生き方

【強さと弊害】メンタルが強い人は他人の気持ちに興味がない

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人の気持ちに介入しないと影響受けが少ない。

『メンタルが強い』

これは防衛できることなのか、はたまた受け入れられることなのか、それとも弱まる“もと”を提示していないだけなのか。

実情はどういう意味で、どんな解釈が潜むのか。

ここでは、メンタルの中身を詳しく紐解き、“強さ”の意味について考え方をお伝えします。

  • 人の気持ちがわからないとメンタルが強くなるのか考えたい
  • メンタルが強いとはどういうことか考えたい

私事ですが、メンタルや心について考える出来事があったため、洞察してみて気付いたことがありました。

「正しさは正しさではない」

そんな怪しげな理解、メンタルについて今一度考える機会になれば幸いです。

メンタルが強い人は他人の気持ちに興味がない

メンタルが強いとは?

なんでも
なんでも
心そのものではなく心の在り方、繊細な人も鈍感な人もおり、人それぞれに心との向き合い、繋がり方、接し方があり、メンタルが構築されます。

メンタルの強さが表れる言動としてわかりやすいものがあります。

“気にしない”

誤魔化すでも気付かないでもなく、気にしない。

気にしない人のメンタルは鋼です。

美容院で思いっきり坊主にされ、庭の木が倒れて家が真っ二つ、「もうなんて日だ!」にならない。

パァーって。

社長にため口、仕事中にパチンコ、お葬式で飲んでゲラゲラ騒ぎ、白い目で見られても夕方の藍い空を眺めて感動している。

周りの目を気にしないのを初め、自分の付属物を気にしないのは、自分の外側に執着しないさまでもあります。

メンタルが強い人は執着が少ない。

他人に、常識に、自己ルールに、外側に、我に執着しないことで生まれる動じない静けさと柔軟度の高さ。

へにゃへにゃの身体をしたヨガ行者であり、今日も新しいポーズをどんどん取り込み試していく。

気付けば丸い球体人間。

執着しないと球になります。

メンタルが強い人は球になります。

それは動じない屈強さと、柔らかくしなやかな壊れにくいさまの組み合わせ。

ダンゴムシのあれとは違い、横から見ても前から見ても球。

このことから考えたいのがこちら。

メンタルの強さには、動じない心と、柔らかい心の二つがある。

そんな考え方を深掘りしていきます。

 

他人に興味がないとメンタルは強くなる

なんでも
なんでも
メンタルは執着のなさを表す在り方。

反対に、執着が増えるほどに周囲を気にする動機も理由も意味も増えるため、メンタルは弱くなります。

最たる例が承認欲求。

周りが気になる、自分を愛して欲しい。

執着を増やすことこそが心の満たしになるため、自己を満たせる一方メンタルは弱くなってしまいます。

そんな執着の大きな要因と考えられるのが、心に囚われること。

心に囚われる大きな要因は、自己流(価値観と観念縛り)と人間関係が考えられます。

心が満ちているか、嫌な気持ちになっていないか、傷ついていないか。

とにかく心を気にする状態ができます。

自分で心を保ち、満たせる人ほど、心の囚われに影響するのが他人の影響です。

こう言われた、ああされた、こういう態度をされた、違和感があった…。

動じる心。

この動じる心を作らないために、他人への興味をなくす、他人の気持ちに介入しない。

バスンッと心の前に壁を置いて、心への影響をなくす防衛策にもなります。

環境によってそうせざるを得ない場合(例えば、何を考えているかわからない人々しかいないなど)、他人に興味がない状態をデフォルトにして、興味を持てる時と場合と人の時だけ壁をスッとのけることで、人間関係の区分けが円滑になります。

他人の気持ちを推し量るには同じように気持ちを投影する必要があるため、相手が心から関わってくればこちらも心から関わることで理解できます。

しかし、心を開かずに相手の気持ちに介入しない、または興味をなくして心を開いていなくても違和感がない状態を作ると、メンタルに影響受けが減ります。

動じるもとである“心”の提示がないので、翻弄されない傷つかない。

他人の気持ちに興味がない人、わからない人(わかろうとしない人)はメンタルが強いです。

共感なく、同情なく、寄り添う気持ちなく、不安も恐怖も減少し、重たい鎧を捨て去れます。

が、見逃せない点があります。

動じない心とは違うことです。

 

解説:他人に興味がないとメンタル保守できる

なんでも
なんでも
強くなると言うよりは、メンタルにネガティブな影響を受けにくくする策がしっくりきます。

その方法が、他人(特に言動や気持ち)に興味を持たないこと。

動じない心ができたとは違い、動じる心の前に壁を置いた状態です。

家の周りに塀を作るようなもので、心を開いたら好き勝手やって周囲に迷惑をかける危惧がある場合には制止方法であり、「常識であり一線を引く大人のマナー」だと思っている人もいます。

周囲から穢される懸念が前提にある社会や環境であれば、欠かせない保守・防衛策。

外的に護りを固めるか、心そのものを強くするかの違いは、多様な公共社会でドレスを着て生きるか、森の中でインディアンのように自然と共生するかのよう。

どちらが良いも悪いも人それぞれです。

ただ状態として考えられるのは、他人に興味がない防衛策は心の育みとは別物であること。

執着は減らないので、シチュエーションによってメンタルの素性は瞬く間に表れます。

執着があるかないかは、孤独に適応できるかどうかでわかります。

・他人に興味がなく、孤独がムリな場合、執着があり、メンタル保守としての強さを得る

・他人に興味がなく、孤独に適応する場合、執着がなく、メンタルは気にしないという強さを表す

強さの意味は幅広いです。

孤独に適応するのは恐怖心を受け入れた証であり、ネガティブを味方にすることで成し得る陰特化の孤高タイプ。

この状態になると動じない心の強さがあります。

一方、保守できるのは技能であり知性の高さ。

盾と剣の武器を手にした、日本の防衛特化のように強さであることは変わりないと思います。

 

メンタルが強くなる弊害

なんでも
なんでも
動じない心でも、保守できる知的策でも、メンタルに影響受けがなくなると強さが見られます。

動じない心は執着のなさによって成り立つため一般的ではありません。

仙人のように人々に教えを伝える特別な存在であったり、人によっては他人と関わる意味がなくなり、森にこもる可能性もあります。

動じない心は孤高でありながら人間味が薄まり、人の気持ちがわからないのではなくわかる必要がないとも言えそうです。

ここで着目したいのは、他人に興味を持たない保守策によるメンタル。

知的な保守スキルがあると他人への関心が薄まり、自然と自分へのフォーカスが強まります。

すると精神性が重要視され、周りが見えていない(または見えていると思い込んでいる)場合は排他的になる可能性があります。

他による心の弊害を護るために気を強めて、他人を圧し、怯えさせることも。

メンタル保守はできる、自分は傷つかないけれども周囲を知らぬ間に傷つけることが増える懸念があります。

保守的な強化は、自己認識に特化するため自分側の見方が強まります。

相手を捉える際も、「この人の目線からしたこの人」ではなく、「私の目線からしたこの人の目線」という捉え方になります。

いわゆる、“正しさ”が重視される認識になります。

事実、目の前のコーヒーを飲み合って、同じように「酸味があるね」と言っても酸味の意味や中身は違い、今日の空がどれだけ青いかは一生本人のみぞ知ります。

保守強化は他者の認識に対する干渉、「それは違う」「間違っている」「これが正しい」「いや、だって、でも」が増えます。

遠い距離感であれば興味も関心もないので何も思うことはないけれど、近い距離感の人々にほど認識の干渉や正しさの押しつけ、そして無自覚の傷つけが起きます。

 

他人に興味がないと気付かない場合、メンタルは弱くなる

なんでも
なんでも
世の中には、他人に興味を持つ時に相手を尊重する人もいれば、私利私欲が満たせるので興味を持ち利用する人もいます。

自己愛を満たす目的のみで関わる場合、実際には他人に興味なんてない。

このように他人に興味があるていで実情は興味なしパターンがあります

この場合、自己愛を満たすのが目的なので心を思いっきり開く意義があります。

魔性的に上手いこと他人を利用できればパカッ、パカッと開けたり閉じたりを調整し、利益だけ得て帰れますが、

何を目的に、何をしたいかわかっていない場合(例えば受動的に言われるがまま関わった、職場にいるから関わらないとならない、欲求不満の解消のために人と関わっているがその自覚がないなど)、尊重なく興味はあると思っており、心だけ開くことが起きます。

心を開にして、心の前に壁を置かない。

これをすると、常に“相手次第”という他人軸や他律になる懸念があります。

心を全開にしても誰も傷つけてこない、わがまま言っても周りがケアして合わせてくれる、何もせずとも食事が出てきて生きられるなど、生育環境の恵みに寄りかかるケースもあります。

自分が主体で中心だと思える光景でありながら、実情は他の助け、要因、ケアなくして存在すらしていないのが明白である場合、気付かぬ内に他人軸、他律、他責、他力になりかねず、わがままという現象が起きます。

他人に興味を持っていると思いながら実際に興味があるのは自分だけである場合、または自分の感受や心の状態にしか興味がない場合、メンタルは弱くなる可能性があります。

心をただ開く状態は、言い方を変えると何も考えていない、周りを見ていない、相手を度外視していることも考えられ、子供の状態に似ています。

これからの時代、ますます他人に興味を持ちにくい環境だと思えるので、メンタルが弱くなるのであれば、いっそのこと興味をなくし保守するケースに向かうのが自然なルートになるかもしれません。

 

メンタルが強い・弱いとは

[動じない心+柔らかい心=メンタル強い]

「メンタルが強いとは何なのか?」

一側面だけでは足りない実情がありそうです。

なんでも
なんでも
他人に興味を持たない、ない状態は、心そのものではなく外側に工夫を加える対策です。

心に直接アプローチする場合、恐怖心との向き合い、克服、味方化によって、夜にホラー映画を観てもトイレにふんふふーんと行けます。

怖がらないのではなく、怖いからこそどうするか律する。

動じない心です。

これにて陰陽で言う“陰”が心に構築され、あとは“陽”。

柔らかい心があります。

柔軟性、しなやかさ、適応力、合わせる力。

人間関係に置き換えると、調和、協調、思いやり、寄り添い。

・柔らかい心は人を許し、否定せず、迎え入れる

・柔らかい心は人を見つめ、感じ取り、そのままをそのままにする

・柔らかい心は自らを俯瞰させ、他を包み込み、新しいものを取り入れる

・柔らかい心は硬さがなく、思い込みや決め付け、正当化や見栄といった頭の固さを手放す

相手をそのまま見て、聞いて、感じ、受け取ろうとするさま、[正否、良悪、優劣]の囚われから解放された状態です。

相手を想う気持ちがあり、何より自分や人を許す心があります。

心を開くことと、柔らかい心を持つことは全く別物。

相手の話を聞き、そのままを見て、感じ、時に許す。

認めるも認めないもなく、そのままをそのまま見るさまに、相手の否定はありません。

ただ受け取り、聞き入れることは、自然と相手に合わせる行為でもあり、寄り添いになります。

ただ、柔らかいだけでは完成しない。

「私は和歌山のみかんしか食べない!」ではなく、「静岡のも美味しいね、私は和歌山の味が好きだな」

「人々はこうあるべきだ、従順ではよくない!」ではなく、「あの人にはあの人の経験側があり、歴史があるからこその在り方なんだ」

合わせながらも合わせているとは思わない自然味があり、自分の意見もあり、時に厳しさもある。

人を許すだけでなく自分も許す大切さもあり、あくまで組み合わせ、動じない心との組み合わせに成り立ちがあります。

柔らかい心が動じない心と組み合わさると、メンタルという心の在り方が定まり、一貫します。

本当の意味での強さは、“硬さと柔らかさ”、“強さと弱さ”を兼ね備えたからこそのもの。

パン屋に置いてあったらぜひ買いたい、硬軟(かたやわ)パン。

その味は優しい。

動じず、守りつつ、調和し、寄り添ってくれる味。

それは自分スタイルを持ちつつ、食べてくれる人のための味。

潰れない、繁盛もしない。

ずっと在り続けるあの店は、意志を引き継ぐこの世の味、最強。

店主は今日も、気にせずパンを作っているのであった。

 

ポイント:他人に期待しない大切さ

なんでも
なんでも
これは私自身にも言い聞かせる自戒も込めて、重要点として書き記します。

[動じない心+柔らかい心]

この二つが組み合わさった在り方の一つが、“期待しない”ことです。

期待興味は意味も中身も何もかも違います。

期待しないと、相手を相手のままに見て、感じ、認識できます。

期待が入らないと、社会的な正否、個人的な良悪といった相手側に則っていないルールが介入しないため、尊重できます。

相手を相手のままにすることで、「この人を認める・認めない」といった枠に当てはめる見方、区分け、差別化がなくなります。

“正否”を手放し、“自分の見方”を緩め、評価判断、執着のもとが減ります。

シンプルになる。

思考も使いながらも、相手をそのまま見る感覚を重んじるようになります。

例えば、信頼や信用することも大切ですが、そういった見方は状況が変われば執着のもとになり、さらに思考を多用するために比較を要し、エネルギーも使い、我が強くなり得ます。

期待しないと全て“尊重”で線引きでき、エネルギー消費や、「判断を間違えた」と後悔も減り、自分の意見が飲まれることもなく、言いたいものは言う。

そのままを見つめて受け入れたり拒否したりと、自分を持った相手のための寄り添いを作れます。

一石二鳥スタイル。

メンタルも強くなるので、一石三鳥にも四鳥にもなっていきます。

 

メンタルについて考えたいこと

なんでも
なんでも
メンタルの本質で捉えたいのは、[動じない心+柔らかい心]の組み合わせであることです。

同時に、他人に興味がないと明確に自覚する、興味を持たないと決めることも保守になるので大切です。

捉えたいのは、『メンタルとは自らが構造している心の在り方』

自らが構造していると思えるほど、メンタルの弱さから離れていきます。

どんな在り方でも向き合い方でも、そこに思い込みや決め付けがあっても、自分のメンタルが弱いと思っていても。

心の在り方に責任を持っている人は、「自らでこのメンタルを作っている」と自覚します。

そういう方はメンタルを試し、磨き、育み、変化させていきます。

自覚がある人の中には、「わしはもうこれでいい!このメンタルを完成させたんじゃ!」と若返りポーションを作ったかのごとく変化を望まない人もいます。

構造の自覚は、家が完成したように自分にとってのメンタル建築の完成になり、それもまたメンタルの強さとして表れます。

ただ、世の中が流れるように家が荒廃していくように、数年後には改修必須かもしれません。

補強で終わらすのか、今後のことも考えていっそ新技術投入、新しい変化と育みに挑むのか、人それぞれ。

「メンタルが強いから何なのか?」

これを考えると、正しいも正しくないもなく、正しさは正しさではない事実があります。

本人にとっての心との向き合いと関わりに在り方があり、千差万別のスタイルが見られます

そのスタイルを構築している人ほどメンタルの強さが自然と表れます。

しかし、それは一過性のものでしかなく、時が流れ、人が変わるように、メンタルという心の在り方も変化させ続けるもの。

メンタルが強いからなんなのか、その答えはどこにもない。

ただ、自らが自らの心の在り方を見つめ、作っていけるかどうかが重要。

そんな考え方でした。

 

最後に:メンタルが強いとは…

言葉は曖昧です。

武器にもなれば、自己表現にもなり、伝える力にもなる。

一方で、エネルギーを使い、翻弄され、脳を支配し、価値観や観念すら牛耳ります。

そして、曖昧だからこそ人間味があり、正しさも間違いもない正しさという何か、人間があり、その描写ができます。

言葉は道具。

より物事を、自分を理解、吸収するためのツールです。

『メンタル』という言葉にあるのは心の在り方、自分と他の兼ね合いにて生まれる反応・作用・変化だと思います。

『強さ』にあるのは硬さと柔らかさの二極一体。

動じない心と柔らかい心の二つで一つ。

それを社会的に捉えると、保守するスキルと、柔軟な許容。

他人に興味がないのはとても大切な在り方です。

一方で、保守一辺倒になると足りないものが見えてくる時があるかもしれません。

または、動じない心を極めて孤高に向かうのかもしれません。

とにもかくにも大事な、『自分が作っている自覚』

それがメンタルを強める一歩目であり、最後の一歩にもなると思うので、自らを見るための一つの考え方になれば幸いです。

ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. おたん より:

    メンタルや心について考える出来事
    …が気になります!

    ところで、私は花の慶次という漫画が好きで
    将来の夢は勿論
    「傾奇者」
    でした

    今現在は傾くことはせず(てか、意気揚々と入った高校の先輩相手に傾くことが出来ず…)
    日々穏やかな毎日を過ごしております🙇‍♂️

    さて、慶次が連れていた捨丸はお付きでありながら同時に慶次の命を狙う刺客でもあった
    それもいい退屈しのぎという慶次
    また、私の伴侶は過去命を奪おうとするが如く私や私の家族にさまざまな問題を(警察が絡む案件含む)
    それでも、そんな人を傍らに置く生き様もまた風流、と言わんばかりに今も楽しく過ごしています
    ※家に着いたら財布を鍵付きケースに入れるのはここだけの話し🤫

    いつも腹に入る記事をありがとうございます🙇‍♂️
    私はメンタルの強さには重要な項目が二つあると思っていて
    一つは仰られる
    動じない心と柔らかい心
    もう一つは
    それを育むことが出来る心が揺れ動く経験

    心がけ(無意識を意識化する習慣)と負荷(経験)の両輪が噛み合って初めて育まれるもの
    だと思ってます
    やはり思考だけではハウス栽培の野菜のごとく脆いもの…
    その点!
    主様はまさに極限!といっていいくらいのハードワークを経験されていますので言葉の重みが違いますね
    長々と長文駄文失礼しました

    • 北斗 より:

      貴重なご意見です♪
      多様な経験、とっても楽しそうで何よりですね。

      まさに、心がけと経験あってのものだね、と思います。
      私なんてまだまだですが、そのように仰っていただけて嬉しいもので、
      ありがとうございます。

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