心理と特徴

本質を見抜く人は女性らしく思いやりがある【洞察力と勘の鋭さ】

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目の前のカボチャ、本質とは?

粒子を紐解いたエネルギーのことか、それとも種を操作してコントロールする人間の我欲のことか。

はたまた、この世に初めて存在したカボチャの祖先の見つけ出し、家系図の発掘か、自然の聖なる摂理の説明か、人間は植物である証明か、プラーナの言語化か…。

利他の心です。

洞察力が高いとは頭がいい人のことか、それは西洋的か東洋的か、IQのことかEQのことか、宇宙生命体のETみたいになることか。

思いやりです。

ここでは、本質を見抜く人が持つ“洞察力の中身”をお伝えします。

  • 本質を見抜く人の大きな特徴を知りたい
  • 本質を見抜くために大切なことを考えたい

少しでもわかりやすくするために、身近な表現に変換しながら進めていきます。

おかしな内容ですが、一つの考え方としてお楽しみいただければ何よりです。

本質を見抜く人ほど思いやりがある

本質を見抜く人は女性らしい(女性性が高い)

なんでも
なんでも
物事の本質は仮想ではなく物理現実、そしてその裏側と全体を包む見えない領域に及びます。

普遍や真理と言われるもの。

これは何なのか?

実体はなく、どれだけ物事の実相・真相に近いかどうかを表す“識”であり、そのための“眼”です。

イメージは、文字を平面ではなく立体で体得する。

平面や辞書にある定義を初め、字の成り立ち、そこにある歴史、思い、継承、あらゆる事実が集約されて「あ」になっていること。

「本質とは頭が痛くなるほど途方もないデータ量が必要だな」ではなく。

とっても感覚的な解の体得です。

本質を把握して具体化や具現化して表出させる際に知性を使い、解として表すために物理現実を用いることが多いですが、本質そのものの見抜きは感覚的。

「なんかこの文字、人がクネクネ踊ってるみたい」

「楽」

机の上でアイデアを理詰めで練っているより、「気楽に散歩しよう」つって外を歩いていたらアイデアが出てくるように。

気づき、発見、理解、把握、より深く濃く面白いものほど感覚的な状態で受け取りやすい、そんな体験があると思います。

「クンクン、なんか匂うな」

「焼肉食ったな、キラ」

を初め、もっと深く深く内側に入っていき、隠し事をしているか、本当はどう思っているのか、この人の心は、人間性、裏腹、本性は?

さらに深く入り、物事の実相、人間の実相、因果の構図、自然の摂理、宇宙の原理とどんどん続きます。

本質を見抜く人には女性らしさが目立ちます。

感覚的で受け取り型、許容や寛容さがあり、女性性の高さ

感受性、共感性、感度の鋭さがあり、潜在領域の把握に長けています。

男性でも女性でも女性性質を持ち、上手く自分に適合できている人ほど潜在的に把握している本質をキャッチしやすくなります。

本質を見抜く人は女性性を活かした感受にて、見えないけれども常にそこにある普遍・真理と言った物事の実相に近付く力がある。

本質は隠れも逃げもせずいつでもどこでも目の前にあり、心や魂を失った人を除いて誰しも感覚的・潜在的に体得している。

それをキャッチする力がある人ほど洞察力が高いという考え方です。

そんな女性性による感覚的な本質キャッチは、理解を社会性に沿わせたり、活用するために詳細を紐解いたり、伝えるなどにて表出させることで他者と共有できます。

そこで男性性が重要になります。

なんでも
なんでも
男女性の兼ね合いにて三つの目立つ特徴が表れますので、順番にいきます。

 

➀本質を見抜く人ほど怖い

一つ一つの言動、そこに隠された真相、真犯人を探し出す探偵。

「ん、なんだ今の感覚?」
「あ、あの人の発言に動揺しているんだ!その証拠に瞼の上の化粧が汗で微妙に滲んでいる!」

「奥さんその汗…何を動揺しているんですか?」
「今日は猛暑日でしょうが、みんな汗かいてるって~の」

「あれ~?」は洞察力が低い人、思い込みの世界です。

一つの言葉が与える影響、その背景、潜む繋がりを把握できる人は、見つめる幅が球体になり、どんどん広がっていきます。

一点を見て一点を見出さず、一を知って十を知ります

なんでも
なんでも
本質を見抜く人は嘘や誤魔化し、偽りや取り繕いといった虚像を生きていません。

まともな人であり、自分と誠実に向き合うことで認識に曇りがなく、クリアな眼をします。

曇りなき眼は真実を見つめるため、よく気が付きます。

認識力が高い人

物事を見て、感じて、考えて、評価、判断する質・量・速さ、どれもレベルが高くなり、ミッキーの中にいる人を知っている。

嘘は秒でバレ、仮面は小学校の夏休み工作、裏腹の企みは馬鹿げた自己満足の演劇に見えます。

承認欲求を満たすために頑張るキャラ設定の末路や、見栄にてメンタルの弱さを逃避し続けてきた因果がはっきり見えます。

本質を見抜く人ほど心を掴みます。

他人の心でもギュッと握れるほど近くにこれます。

どれだけ仮面でも偽りでも、心の前に壁を置いても、全て透過させる無効化能力があります。

「はぁはぁ、やっと逃げられた、これだけは見られたくないんだ、はぁはぁ」

「え、どうしてそれが見られたくないの?」
「ひ、ひょ、ひょえーーー!!!」と隣にいる。

ホラーです。

洞察力が鋭い人には疑似現実も自己都合の空想押し付けも通用せず、悪意なく無邪気に現実を見せつける言動や関わりをします。

リアリティを生きられない弱さから、疑似・空想・妄想の張りぼてを現実と称して演舞している人にとって、発言も動作も一つ一つが恐れ多いもの。

関わると精神が疲弊し、自己保持できず、塗だくった厚化粧は溶けていきます。

「きゃー!」と鏡を見て叫んだそれはなんと自分の顔。

もう何がなんだかわからなくなってきた、と元々見失っている我をさらに見失う不思議なことも起きかねず、本質を見抜く人の影響力は効果てきめん、事実の隠蔽や誤魔化しに忙しない。

理解度の高さは、周囲に精神的な恐怖を与え、嫌われます。

人の邪や汚れ、我と情にまみれた動物性の多い環境では失明する危険性があるため、孤独や少数の深い人間関係を選ぶ人は多いです。

 

補足:本質を見抜く人と、相手の気持ちをわかる気がない人は別物

なんでも
なんでも
似て非なる人がいます。

相手の気持ちをわかる気がない人、思いやりから遠く離れた人と、本質を見抜く人は共に、「怖い、嫌だな」と印象を与えますが天と地です。

相手側の認識に寄らない、寄れない、わからないことを認めない、次に向かわない場合、他者への考慮も配慮もないので、思い込みで好き勝手言います。

自己満足、欲求不満の発散、現実逃避であり、事実を認めるのが怖いが故に他を否定したり、自分を正当化するために他人を傷つけます。

そこに学びも意味も価値もないため、響くものがなく、ただ相手を嫌な気持ちにさせる因果の増幅、虚しさと邪気のみが漂います。

こういう人は自分を見る気がなく、他者から承認された記憶に固執して自分を高く見積もる傾向があり、能力も才も精神も識も眼も全く別物ですので混合しないためにもお伝えしておきます

 

➁本質を見抜く人ほど厳しい思いやりがある

なんでも
なんでも

本質を見抜くことは事実やリアルを邪魔し、覆い隠すものも見通します。

執着、エゴは真っ裸。

物理現象ではなく、価値観、観念、信念体形、人のメンタルや心の歴史、在り方など、目に見えないものまでクリアに見つめます。

それらが見えることは強さの証し

見つめ難い現実、嫌なこと、不安、恐れと向き合い、辛い過去、トラウマ、コンプレックスを乗り越えたからこそ、曇りをなくしてきた闘いがあります。

自分の執着も人の執着も見ることができ、幻想とリアルの違いを明確に把握している人ほど、自分にも他人にも厳しくなります。

目の前の邪念、浮遊霊をジーっと見つめるように、

邪念やエゴなど弱さに漬け込む人間や、自分の弱さに目を向けずご都合主義の甘えた人間に厳しさが表れます。

まるで先生、カウンセラー、占い師。

「こういうことだよ」と伝えても、都合の良い所だけを汲み取り、都合の悪いことは無視している客がいる。

思いっきり現実を突きつけてあげる人もいれば、放っておく人もいる。

本質を見抜く人は執着の強い人に対して、厳しさと不干渉という冷たい思いやりがあります。

思いやりがなければ尊重がないので、金だけ払わしたり、言うこと言って終わり。

執着が見えるからこそ、思いやるからこそ相手のために鬼になります

または、相手のために余計な干渉にて彷徨いを強めず、己の道筋を進めさせる自然現象の敬い、不干渉をします。

冷たいけれども心ある思いやりは、洞察力が高いからこそできるものです。

 

③本質を見抜く人ほど柔らかい思いやりがある

なんでも
なんでも
一つの言葉、言い回し、動作の背景まで見る人には賢さがあります。

人には成り立ちがあります。

誰しもナノミクロの存在だったことをクリアに認識できる人にとって、全人類はカワイイものかもしれない。

自分の一部のように認識できるのは支配ではなく、共同体意識を持てるからこそ。

相手そのものを尊重し、内部の深い部分を見れる人は、行為の実相を見ます。

例えば裏切り。

明らかに危害を加えてきたとしても、その行為の背景には何があるか、どうして困っていたのか、子供のためだったのかもしれない。

洞察が深まるほどに社会的背景、物質的歴史から別の領域に入り、心の在り様、魂の部分に及びます。

どんな理由であれ、本人が困っている以上は助けたい

捨て猫を助けたい気持ちと同じように、どれだけ汚いことをしてきた人であっても、自分と関わる接点がある以上は波動の同調があり、共同、繋がりがある。

その繋がりが明確に見える人ほど、助ける動機も意志も強く覚悟のあるもの、本気になります。

これを八方美人と言います。

エゴではなく本質の八方美人

全員を助けることはできないため、大変な労力、必要な厳しさ、切り捨て、鬼になる瞬間も出てきます。

周囲からは批判も否定も多くなり、一方を助けて一方を助けられないという矛盾も起きるため、冷たい視線を送られることも増えます。

しかし、思いやりは心からのものであり、当事者同士にはこれ以上ない鮮明な繋がり感受、魂の温かさがあり、何にも代え難い美しい経験となります。

本質を見抜くからこそ心や魂同士の繋がり感受、それは誰しもが本当は感じているものを、感じ受け入れます。

 

本質を見抜く人の洞察力と勘の鋭さ

洞察力とは?

なんでも
なんでも
洞察とは、どれだけ本質を見れるかを表すバロメーターです。

・高い人ほど現実であり実相を見る

・低い人ほど仮想であり疑似でありながらそれも思い込み、何も見ない

仏教にはそんな力を眼で表す言葉があります。

五眼:
仏語。真理を認識する能力を、眼になぞらえて5種に整理したもの

『肉眼、天眼、慧眼(えげん)、法眼、仏眼』

※慧眼、法眼、仏眼が実相を見る目

※コトバンク引用

慧眼・法眼・仏眼が真理を見抜く眼に該当し、より洞察力の高さを示します。

一番目の『肉眼』は肉体が持つ眼、「瞼を閉じると何も見えない」となる普通の眼です。

二番目の『天眼』は神々(または天人)の目と言われており、欲望を離れた超能力の一つになりますがこれでも実相を見ておらず、仮像を見ている状態と言われています。

「慧眼以降はどれだけ見えてるんだろう?」と、“洞察力”の振り幅がどれだけ広いかわかると思います。

女性性を活かす人は本質をキャッチするために物事を見抜き、真理に近い世界観を生きます。

男性性が優位になると本質が目の前にあってもキャッチできず、わからないとも認められず、“思い込み”の世界にのめり込みます。

男性性を上手に活かす人は、本質を具現化して細部を紐解き、他者に伝える、教える行為ができるようになり、洞察力を鋭く研いでいくこともできます。

私たち人間は認識できていなければ、わかるもわからないもわかりません。

そのため、「わからない」と認めることが“無知の知”という始まりをうたいます

「わからない」と思える人、「わからない」を認められる人ほど洞察力を深める材料を持っています。

その上で知覚・認知機能を駆使して、わかろうとするために“知”を使い、“感”を使う、そして“解”を出す人ほど洞察力を上げていくと考えられます。

 

本質を見抜く人は勘が鋭い

なんでも
なんでも
ここでお伝えしたいのは、本質を見抜くためには本質をキャッチすることから始まる、という考え方です。

私たちは日々経験則を増やし、他の情報をインプットし、物事を見る眼を養い育みますが、それは基本的に他と他の組み合わせ

既存の何かに何かを組み合わせて一つを完成させようとする努力、イメージはギコギコ言ってるハウルの動く城です。

本質は常に目の前にある“答え”であり、それに近付くサインとなるのが、『気づき、ひらめき』です。

ここに創造性があります。

そんなことからお伝えしたいのは、『直感、勘』

本質を見抜く人、洞察力が高い人は、直感が当たる、勘が当たります(直感が鋭い、勘が鋭い)。

本質を見抜くとは、直感を紐解き真相に近付く力

※見えないものを具現化・具体化・具象化する力、直感が鋭い、勘が鋭いさま

錬金術、占い(統計学ではないもの)がわかりやすいと思います。

何もない空間に“金や解”を出す。

「あ、なんか気持ち悪いポニョポニョが空間のヒズミからたまたま出てきたぞ」ではなく、どうしてそれが出てきたかわかる人。

「えい!」と杖を振って、「何がでるかな、ルルル・ルンルン・ルルルルルン」ではなく、感覚的でも理屈的でも把握している。

そんな人の持つものが実相を見る眼です。

 

勘の鋭さ

「ん、なんか気になる」
「あ、まんじゅう光ってる!」

なんでも
なんでも
勘には直感の働きが大きいと考えます。

とてつもないエネルギーを発する磁場、誰も知らない、地元の人のみで漏れ知られない神社。

秘境を見つける力、「そんなところに温泉が、…とろける…ブクブクブク…」

浮気に勘づく、なんとなくで道を見つける、知らない土地でも何も考えず歩いていたら目的地に到達する。

私の今思い出す記憶としてあるのは、メキシコを旅していた際、ある山奥にヒッチハイクで向かった時があります。

そこに行く前にフラワーオブライフという本を読んでおり、お花のような幾何学模様がとても印象的な本でした。

山奥の村に暗くなった頃合いに到着し、宿がそもそもあるのか知らない村でしたが、乗せてもらった車を降りた後、何かに導かれるようにフラフラと村の上の方へ向かい、勝手に人の家の庭まで通り、とある家の前に女性がいたので尋ねました。

「この村に泊まる宿はありますか?」

「うちがそうだよ」

「なんとラッキーな」とそのままそこから少し歩いた所にある木小屋に宿泊決定、もう辺りは暗いのでそのまま就寝しました。

翌日朝、目覚めて小屋の前でウーンと腕を伸ばし、振り返って小屋を見ると、玄関横の壁全面に大きなフラワーオブライフの絵が描いてありました。

直感に従った結果は、私の本質をそのまま具現化したように思います。

本質は普遍ですが、私たちの意識や心は時空に縛られない自由な存在であるため、今この瞬間、その時その時の本質があります。

この時の本質は自分が心から求めているものであり、それを体現すること。

そこでの日々は約二か月間あり、まさに体現して村を去ることができました。

人それぞれに、みんな直感や勘があると思います。

「なんか宝くじ当たりそう」と勘が働いて実際に買ったら、「あれ、外れだ、なんだったんだろう?」

物事が思い通りになるかどうかではなく、外れたから気づくことがあります。

「“当たりそう”というのは、当たりそうだけど外れる」が勘の中身だったかも、外れた際の反応に本質があるのかも、いろいろあります。

本質を見抜く人はこういった常に目の前にある直感、気づき、勘との付き合いが身近です。

直感や勘に素直に従うため、直感や勘を使用でき、自分の道行きを作ることもできます。

「なんかきな臭い、この人は嘘をついているな」
「あの人はカメムシの甲羅みたいな怖い顔をしているけど、優しい気がするな」

勘の鋭さには素直さや自分を信じる根拠のない自信がある。

絶対性という確たる自分がいる。

その確たる自分は愛そのもの。

厳しさにも温かさにもなり、思いやりにもなる。

そんな考え方です。

 

最後に:洞察力が高い人の思いやりと勘の鋭さ

洞察力の高さには見えにくい部分の発達があります。

直感や勘の鋭さもさることながら、前提として着目したいこととして、『リアリティを見る気』があります。

疑似的に自己都合の世界を生きていたい欲がある人にとって、そもそも現実とは嫌なもの、認めたくない怖いものであり、現状を壊し変化を促してくるのでメンドー、疲れる避けたいものです。

「ポジティブだけでいい、この世は楽しいことだけあればいい」と欲する人にとって洞察力はない、もはや必要ないものかもしれません。

ネガティブを認めることで培われる精神基盤があり、不安と恐怖を乗り越える経験が欠かせません。

その上で好奇心や活力の見出し、物事の真相へ向かおうとする探求心、勇気、覚悟。

そこには自分軸や信念によるブレない芯があり、自分を信じる意志、心があります。

実相を見る気のある心を主体に、直感と勘に素直になり、直感を紐解くための感受、知性、そして解がある。

実相に近付ける人ほど、本質はいつでもどこでも誰しもに平等にあるとはっきり体感し、知っていきます。

そのため、思いやりは自然と表れるのだと思います。

そんな考え方が一つのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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