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魂レベルが上がるほど起こる根本1選「ありのままとは具体的に何?」

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魂のレベルが上がることは、真理に通ずる道行き。

とても大きな意味です。

上がると精神性も霊性も波動も高まるため、これまでと同じ現象では収まらなくなるのは必然。

そんな現象は価値観の変化からワンネス体感まで、幅が広すぎる。

人によって起こる内容が違い、さらに段階もあるわかりにくいものです。

が、

「実は根本的には誰しもに同じことが起こっている」と私の経験上から理解しています。

ここでは、魂レベルが上がると起こる根本を一つ、そしてレベルが上がることの本質を紐解いてお伝えします。

  • 自分の魂レベルが上がっているか考えたい
  • 魂レベルが上がるとどうなるか知りたい

「具体的にどんな状態に自分があるのか?」の自己理解を深める内容となっております。

“ありのまま”に近付くご参考になれば幸いです。

それでは、魂の世界観に入りましょう。

魂レベルが上がると起こること

魂レベルが上がると起こること(一覧)

私たちは生きる上で感情を味わい、機能を使い、能力を育み、さまざまな経験をします。

なんでも
なんでも
そんな経験をする上で、魂・精神・霊性を高めるために魂を認知し、記憶を追加し、重荷を取る行動をします。

現実は全て因果(仏教で言う阿頼耶識に積まれる業力)に刻まれるため、あったことをなかったことにはできません。

あったからこそ吸収してキュッキュと磨き、消化や昇華して自分のものにして、やっと手放せます。

このキュッキュと磨く行為が魂レベルを上げます。

磨くためにもまず重荷を積む必要があり、苦しみ・痛み・辛さ・怖さがとっても大切な経験値になります。

苦しみが大切であってもそれだけでは成り立たず、手放すことで一連が完成するため、最後に解放となる気楽さ、楽しさが必要になります。

経験し、苦しみ、手放す楽しみがあります。

魂レベルが上がる一連:経験し、苦しみ、楽しむ

例えば、我慢ばかりしてきた人がいます。

言われたことに従い、周りの目線を気にして、隣人との会話に使う話し言葉まで配慮し、抑圧し、縛り、強要し、強制し、犠牲を払い、他に合わせる。

しっかり苦しみ、我慢という執着であり我を手放し、楽しんだ時、バブー。

魂レベルが上がっています。

我慢したからこそ、しっかり味わったからこそ、手放したからこその磨きです。

そんな魂レベルが上がる状態や状況には、このようなものがあります。

魂レベルが上がると起こること
  1. 体調悪化、苦しみの過剰、強制ストップ(ここからの解放)
  2. 友達が減る、人との関りが減る
  3. 一人の時間が増え、孤独を楽しむ
  4. 価値観が変わり、使命や天命に気づく
  5. あるものだけでなく、ないものの大切さに気づく
  6. 洞察力、本質を見抜く力が高まる
  7. 感覚感受が鋭敏、感性豊かになる
  8. 思考に独自性が加わり、面白味が増す
  9. 他人に期待しなくなり、寂しい気持ちになる
  10. 期待しないことが思いやり、個の尊重だと実感
  11. 傾聴力、素直さ、謙虚さが増す
  12. 生真面目さがなくなり柔軟で気楽に
  13. 創造力、創作意欲が高まる
  14. 勇気と覚悟がいる恐怖の味わい
  15. 嫌なことが増えるが、楽しみに変換できる
  16. 絶望を味わうが逃げない、しっかり味わう
  17. 認識する全てが仲間になる
  18. 人生は遊び、ゲームになる
  19. なんでもよくなる
  20. 困らなくなる

反対に、魂レベルを下げる人は何も経験しません。

経験しないことは魂を持つ者にとって拷問のようなもの、苦しみを味わえないという苦しみは虚無、無存在、世界の外、疑似、生きているつもりになります。

経験にてしっかり苦しみ、しっかり楽しむことがポイントであるため、認識を誤魔化す人には変化も成長もなく、魂レベルが上がることはありません。
※魂はあっても魂の認知がない

自分に嘘をつかない(または嘘をついてもそれを実感して感情を味わう)ことは、魂レベルを上げるためになくてはならないものです。

認識を誤魔化さないのを最低条件に、経験を増やして消化・吸収・昇華することで魂レベルが人それぞれに上がっていきます。

そして、これらの起こる現象は人によって変わりますが、誰しもに起こる根本的なものがあります。

この内容の主旨を見ていきましょう。

 

本質:魂レベルが上がると起こること1選

なんでも
なんでも
魂を磨くほど誰しもに起こる根本がこちらです。

魂レベルが上がれば上がるほど、いらないものはない、起こること全ては必要なものだとわかる(気づく、実感する)

出来事や物事は全て、良くても悪くても、辛くても楽しくても、「これは自分にとって意味があり、必要で、大切なこと」

「嫌なものも、好きなものも意味がある」と捉えます。

例えば、独立してフリーランスで働き始めた人。

会社とは違い全て一人でやらなければならず、痛みや苦しみを味わいながらも切磋琢磨し、自力を高め、社会を知り、物事の理解度が高まった。

何より働いてお金を稼ぐことは人の心を重んじ、自分の心を大切にすることだと知れた気がする。

そんな素晴らしい経験にて、今では楽しく働けるようになった。

この楽しみを強く実感する状態になっている時、魂レベルが上がった証です。

魂レベルが上がると、感覚や感性が鋭くなります。

認識の誤魔化しがなくなり、事実を事実のままに見て、苦しみも喜びも感じやすくなります。

これまでであれば喜びは受け入れる、けれども苦しみはいらないと意識していたかもしれません。

するとバイアスや正当化、嘘や見栄などを挟んで緩和させて、不安や恐怖心という自分から逃げていた。

今では辛くてもそのままを感じ取り、「あぁ苦しい、でもこれが私なんだ」と大いに感受している。

魂レベルが上がるとは認識の現実度が高まっている状態でもあります。

現実を現実として捉えるのは、疑似の空想や妄想である頭から離れ、実体験や経験である心にシフトする割合が増えることです。

「起きている以上、いらないものはないんだ」とわかる人ほど、このような特徴も出てきます。

  • 執着が少ない
  • バイアスが少ない
  • 差別が少ない
  • 正当化しない
  • 嘘がない
  • 比較がない
  • 凹凸がない
  • 争わない、戦わない
  • 固執がない
  • 肩書が邪魔になる

総じて、『認識がフラット』

  • 相手のためを想って与える
  • 見返りがなくても気にしない
  • ネガティブも大切にする
  • 苦労を苦労だと思わない
  • 謙虚な姿勢、自慢しない
  • 自分に負けない、相手に負けてあげられる
  • 柔軟で寛容、受容的で許容が広い

総じて、『愛のある人』

今日、肩に止まった蝶々を認識した以上、それにも大きな意味があり気づきがあります。

目の前を鳥が横切ったことに気づかない人もいる中、認識している以上は必要だとわかるほどに魂が磨かれている証です。

 

魂レベルが上がる本質

魂レベルが上がるとは?

魂レベルは表現を変えると、精神性・霊性・スピリチュアリティの高まり。

なんでも
なんでも
「次元が違う」という表しもあり、人間にあれば虫にもあり、「魂レベルの高いオニヤンマだ!」もいると。

いわゆる、「人間様の魂は高いんだぞ」「レベルが高いってのは正解なんだ」はありません。

高いから良いのか何なのか、低いから悪いのか何なのかのルールはなく、あるのは自然の摂理であり自由であることが前提

その上で、ワンネス一体化との距離感の指標となるのが“魂レベル”です。

魂レベルが上がるとは、ワンネス一体化に近付くこと

ワンネス一体化とは自我の手放しによる、[個→全]への融合でありシフト。

ワンネス一体化以降のフェーズでは、魂レベルが上も下も本当にどうでもいい領域になり、上も下も何もなく全てがある世界に入ります。
※ちなみにこのフェーズは“始まり”を意味する

精神的に捉えると、ワンネス一体化である[個→全]へのシフトは、“自分”という存在に対する執着の手放しです。

「赤ちゃんに近付く」とお伝えする方がわかりやすい人もいると思います。

生育と共に積み重ねていったあらゆる重荷を消化・吸収・昇華し、バブーバブーとなっていくさまに魂レベルの上がりがあります。

バブーの取り戻しには、一度忘れ、見失い、彷徨い、苦しみ、そして楽しむことが重要になります。

 

魂レベルを上げるとは➀:善の道を歩むこと

中国の思想家、老子の言葉にこのようなものがあります。

上善水の如し(じょうぜんみずのごとし)

最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。

コトバンク引用

魂レベルを上げることは精神的に“善”へ向かう道を意味し、水のようにあることだと老子は教えてくれるようです。

※ちなみにこの“善”も“魂レベル”も社会的な表裏の善悪とは全く別物であり、悪も内包した先に善があります

老子の言葉には大きなキーワードが三つあります。

  1. 謙虚
  2. 争わない
  3. 柔軟

これらは全て『心の強さ(優しさ)』を表すと考えます。

利益を与えれば、「やったんだから見返りをくれ!」と求めたくなるものですが、見返りを求めずに与える行為ができる人は陰徳という高徳を積みます。

強い人ほど勝つのではなく自分に負けない、または相手に負けてあげる、戦わないさまがあります。

強さは硬さと柔らかさを両方兼ね備えた柔軟さであり、しなやかな心を持つ人ほど陰陽併せ持ち、受容と恐怖の力を持ち、全てを受け止める寛大さを身に付けます。

そして何より、これらが揃っている人は人を見る眼、眼識があり、見抜く力があります。

善人に疑いは必要ありません

ただ事実を見つめるだけの状態になります

善に無為自然があり、ありのままがあります

見せかけの張りぼては張りぼてのまま見え、空虚なさまに虚しさを感じ、レッテル関係なくそのままを笑い、そのままを泣く、ありのままです。

目の前にある、いる、起こる以上、必要だから認識しています。

その細部を紐解けば因果が見られ、解消すべく不浄が滞ります。

現実を見れる人にとって、認識する全ては本人にとっての答え。

いらないものはないとわかる領域はまるで水のよう、謙虚さと争わない姿勢、そして柔軟な強さを持つほど魂レベルが上がっていきます。

 

魂レベルを上げるとは②:自分を愛する基盤作り

「自分を大切にする、愛する」という言葉を聞くことがあると思います。

「どうやって?」とシンプルに思える言葉です。

なんでも
なんでも
自分を大切にするために欠かせないのは、嫌なことをしているのであればやめるなど、自己犠牲や他人優先をやめることではありません。

「その自分という存在をはっきり認識できるようになること」

認識を誤魔化す場合、何をどうしても自分を愛せません

そこに自分はいないためです。

魂レベルが低いままだと自分を愛せないと同じです。
※正確には善ではないのでそもそも愛し方が違う意

レベルアップの指標となる、『いらないものはないとわかる状態』は、いる・いらないという物事の認識をする“自分”そのものがクリアに存在するさま

魂レベルを上げるとは、認識する基盤である“自分”をクリアに存在させるさま。

曖昧さ、なぁなぁ、彷徨い、妄想ハマり、嘘、自分を見つめないとは反対の明確さが、魂を磨いているからこそ起こる結果です。

自分を愛する基盤作りになり、だからこそ自分を喜ばせたい人はレベル上げに切磋琢磨し、喜ばせたくなければ本人の問題なのでそれまで。

レベルが高いから良いも悪いもなく、常にあるのは本人にとっての選択、自分をどれだけ大切にするかの意志だったりします。

 

魂レベルを上げるためにすることは一つ

なんでも
なんでも
魂レベルアップが善という考え方。

善とは、「これが善だ」と行為やルールの形に則った、頭の中の自己満足演舞のことではありません。

「ポジティブだけ欲しい、ネガティブはいらない」「利益だけ得て、見たくないものは見ない」といった都合の悪いものを見つめる気のない認識に善はありません。

自分のしたこと、されたこと、その気持ち、感情を認めず、自己都合の見たい世界だけを認めようとする意図はありのままの逆行、自然の反対になってしまいます。

肉体も行動も気持ちも兼ね備えるために経験が絶対必須であり、苦労や痛みがとても大切です。

魂レベルが高いとは…

ありのままへ向かう道。

ワンネスに向かう心持ち。

苦しんだからこそ楽しむ意志。

経験するための不安と恐怖、それらを乗り越える覚悟と勇気。

縛りも執着も我を解いて手放したバブーバブー。

うんちはもちろんそのままプー。

魂レベルの高い人を知ると、レベルを上げるために何をすればいいかわかります。

することはただ一つ。

自分の認識に入っている[もの・こと]をそのまま認める

魂レベルを上げるためにすることは、起こった事実(自分が認識する物事)を認める。

※ただただ認める

認識しているものを全て認めるとそこにあるのは、「これが私なんだ」と強く実感する感情と意識です。

「自分」というものがはっきりと認識されます。

これによって初めて私たちは、自分を心から愛し、大切にできます。

魂が認知される領域です。

認める行為は、現実にいらないものはないと気づくための認識の育み、拡大に繋がります。

 

最後に:魂レベルが上がると起こること

なんだかたいそうに聞こえるかもしれない『魂レベル』

箱を開けてみるとシンプルに、「自分にとって必要だから認識している」という世界のありのまま。

ありのままにするためにはありのままに見つめ、感じ、認める必要がある、といういわば当たり前のお話だったかもしれません。

しかし、これを難しくするのが私たち人間のさがです。

赤ちゃんは生育と共に変形し、歪み、自我が芽生えれば自分の利益なくして人に与えることもしなくなっていきます。

社会がそうしたのか、生まれがそうしたのか。

仏教では、生まれではなく行いを重要視します。

行いには気があり、意思があり、意志があり、本人の業があり、魂の認知があります。

魂レベルを上げる行為は苦しみを楽しみに変える変換術であり、経験してきたからこそシフトできる錬金術です。

何もせずして、経験せずしてこの術は影も形も一切ありません。

経験するからこそ、経験させてもらえるからこそ、能動でも受動でも自分がおり、他人がいて事象が起きてくれるからこその賜物。

老子の言う道は心の在り様。

その先にやっと始まりがあり、そこに魂として生きるフェーズがあります。

そのためにも経験を増やし、我を増やし、社会性の中で自我を強め、できることをたくさん蓄積させてドーンとぶっ放してやりたいものですね。

大衆で生きることの素晴らしさ、エゴの中で活動することの長期的計画、全て踏まえて人それぞれの道があるものと思います。

人生を楽しむためにも一つのアクセントになる魂磨きのお話、お役立ちになれば幸いです。

ありがとうございました。

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