意味

【悪口を言うと鬼が来る】因果応報がもたらす末路は悪の沼

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「悪い口は持ってくど」

そんな鬼、実は身近にいるかもしれません。

悪口を言うとバチが当たり、不幸になる。

しかし、悪口を言いながらお咎めなく生きている人もいます。

はたして実際はどうなのか、気になるところです。

行為には必ず応えがある因果応報。悪口を言うと報いを受けるのがこの世の常かもしれません。

ここでは、悪口を言う人の因果応報、詳細を見ていかれてください。

  • 悪口を言うとバチが当たるの?
  • 悪口を言う人の末路とは?
  • 悪口による因果応報の仕組みとは?

これらを紐解き、「悪口とは強い毒、悪薬は良薬をも侵す」と知っていただく内容となっております。

悪口には毒舌や本音など、捉え方が異なるものもありますので、因果応報を多角的に捉えると真意がわかりやすくなります。

悪い口の力を知るための、一つのご参考となれば幸いです。

悪口を言う人の末路

悪口を言うとバチが当たる理由

「口は災いの元」という言葉があるように、言葉の力は膨大です。

そんな言葉に悪意を込めた時、悪口という行為は大きな力を宿します

攻撃、排他、否定、批判、非難、誹謗、愚痴、文句。

悪口とは見えにくいながらも確実な“行為”であり、精神や心にアプローチする手法の一つ。

テイッと心臓を槍で付くと、相手は肉体的に傷つきます。

オラッと悪口を吹きかけると、相手は精神的に傷つきます。

言葉に悪意があり、相手のことを考えていなければいないほど、対象の心を穢します。

今では、文面やメールという言葉もあるので傷つける機会が増えています。

人それぞれに防御力を高め、言葉を気にしないように対処できる人もいます。

しかし、問題は相手がどれだけ傷ついたかではありません

言葉にどんな意図(目的)を宿したかです。

悪口の意図は、言葉の力(傷つける力&自己内部に生み出す毒)の増減を担い、心身内部に毒を生み出します

悪口を言えば言うほど毒が作られます。

バチが当たるのは、相手を穢す力を見出すことで、自らを含めた自他を穢すためです。

 

毒漬け作用

悪口には悪意があります。

悪意のない悪口は、意見や意志がないので、中身がカラの愚痴や文句や泣き言になります。
※中身がないと意味が見出せないので、他者に同情や賛同を求めるようになる

悪意があるからこそ言葉の力が生まれ、波動に影響があり、心身内部が毒漬けになります。

まるで梅干しを作るように、言葉の力(傷つける力&自己内部に生み出す毒)が沁み渡り、心がしおれたブルーベリーになる、そんなイメージです。

ブルーベリー状態では、心を護るためにも毒を体外に吐き出す必要があり、毒づきが激しくなります。

毒を排出する最たる方法が、悪口や怒りによる発散。

心を穢さないためにも言わざるを得なくなり、悪口や怒りそのものが自己防衛になります。

毒漬けは逃れるのが困難なサイクルを作る非常に危険な作用があり、精神だけでなく心身をも蝕んでいきます。

すると、末路が表れ始めます。

 

悪口を言う人の末路は、逃れられないジレンマ

毒漬け作用は自分自身で対処するのが困難で、他者か、潜在的機能や本能に任せるほかありません

他者に嫌われたり、仕事を失ったりと、外部影響による変動があれば、末路ではなく救済の手になります。

自分次第では対処できないために、他者の影響がなければ、毒漬けにて悪口を言わなければならないサイクルが強固になります。

悪口を言う→毒が広がる→毒の排出に悪口を言う→毒が巡る→悪口を言う

悪口を言えば言うほど、ますます自分で対処できなくなっていきます

例えば、心身内部の毒素を吐き出す一つの方法が、病気になることです。

肉体は内部の毒を症状にして表してくれるなど、潜在的機能によって末路を変えられます。

しかし、自分次第ではコントロールが難しいです。

逃れられないサイクルにハマり、末路が定まっていきます。

悪口を言う人の末路として考えられるのは、悪口を言わなければ自分の心を護れないジレンマの沼。

見たことがあるかもしれません、悪口や文句を言うためにコンビニに来る人を。

悪口を言わなければならない精神状況。

何かに追われているように悪意を持たなければならず、言えば言うほどにサイクルの奥深くへ沈み込み、逃れられなくなります。

半ば強制的な悪口の吐き出しは、自分で制御できなくなり、言えば言うほどに周囲に迷惑をかけ、カルマの悪行を積む副作用も発生します。

毒の発散、自己防衛とも絡めた作用はやめられない依存性。リスクを含めた危険行為が悪口です。

 

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悪口を言う人の因果応報

悪口の力は強大、愚痴の力は控えめ

悪意を込めているか否かで、因果応報の報いが大きく変わります。

  • 悪意を込めるのが悪口
  • 悪意を込めないでも言えるのが愚痴

愚痴にも悪意を込めることはありますが、不満や不納得を吐き出し、納得を求めることが多いかもしれません。

悪意には敵意や拒否感があり、相手を攻撃する意志、拒否したい強い気持ち(自己愛に基づく欲求)があります。

悪意があるかどうかは、自己内部に生み出す力に大きな差を及ぼします

悪口はとんでもない毒、負のエネルギーをもたらし、心身内部を毒漬けに。

愚痴は不平不満によるエゴを作り、他によって自分を正当化し、マウントをとり、承認欲求を満たすなど、他への執着や依存心を強めるメンタルを作ります。

どちらも負のエネルギーを吐き出すために必要な行為ですが、悪口の場合は力が強いために毒漬けの危険性があります。

愚痴の場合は力が弱いために、依存性はありますが毒漬けの可能性は考えにくいです。

ここでお伝えしている悪口の場合、あまりに力が強いので、行為における作用が強まり、その分返ってくる報いも強まります。

※愚痴の詳細は、【愚痴は悪ではない】愚痴を言わない人になりたい時の方法と気づき をどうぞ。

 

詳細:悪口を言う人の因果応報

因果応報は、悪口の力の強さをダイレクトに表します。

因果応報とは自業自得とも言い、善き行いは善き報いが、悪い行いは悪い報いが起きる摂理です。

仏教では、悪因悪果、善因善果、自因自果とも言い、自らが巻いた種の報いや見返りが起きる仕組みを物語ります。

因果応報はとてもシンプルな仕組みであり、自責を認めさせるための摂理です。

どんな行為でも、自らの行いには必ず自分の責任があることを、身を持って教えます。

因果応報の着目点は、悪口を言う波動です。
波動とは状態から発されるエネルギー

波動は意図や目的だけでなく、心理・精神・健康状態から発される自己表現がギュッと詰まっており、一切嘘偽りのない状態エネルギー、というイメージです。

因果応報は波動に基づいて、同じ波動が返ってくる仕組みであり、波動の同調性による引き寄せとも言える、自然界(宇宙)の仕組みです。

悪口を言えば、その悪口を発した際の波動と同じものが返ってきます。

嘘偽りができないので、「常識的には良くないから、悪意なく伝えた」と自分を誤魔化しても、発する波動に悪意があると、「はい、実は悪意込めてました」と認めざるを得ないことが起きます。

この仕組みから、悪口を言う人の因果応報で起きることは、自らが発した悪意(敵意や拒否感など)を認めさせる報い(見返り)です。

実際にどんなことが起きるのか、具体例と共にご覧に入れます。

 

具体例:悪口を言う人に起きる因果応報

①悪口を言い過ぎて、人と関わる条件が付いた女性

私がメキシコを旅していた時に会った人です。

「会話すれば一に悪口、二に悪口の人」と周囲から聞いていたのですが、私と会った際は一言も話さない人でした。

何かに怯えているように私と関わるのを避けており、人見知りなのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。

他の人とは話したり話さなかったりしており、一部始終を確認すると、あることがわかりました。

悪口を言える人としか会話しない人でした。

もちろん会話にはなっておらず、いきなり話す相手を批判し、悪口や文句を言い始める一方通行。

こんな状態であったために、関わる人がいなくなり、悪口を言われたので仕返しする人もたくさん表れたそうです。

しかし、本人は悪口をやめられず、人を見定めてまるで獲物を捕まえる日々を過ごしていました。

人と関わらずにはいられないのですが、関わるといざこざが起きる状況であり、旅人が来るような人の行き来が激しい施設に留まり、悪口を言えそうな対象を見定めて過ごします

人との関わりに条件が付いており、強い縛りの中で悪口を言うための人間関係を求める生き方は、自ら種を巻いて回収して、巻いて回収してを繰り返す因果応報でした。

※人を傷つけた人の因果応報は、『罪と恥と地獄』人を傷つけた人、苦しめた人の因果応報&末路 をご覧ください。

 

②居場所がなくなり退職

これは私のことです。

新卒で入社した会社。あまりに仕組みや体制が酷く、年功序列、強い者にまかれる無精神信者の多さに、私は悪口を言わずには自己保持できなくなりました。

男社会の馴れ合いがあり、後輩だから頭を叩いたり、ケツを蹴っていい。それに何の違和感を抱かずにヘラヘラ笑う職場。

歓迎会では、「お前は主役だとしても、仕事は酒を注ぐことだからな!」と言われ、私は直接悪口を言うようになりました。

しかし、上司に怒られ、抑圧しなければならず、「新人であるにもかかわらず」と周囲から見られ、徐々に仕事しずらくなっていきます。

関わってくれる人と関わってくれない人が綺麗に分かれました。

悪口を言う対象が、直接私の仕事に関係する人達だったため、居場所を喪失。

憤る材料が増え、悪口を言いたくないのに言い続ける状態。

全く違う部課に配属してくれる話もありましたが、私自身の悪意を持った行為の報いは、私がそこにいる気力を失わせ、悪口に対して周囲は当然受け入れスタンスにはならず、悪口を言う自分が嫌になりながら、言わなければならないジレンマにハマりました。

居場所もいる気力もなくなり、儚い新卒経験として幕を閉じました。

 

③悪人になっていくコンビニ店員

最後の例は、私が学生時代に深夜のコンビニで働いていた時の同僚です。

当時たしか28歳の男性。普段は別の先輩と同じシフトなのですが、稀にこの男性と組むシフトがありました。

夢を追って上京してきたそうで、太って温和な人でしたが、悪口を言い出すと止まらない人でした。

何かに乗り移られたように悪口のマシンガン砲が高鳴り、仕舞には自己コントロールを完全に外れて怒り出します。

お客さんの目の前でも怒りを継続させ、「弁当を温めて」と言われて、無言でソースをペリペリ取り、レンジに弁当を入れたと思ったら、開閉扉がぶち壊れるくらいの勢いでバンッ!と閉じます。

店内のお客さんが全員振り向くほどの音を立てたので、「気にしているかな?」と顔を覗くと、鬼の形相で何かと戦っており、声をかけられる雰囲気がありません。

舌打ちしながらレジを思いっ切り閉めることもあり、小銭がパァーンと爆発的に跳ね飛びます。

そして、悪口を言いながら片付けます。

自己内部での壮絶な戦いが起きており、周囲が一切見えておらず、いつ何が起きるかわからない怖さがありました。

最終的に悪い人になっていき、犯罪行為もしており、毒に侵されていくさまは止まることを知りません。

悪口によって自己保持できないほど怒りにまみれ、普段は隠してもふとした時に隠れなくなり、最終的には抑制できずに闇に染まります。

因果応報は自責を認める摂理であるため、悪口によって悪に身を染める自分を認めると、闇の道に入っていくのを止めるものがなくなります。

以上が、因果応報の参考例でした。

※悪口ばかり言う職場については、悪口ばかり言う職場に喝!職場は悪口を言う場所!矛盾こその対処法 をどうぞ。

 

心を開くからこそ悪口を言う

因果応報とは全ての行為に起きるため、悪意がない愚痴や文句でも報いがあります

悪意がない行為は、意図が自己満足や納得取得、または不満足や不納得の解消になりやすいので、因果の報いは無知のさらけ出しによる影響。

自分の見失い、思い込みの勘違いによる失敗や失態、メンタル影響などが多いです。

愚痴とは無知を意味するので、無知の報いは自己喪失という内訳です。

悪口なのか愚痴なのかを何度も区分けしてお伝えしているのには訳がありまして、悪口とは心を開くからこそできる行為(カルマ)です

愚痴は心を開かずともできる行為であり、両者にはエゴがあるかないかの違いがあります

エゴとは他によって自分を見出す意識。

エゴがあると因果応報に他者も含めるので、報いの自覚には他者への影響や気持ちも含まり、少し複雑になります。

  • 悪口にはエゴがない(少ない)ので、因果の報いはシンプル
  • 愚痴にはエゴがある(多い)ので、因果の報いは複雑

エゴがないと純粋に自分のことは自分で認めようとするので、悪口を言う際には自分が主体になり、相手を傷つける、攻撃する、敵意を持つ、拒否する明確な行為です。

愚痴の場合には、他者を劣等させ、下にさせて自分を認めようとするので、自分が主体にはならない点があり、他者を主体に自らの正当性を見出し、マウントをとり、承認欲求を満たし、同情を周囲に求める自他を含めた行為です。

悪口は心を開くからこそ言うことができ、明確に負のエネルギーを生み出しながら、波動を限りなく低くし、闇に向かう毒漬けの大きな力となります。

 

心を開くと因果の報いは強烈

「心を開く」と言うと、なんだか素直で愛に溢れた人に思えるかもしれません。

その通りでして、悪口ばかり言う人は素直で愛に溢れた人が多いです。

と言っても、愛とは恐怖も含まれます。

恐怖と表裏一体の愛。

愛とは恐怖によって、自分や他者を恐れおののかせて喜ぶさまも含まれます。

危険人物ですが、陰陽両極を兼ね備える真理が愛です。

  • 心を開くからこそ、純粋に悪意を持ち、攻撃する悪口を吐き出す
  • 心を開くからこそ、自らの毒漬け作用が効果てきめんになり、悪口をやめられないサイクルを作り、悪(闇)に染まっていく
  • 心を開くからこそ、言葉の力が強く、行為の動機も強く、返ってくる報いも強烈
  • 心を開くからこそ、悪口は本音や毒舌、指摘や助言にもなり、中身の詰まった言葉は砲弾用の鉄球にも、他者の成長のためにもなる

心を開くからこそ負のエネルギーや毒を発散できるのは、怒りと似ています。

必要なものでありながら、自制がなくなると危険なものにもなるのが悪口です。

 

悪口を言う人の因果応報 まとめ

私達人間は例外なく誰しもが無知(愚痴)です。

そのため、愚痴を言いたくなり、言わずとも心や頭の中で多少異なりながらチラつきます。

心を開くと、愚痴は悪口に変化します。

心を開いた行為は、楽しくて喜びがあり、ギラギラと目が黒光り、自己世界に吸い込まれます。

喜んだ行為は喜んで返ってきます。

それは本人にしかわからない善か悪か。

悪口を言う人は毒に侵され、悪意の返りは悪意をさらに強め、周囲から排他される影響を自ら作りながら、憤り怒る戦いの人生を過ごします。

いばらの道にあるのは恐怖心。

常に恐怖心と関わり、向き合う末路は、抜けられないサイクル、悪の沼です。

因果応報は自らの行為と真意を露わにする結果をもたらし、自らと向き合わせる出来事をもたらし、自責を認めさせてきます。

このさまが、鬼の顔。

悪口は鬼を自己内部から呼ぶ方法だったりします。

と言っても、悪口とは不必要なものではなく、大切な自己悪との向き合いです。

上手に活用する人は本音や毒舌に変換し、闇から光へ向かっていきます。

それもまた因果応報、悪口の善悪は本人のみぞ知る大切な行為。

しかし、自分一人ではなんともできなくなる危険性があり、自制できない場合にはすえ怖ろしいものです。

誰か嫌ってくれる人がいることは、悪のサイクルを止めるきっかけになり、自制できない人にとって有難いことなのかもしれません。

悪口の捉え方、危険性を知るご参考になれば幸いです。

それでは、悪口を言う人の因果応報、末路のお話を終了します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. あけみ より:

    その態度の悪いコンビニ店員の末路は、こうです。その日は深夜勤務のコンビニ店員はたまたま客だった非番の私服警官(刑事)の前でも『この弁当温めて』と言った私服警官(刑事)の前でも突然キレてレンジをおもいっきり明け閉めして、そのおかしな態度に私服警官は『お前、何しとんねん?』と一喝 、そして店員は私服警官が呼んだパトカーで連行され、案の定そのコンビニ店員の男は なんと覚醒剤の常習者と判明して逮捕された。これが真実のようですね(笑)

  2. Pikopiko より:

    そうですよね!そうでしたね!
    スッキリ

    ではそこでの経験が終わった気がした私は辞めるで良かったです^ – ^

    次回その様な状況に遭遇した場合には、
    目的のことを思い出そうと思います!
    丁寧な回答をいつもありがとうございます✨✨感謝

  3. はり より:

    批判ができないとなると結構問題が生じるような気がするのですが、悪意のない批判というのが可能なのかどうなのかが気になります。

    • 北斗 より:

      批判はルール上の良悪、正否で考えることが多いと思うので、悪意を込めるかどうかは自分の過去、他の情報を主体にした、選択が多いかもしれませんね。

      • はり より:

        批判をしてしまいそうになった時に自分に問いかけて自分の悪意を感じたら批判をやめた方がいいということでしょうか?

  4. Pikopiko より:

    ②居場所がなくなり退職、
    について、いつも実体験を書いてくださりありがとうございます。

    大変な職場で心の反応はとても自然で健全だと思いました。質問ですが、私はうちに溜め込みタイプで解消のために他を改善できない時はまさに病気か無気力を発症し退職の結末になるパターンですが、②の様な環境で、どんな対処が良かったかなと思って。今となっては事後理解で離れて良かった、とか、経験すべき事だったと思いますが、他にいい感じの対処があったら知りたいなと思いました。どうぞ宜しくお願い致します^ – ^

    • 北斗 より:

      そうですね、対処する場合は、その職場で継続して働きたい意図や目的を明確にします。
      「どうしてそこまでしてここで働きたいのか?」の答えですね。
      私で言うと、残っても、部課を変えても、仕事内容が変わっても、目的がなかったので辞めるのが選択になります。

      目的があれば、悪口を言いながらでも働くことに意味や利益があるので、困ることは減ると思いますよ。

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