【カタカムナ診断で自分を知る】
当ブログの運営をしている北斗です。「ぜひおすすめしたい」と感じたのでご紹介です。

PR:和のしらべ(PARK経由)
※一人一人にある『氏名』を個別に診断し、独自の結果を作ってもらえます
「なんでこんなにわかるの?」と思えるほど的確で、わかりやすく言語化してくださり、自分には何が大切かわかります。
さらに言霊・音・文字に含まれるエネルギーを強く意識でき、波動が明らかに上がったため、「これはぜひみなさんにも♪」と思った次第です。
結果が送られてくるのでLINE要です。
※カタカムナ自己理解、興味のある方はぜひご活用ください
「あなたは変わっている!ズドン!!」
ある人にとっては痛い言葉、ある人にとっては嬉しい言葉。
言われてメンドーな人も、辛くなる人も、喜ばしい人もいます。
言われることが嫌だから、実は変な人なのにまるで普通のヒトとして生きる演舞と矛盾が起き、アイデンティティを笑顔で失うという不思議なことも起きかねません。
そんな時は、「変わっている」と言われる本当の意味を解釈する探求がおすすめです。
ここでは、捉え方を明確にして自己理解に役立てるための考え方をお伝えします。
- 変わっていると言われる意味を知りたい
- 自分のどこがどう変わっているのか知りたい
実際はどんな中身なのか、言葉からわかる実情が自己理解のお役立ちとなれば幸いです。
それではエキセントリック認識に入りましょう。
Contents
変わっていると言われる捉え方

変わっていると言われる捉え方3つ
「あなたはまるで、深海で眠る七色クラゲ、の先祖を持つ太古の森林の神聖なる沼に住む白蛇、の仮面を被ったアマゾンのインディアンが親戚、とうたう埼玉県の農家の人みたいだ」
「そう!」
私たち人間は自分の認識、世界に基づいてでしか理解できません。
経験や記憶、これまで培われた認知・知覚機能から照合して物事を知ろうとします。
目の前のバナナの色すら隣人は何色に見えているか、この世で最も難解です。
自分なりに相手を捉えて、思い、自分なりの解釈で相手に伝えているのが私たち人間。
「あなたの考えは、ロールパンを夜7時からこねてるようだね」と。
変わっている人に変わっていると理由を伝える場合、否応なくわかりにくいことを言うのが約束されています。
そんな変わっているさま、言われることには意味があります。
褒めでも否定でもなく、
『自分がはっきりしているね』
これを基盤に、変わっていると言われる捉え方が3つ見出されます。
詳細に入りましょう。
➀[変わっている=自己確立]

普通とは普遍の流れに沿う、従うさま。
宇宙を初め、世界や世間、会社や友達間に家族間、時代や世代や社会の仕組みなど、規模は関係なく自動的に生まれる大きな流れに沿い、従う人ほどその環境では普通になるという考え。
普通は自己の中身をなるべくなくし、外部影響を注ぎ込み続け、その場その時にて変わり続けることが望まれます。
※仏教で言う諸行無常とは別物
世間が、時代が、トレンドが、「あっち」と言えばあっち。
普遍の流れに従いたくない人は電車の中で叫び出す、ヴォー!
という人もいますが、ここでお伝えする“変わっている人”は、「従いたくない、私は従わないぞ」という反発や反社会性ではありません。
シンプルに、沿う従う人、ではない人。

『自己確立』
自己を確立している度合いが高い人のことです。
そんな人ほど普通に沿い従うことは自己撲滅、ひどく空しい行為であり、上手に洗脳してくれた方が幾分も楽かもしれません。
そんな人にはこのような特徴があります。
※わかりやすいのに厳選しています
- 好きなことに没頭
- 他人に興味がない
- エネルギーが強い
- 自意識、自我が強い
- 生育環境と真逆を味わおうとする
- 精神が壊れる・壊れた経験を持つ
※または壊れることは一生ない - 周囲から嫌われやすい、話しが合わない
- 特定の人と深く仲良し、助け合う関わり
- 孤独感の味わいが多く、不安と恐怖が友達
- 男性であれば女性的、女性であれば男性的一面が際立つ
- 人の意見も情報も自分なりの言葉や解釈にする
※そうしないと理解できない - 気にしない(気にしても自己犠牲はしない)
- ブラックジョークに笑っちゃう
- 合わない人と関わり続ける
- 仕事中にお菓子食べてる
- ふざけるのが好き
- あまり動じない
- …

自分を確立している人ほど、社会性を身に着けて普段は演じていたとしても、ふとした時にベールが剥がれて、コオロギダンスを始めます。
「ダメだ、変だ」と思われたくないのに、仕事中に大好きなグミをモニュモニュ食べています。
突拍子もなく遠出したり、たい焼きの食べ方が目から。
変わっている人に“定型”は通用しません。
「こういうものだ、こうあるべきだ」を社交性として身に着けていても、「どうでもいい」と思っていたりします。
ただ、反発的ではないために家庭環境や仕事場によって従うことも多く、普通のことに対して人一倍我慢が増えてしまい、精神が疲れやすくなる人もいます。
一度精神を病んだことで吹っ切れて、より自己が確立されていく人もいます。
変わっている人とは自分がはっきりしている人。
自らが自らのことを明確に認識しているさまを表します。
自己確立している人ほど、変わっていると言われやすい。
※変人度合いについては、変人と言われる場合の明確な捉え方|変わっている人には基準がある をご覧ください。
➁[変わっている=理解できない]

場所・人々・ルールなどいる環境によって変わっているかどうかが一変します。
田舎では変わり者だと言われても都会に来たら普通の人、日本では普通の人でもアイルランドでは変わり者、その逆も然り。
環境にて知見が変動するのは、その場にいる人々にとって対象を認識できるか否かであるためです。
私たちが自分の認識しか理解できない前提を踏まえると、
これまでの記憶、経験、入れ込んだ情報に基づいて相手を捉えますが、自分の認識では理解困難、「ひょ?なにこれ!」と際立ち、脳内で色付けされます。
日本では暗黙の了解、忖度、場に合わせる文化があるので、理解できなくてもなかったかのように流すのに慣れていると思います。
にもかかわらず、流されず色付けされて脳内でピコンピコンする。
光り輝くものであれば憧れになり、黒い煙をモワモワさせていれば嫌悪になる。
その人を認識できなければ、本人の中でその人は特定できない宇宙生命体。

「わからない人」です。
変わっていると言われるのは、わからない、理解できない度合いの高さを示します。
例えば、モリ男さんは木につかまってかれこれ二日動きません。
「うわぁ、この人カマキリと同じ、人間目線で見たら変な人だ」と所見。
しかし、そこに表れたのはカナブリ子さん、趣味が沼を探してはまること。今日は一週間断食のために森にやって来た。
「あ、いいとこみっけ~、ドボン」と入ったら目を瞑り、いないと同じになった。
カナブリ子さんからしたら、モリ男さんの行動はよくわかる、変な人ではなく木が好きな人。
自給自足して変わり者扱いされている人は、森で暮らしているインドの僧侶達からすると普通の人であるように。

“変わっている”という認識には、「私にはわからない、私の世界にはない、理解したくてもできない」があります。
自分の世界から理解できれば、賛同するかどうか、それをしたいかどうか関係なく、「まぁそういう人もいるよ」程度で終わり。
多種多様な経験側を持ち、あらゆる世界観を持つ人、例えばこの世で最も知性高い人にとって、変わっている人は存在もしません。
変わっていると言われることは、その発言した人の認識にない、理解できない世界を広げている表れです。
※変わっている人の特徴は、【意外に普通な特徴19選】変わっていると言われる人は自覚がない をご覧ください。
③[変わっている=曲げない強さ]

自意識が強い、自我が強いさまでもあります。
自分の強さは捉え方が2つに分かれます。
- 自己に固執する頑固者(我が強い)
- 自己を確立している人(自我が強い)
我はエゴ、自我は自意識。
➀の固執する頑固者は、普通に沿い従いたくないと反発が強い人。
➁の自己確立者は、従いたくないのではなく、気づいたら沿っていない、従っていない人。
映画館、気づけばシリアスシーンで大爆笑している人であり、“自分”の際立ち、強さが周囲に認識されます。
認識できないわからない対象でも、押し潰してカステラのようにギューと箱に収めれば、日本では変人感は払拭されやすいです。
が、街中を歩いていたらアフリカンミュージックがズンズン流れており、「あれズンズン、なんだかズンズン、踊っちゃうっぜ、ズンズンチャッチャポコポコポン」
箱に収めて静かにただ歩いてそこを通り過ぎれば、普通の人になれます。
なのに踊っちゃうなんて人は、「自分が強いね」と周囲に思われ、変人感は拭えません。
「なんとか抑えようとしても、指のピロピロが見えているぞ」と。

周囲から言われて抑圧・抑制できないのは頑固者の可能性がありますが、抑圧・抑制しない選択をするのは自分の喜びを優先する意志。
曲げない強さは自分の存在の強さになり、嫌でも目立ちます。
この目立ちが周囲の存在価値の喪失になる、そんな虚無性や劣等感を持つ人にとって目につき、嫌われることも起きます。
※頭がいい変わっている人の詳細は、【頭がいい人は変わっている】特徴12選+奇妙で面白い理由 をご覧ください。
変わっていると言われる本当の意味

言葉の中身は褒めでも否定でもない
対象そのものを捉えていない表れ、実際には言葉の中身がないと考えられます。

もし揺さぶられてしまうのであれば、ここでの理解がお役立ちになると思います。
例えば、中学生が全体集会で体育館に集まり、みんなと同じ前習えをする時。
「サァ!イエッサー!」としている人がいたら普通ではありません。
ヒソヒソがこだまします。
同時に、パンチパーマで不良のパー子、ポッケに手を入れてガムをクチャクチャしながら三日後を眺めている、この時代では変わり者です。
「あの人変わってるぅ」と言う人々は、面白半分で言っているようにも思えますが実際は違うかもしれません。
流れに沿う人は体育館の雰囲気や隣人の空気を読みながら、際立つ二人をまず認識します。
そのために自分の認識と照合。
すると起きるのが、認識の不合致。

[認識の不合致=自己内部に空白発見]
「わからない、私の世界にはないぞ」となり、「意味不明、理解不可能、ピピピ、ビュイーンビュイーンン」と脳ががなります。
すると、「私とあの人は違う、何かが違う」という認識が残ります。
「何かが違う、ま、何でもいいや」となる人は干渉(執着)がないので、相手に変わっているとわざわざ発することはなく、この人自身も変わっている人です。
「あの人面白い」と自己内部の空白を発見したことを喜ぶ人もおり、この人も変わっている人です。
自分を棚にあげれば区分けして終わり、空白はジャパニーズスタイルで流す、普通の人です。
「あの人はあの人だ」と捉えられればいいですが、「自分が違うのか?相手が違うのか?」という捉え方しかできないと、物事を正否優劣で見ます。
正否優劣を正当化、承認欲求を満たす基盤にしている人は流せず、なんとしても自分が正義となり、「何かが違う=ダメな何かを特定しなければ」となります。
自分と相手の間にある[わからない差異=わからなければならない無知=強迫観念]になります。

認識の空白を埋めるために対象の特定が必須。
しかし、相手を理解できない、認識できないので空白な自分がどうしても残ります。
相手を見るだけで自分の認識に欠損が見えるので、認めたくない人は不安、恐怖になります。
この空白(恐怖の元)を解消するために褒めるか、否定するかが起きます。

が、実際には褒められるだけの相手の認識がない、否定するだけの相手の認識がありません。
自分として見れている訳でも、相手を見ている訳でもなく、他人の軸が他の情報を見て他の世界にいようとするさま。
すると執拗に称賛、羨望、嫌悪、悪意になったり、共に自分のしていることの正当性を見出すために他者の賛同が大切になります。

典型例は、ある人を知人と一緒に好きになる、または一緒に責める。
変わっていることをあえて伝えて褒めたり否定するのは、自分の中の認められない空白に対する抗い。
実際の目的は褒めでも否定でもなく、空白の解消勤め、という見方です。
※相手を相手のままに捉えようとする、そんな尊重のある人は、良悪に当てはめた褒めではなく肯定するのが特徴的です。
日本では自己確立そのものが善点とみなされにくく、認識の不合致を起こす存在になりやすいと考えられます。
※言われて辛くなる理由は、「変わってる」と言われるのが辛く生きづらい時に知りたいこと をご覧ください。
本当の意味:変わっていると言われる有難さ

変人性が高い人ほど変わりません。
本質が変わらない意味です。
私たち人間は生存上不変は不可能ですので、変わらないを実践するには自分との戦いを一生続ける必要があります。
※エゴ
これのことではなく、自己確立が故に本質が変わらないことの明確さを意味します。
[変わらない]事実に目を向けると、自分軸はメキメキと太くなります。
自己確立はニョキニョキ伸びます。
なんせ、自分がはっきりしている。
そのままをそのまま肯定し、受容。
とシンプルに、
他者承認欲求も自己承認欲求も、特別感も支配願望も、押し付けも決め付けも、思い込みも現実逃避も、恐怖回避も誤魔化しも何も要りません。
不動。
不動の心があります。
自我の際立ち、確立は不動心の育みへステップアップする橋渡し。

動じない、焦らない、心配しない、不安に飲まれない、恐怖と仲間になる、自分に勝たない、自分に負けない。
静かにジーっと見つめ、内観し、感受を鋭くします。
内省し、意思を持ち、知性を高め、周りを見つめ、俯瞰します。
「変わっている」と言われる度に見つめるのは、自分の心が傷つけられたかどうかではありません。
嬉しいと脳をあやすことでも、メンドーだからと認識を流すことでもなく。
不動の心があるかどうか。
なければ自己は確立されていませんので、より自己の在り方、生き方、考え方、感じ方を磨き、高めることへシフトする余白がある示し。
変わっているかどうかは自分だけではわからないものですので、言ってもらえることはそれだけ自己がはっきりしている表し。
外側でも外側からの見られ方でもなく、自らを見つめる機会そのもの。
変わっていると言われる本当の意味は、不動の心であるポテンシャルを持つこと、そんな理解です。
自己理解が不動の心になる

「変わらないんだ」という事実を受け入れた時、残るのは確固たる自己。
変わらないことは何か新しく追加するのではなく、既に在る自分が全てです。
変わらない人に大切なのは自己理解です。
自己理解が深まるほどに起きるのが不動の心の明瞭化であり、具体化。
既に在るものを一つ一つ紐解き、解明していく度に自己はより確立され、軸も芯も強まり、不動が見えてきます。
自己理解は何よりも己を際立たせ、生き方も在り方も考え方も既に在ることをありありと見せつけます。
不動を自覚した時、私たちは変わります。
それは新しいトランスフォームではなく、元々内部で眠っていた自己の目覚め。
その時を楽しみにしていきましょう。
※嫌われる有難さは、変人が嫌われる理由がある「躊躇したら普通の人だよ」というお話 をご覧ください。
最後に:変わっていると言われる本当の意味
お地蔵様への道すがら。
私たちは生きながらにさまざまな所に留まり、寄り道し、気づけば長いことお昼寝していたりします。
自分がないから見つけようとする大切さもありますが、自分が明確だから知ろうとする大切さもあります。
変わっていると言われる人は自己が明確ですので、知ろうとする道を歩んでいます。
不動の道はいばらです。
厳しく険しい棘ボーボーであり、変わっていると言われるその在り方を貫いてきたこれまでが示していると思います。
普通であることには社会性という違う類の強さがありますが、普通ではないことには精神性の強さがあり、在り方、考え、感性、知性、認識と自分そのものの基盤全てがあります。
そのため、普通を選ぶこともでき、大切な寄り道です。
言われるからには意味があり、初めは気にして意味を知る。
気づけば気にしていない自分になっており、もはや周りが合わせるという構図ができもします。
良いも悪いもどう捉えるかを本人が決められる人。
不動の心を見つめてみてください。
既にある全てを知っていくためにも、ご自身の探求を深める一助となれば何よりです。
ありがとうございました。
【カタカムナ診断で自分を知る】
当ブログの運営をしている北斗です。「ピン!」と来た方はぜひお試しください。

PR:和のしらべ(PARK経由)
※一人一人にある『氏名』を個別に診断し、独自の結果を作成してもらえます
的確にわかりやすく言語化してくださるため、自分には何が大切かわかります。
さらに言霊・音・文字に含まれるエネルギーを強く意識でき、波動が明らかに上がったため、「これはぜひみなさんにも♪」と思った次第です。
結果が送られてくるのでLINE要です。
※カタカムナ自己理解、興味のある方はぜひご活用ください
私の周りは(身内ね)変な奴が多いけど、北斗さんほどの変人には出会ったことがないよ^^
弟に北斗さんの話をちらっとしたときも、今まで出会った中で一番変な人って紹介したわ
変な人は変な人。そう感じたから私の中では今はそうだよ。
あくびしてるお地蔵さん可愛い*^^.。.:*・゜゚・*
変な人が周りに多いんだね。
すごい紹介の仕方笑
「変な人」に対する信念体形が人によってあるから、言葉って面白いね
みんな身内だよ。
変な人。周りを全然気にしない。気にするもしないもなにも、そのまんまで変な人。
変わった経験をしている人。知らない世界。理解できない。だから変な人やと私は片付けてしまうんやろうね。
あとは精神性の高さ。突き抜けると変な人。
言葉。感じたことをどの言葉で当てはめるかはその人の勝手やもんね.。o○
変な人。私大好き^^