きて辛く苦しくなってしまう危険性があります。
※事故やトラブルのスピリチュアルは、事故やトラブルにある気づきの機会|厳しくて優しい守護霊のサイン をどうぞ。
次から次へと問題が起こる体験談
これまでの内容がわかりやすくなればと思いますので、実際に私に起きた体験談から、問題が起きる仕組みと、解決方法をご覧ください。
オーストラリア車旅行で問題発生
私がオーストラリアにいた際、友人らと私の計三人で五泊六日の車旅行をした時のことです。
宿泊は野宿やキャンプをしており、一日目は公園で、二日目は海沿いの浜辺で寝泊まりし、楽しい時間を過ごしました。
三日目の夕方から始まりました、トラブルタイム。
「あれぇ、ここどこだぁ」と迷いながら運転していると、突然浜辺に出て、目の前は海。
三人で、「やったー、海に出たー」とはしゃいでビーチをドライブすると、ガクッ、ビュイーン、グイーン、キュルキュルキュル。
スタック…。
砂地にはまって空転ビュイーン。
必死に砂を掘り、はまらないように進めるが動かず。
日が落ち始め、潮が満ち始め、周囲に人は誰もおらず、住居のない海岸沿い。
腕はパンパンで動かなくなってきた、が休む暇はない。
海の水が少しずつ近付いてくるため、最悪車が流されてしまう。
必死に砂を掘りまくるが抜けられず、「本当にヤバい」と焦り始める。
薄暗くなり始め、水が直前まで来た時、遠くから車のライトがピカッ。
結果、たまたま散歩で来た四駆のオーストラリア人にけん引してもらえました。
「良かったね、あと少しすればここは潮で満ちるから、確実に車ごと流されてたよ」
「だよねー」とドッと肩の荷が降りて、恐怖を感じた瞬間でした。
問題は続く羊事件
難を逃れた私達でしたが、寝床探し開始です。
小さな町を抜けたら街灯すらない一本道が、大地の中にドンッとあるのみ。車のライトがなければ何も見えない真っ暗、他に車が一台も走っていません。
標準速度が100km/hですが、本当に何も見えないので80km/hで走っていました。
一瞬でした。
目の前に黒い物体が見えた、「うわっ、ドンッ、キキー、ガサササササ!!」
やってしまいました、何かを轢いた瞬間。
避けきれずそのまま路肩の茂みへ突っ込みました。
急ブレーキでしたが横転はせずに、茂みへ入れて幸運でした。
直ぐに近くのファーマーがやってきて、「大丈夫か?!」と救助に来ますが、私達は全員怪我無く無事でした。
車から出ると周囲は羊だらけ。羊を轢いてしまい、どうやらゲートが開いて羊が全員逃げてしまったという。
メーメーと悲痛の叫びを聞きながら、近くのファーミング倉庫へ一旦向かいます。
真っ暗で何も見えないので詳細は後日ということで、家の敷地でテントを張らせてもらって就寝。
全く眠れず翌朝。疲れは取れず、最悪のコンディションでした。
車は友人の所有物で、保険に入っていなかったため示談で交渉し、たまたま板金屋も営んでいるということで、凹んだバンパーを直してもらって終了しました。
問題はまだまだ続く車の故障
一旦は車も綺麗に元通り。問題なく稼働するので、再び車旅行を再開した三人でした。
しかし、走り始めて直ぐに、「ガシャン!」という音が走行中にします。
辺りは本当に何もない平地。お店なんて到底ありそうもない乾燥地帯。
ガスガス、ガスガスと音を立てる車。どうやら昨日の衝撃で大事な部品が壊れてしまったようで、数分後には完全にストップ。もう走りません。
連絡先を聞いていたのでファーマーに連絡しますが、「もうこれ以上は知らない」と電話を切られてしまいます。
けん引してもらうための保険は入っていたため、保険会社に電話するも電波が不安定で繋がらなくなってしまいます。
近くのプレハブ小屋だけは電波が通じると聞き、たくさんの人に助けてもらいながら電話して、何時間も待ってついにけん引してもらい、近くの町へ向かいました。
次から次へと問題が起こる最後
翌日、町の外れにある自動車修理屋へ向かいます。
修理をお願いするとかなりの高額で、修理しないなら廃車した方がいいとのこと。
全てを修理せずにメインの部品だけ修理すると、元居た場所まで戻れるかどうかは賭けと言われ、私達三人は迷い、悩みます。
修理するにしても元々ボロボロの中古、購入費より高くなってしまう。
いつ壊れるかわからなかった車ではあるが、廃車は所有者の友人の損失がでかすぎる。修理代を三分割にするか、戻るまでの交通費を残りの二人が負担するか。
車の所有者である友人の利益をメインに熟考します。
う~ん。
「一旦休憩しよう」
三人の険しい顔が続き、私はブレイクタイムを要請。昨日からの疲れでまともに考えることもできなくなっていたため、一旦シアターで映画を観ることにしました。
映画が始まる前に閃くように思い立った私は、真剣に自動車修理屋に向き合い、走るのに問題ないくらいに修理してもらい、負担が減るように値引き交渉しました。
修理屋のおじさんは値引きしてくれて、さらに安く部品が手に入るか直ぐに仲間に確認してくれることになり、その連絡待ちとなりました。
「美女と野獣」の放映開始です。
私は感動してボロボロ泣き、映画を観終わった時に、自動車修理屋からの電話が鳴り、「部品が見つかった、大きく安くしといてあげるよ、今既に修理中だからもう少し待っててくれ」と言ってもらえました。
当初の何倍も安い値段で車が直理され、所有者の友人の支払いを減らすように三人で決済し、損失を大きく抑えられました。
道中は休憩を挟みながら車中泊をして、問題なく翌朝には帰宅して、旅行は終了。
次から次へと続いていた問題も終着して、これ以上は起きませんでした。
次から次へと起こる問題を止める解決方法
私の例では、問題を最終的に止めた要因は、三人全員が「良かったぁ」と思ったことです。
一人の行動であれば自分を、他者を含めた行動であれば他も含めた自分を認識する必要があり、上述のケースでは私だけが認めたり責任を持つのではなく、他の二人も同様に責任を持つことで、問題の終着点が生まれました。
三人共が納得して問題の終着を作った状態です。
特に車の所有者は一連の問題を受け入れるのが難しい立場でしたので、問題を止めるには三人が同じように向き合える意識を作るのが必要でした。
解決方法は問題の終着点を作ることです。
終着点を作るまでのステップが二つありますので、見ていきましょう。
解決方法ステップ①:問題を認める
認めると責任を持つため、「自分には関係ない」ではなく、「問題が起きたんだ」と認めるのがファーストステップです。
自分だけでなく、他者も含めた行動による問題であれば、他者も全員が認められるようにできるかどうかです。
解決方法ステップ②:問題を受け入れる創作
認めてもどこかに無意識の不納得があったりするため、重要なのが認めた後です。
終着点を作るには創作が必要となり、方法は受け入れることです。
認めると受け入れるは別物です。
受け入れは認めた後に問題を迎え入れる状態、「この一件、welcomeだよ」
起きた問題に対して、「良かったぁ、納得だ、これでOK、勉強になった、成長できた」とポジティブな気持ちで認識する状態です。
問題が起きても他者が全て対処したり、責任所在が曖昧になると、認める大前提が消えてしまい、その時は面倒なく終わってもまた次が起きます。
自ら行動して納得を作る結果、受け入れられます。
受け入れは創作です。如何に自分を知り、周囲を知り、現実を捉え、納得できるようにできるか。
責任を持ち、認識を知り、納得を作る。そんな方法です。
次から次へと問題が起こるスピリチュアル まとめ
社会的な生物である私達は、他のルールや情報が主体になることが多いと思います。
責任はいつの間にか持つのではなく負う概念になり、他に丸投げして損失だけ防ごうとするのが当たり前になったりします。
スピリチュアルな理解は意識に基づくため、社会のルールは別として大切でありながら、問題が起きれば必ず行為があり、カルマがあり、エネルギーがあり、認識があり、現実との向き合いは自分にしかないとわかります。
嫌なこと、問題やトラブルはないほうがいいですね。
嫌なこととは向き合わず、ササッと別のことに時間を費やしたいものです。
しかし、自らが少しでも関わるならば、必ず自らの行為があり、始まりがあれば終わりを作るのがこの世の摂理だったりします。
他者が主体で巻き込まれるなど、認めるにも認めにくいものもあり、創作性が重要になります。
如何に物事を認識し、より深く詳細に知り、より幅広く俯瞰的に見れるか。
負の出来事や不運など、認め難い出来事ほど私達一人一人の人間性を高める経験となります。
起きた現実は変えられませんので、起きたことを今後に活かし、少しでも問題をなくす一助となれば幸いです。
それでは、次から次へと問題が起こるスピリチュアルなお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。